林望著「ついこの間あった昔」(弘文堂・平成19年)。
はい。古本で200円でしたので買ってみました。
うん。お菓子の当たりクジをひいたような
うれしくなる一冊でした。読めてよかった。
「『写真でみる日本生活図引』(弘文堂)という書物を
私は頗(すこぶ)る愛する。」(p92)とあります。
はい。この本のまるごと一冊が『写真でみる日本生活図引』を
とりあげているのでした。各文ごとに、日本生活図引からの写真が
載せてあるのでした。そこから触発される、あれこれのひろがりが、
これがめっぽう面白い。
なんとなれば、『写真でみる日本生活図引』を紹介する太鼓持ち
みたいに勘ぐれるのですが、はい、定価の1500円+税で買ったのなら、
きっとそんなことが思い浮かんだりするのでしょうが、
古本だと、そんな金額の垣根をやすやすと越えられるのがいいですね(笑)。
紹介したいページは数々あれど、ひとつだけとしたら、これかなあ。
はい。楽しいとつい、紹介したくなる。以下に引用。
「・・・この本の写真のなかで最も衝撃的だったのは、
この『五畳半のすまい』という一葉である。」
「昭和39年(1964年)に東京オリンピックが開かれた。
その頃には、東京にも首都高速の原初的な部分が完成していたし
・・・豊かな青春を謳歌しているように見えた。・・・・
ところが、この『五畳半のすまい』という写真が撮られたのは、
なんと昭和40年の4月だという。つまり東京オリンピックの翌年である。
・・・・私は愕然としたのである。
その説明にはこうある。
『昭和39年のオリンピック開催による都市整備によって、
東京はあたかも一新されたかように見えた。しかし住宅難は解消されず、
昭和40年代になってもなお、戦後を引きずったままだった。
東京に職を求めて地方から流入する人口の急増に、
住宅が追いつかなかったのが原因である』」(~p94)
はい。その一葉の写真を見せればそれで十分なのでしょうが、
ここはそれ、引用をつづけます。
「『昭和40年ごろ、都内に一棟5戸以上の木賃アパートは68万戸あって、
うち77パーセントは一部屋のみ、さらにそのうちの68パーセントは
一部屋の広さが四畳から五畳、便所は78パーセントが共同使用だった』
ということはつまり・・・35万戸は四畳か五畳だったというわけである。
そうして、この35万戸に、写真のごとく、一家五人が住んでいると
仮定すると、じつに178万人がこういう貧弱な住宅環境に甘んじていた
ということになってしまうわけである。・・・・・
この家は、五畳半だったとあるが、どうやら、その五畳はいわゆる
縦五畳、そこに左のほうで奥さんが炊事をしている台所スペースが
半畳ほどあった、あわせて五畳半ということになるらしい。
もちろん、まだ風呂も便所も各戸にはなくて、
便所は共同、風呂は銭湯、ということだったに違いない。
台所といっても、現代のようなユニットキッチンなどは
ここには影も形もなく、炊事は、羽釜の乗っている石油コンロと、
ヤカンの乗っている七輪とを駆使しつつ、わずかに限られた
スペースに身をかがめるようにして遂行したものであったことがわかる。
この家のテーブルは、父親と二人の息子が囲んでいる丸いそれで、
これはちゃぶ台と言った。ちゃぶ台の足は折畳み式で、食事が済み、
寝る時間ともなれば、この足を畳んで壁のところへ立て掛けておく
のであった。
こういう折畳みのちゃぶ台については、私にも十分記憶がある
ただし、その記憶はせいぜい小学校低学年くらいまでで、
高学年のころには、もうテーブルとイスの生活に切り替わっていた。
・・・・・・
そして今まで食事をしていた場所に布団を敷いて寝る。
そういう狭い空間を重層的に合理的に使いまわすのが、
私どもの住宅というものの現実と知恵であった。
・・・・・・この『写真図引』を見ながら私が衝撃をうけたのは、
まさにこの現実を見ていなかった自分の意識への痛棒にほかならなかった。」
(p98)
はい。写真入りで、スラスラと、パラパラと、読めちゃう
ありがたい一冊なのでありました。