和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ぞうきんがけ。

2021-09-30 | 詩歌
昨日は、自民党総裁選をテレビとネットで見てました。

今日は、産経新聞の阿比留瑠比「極言御免」をひらく。
そこに、こんな箇所「河野氏が所属する麻生派幹部も、
『河野氏にはもっと雑巾がけが必要だった』と突き放す。」

はい。雑巾がけなんて言葉が出てくる。
万事が横着な私には、縁のない言葉だなあ。
そう思いながらもイメージはひろがります。

菅義偉(すがよしひで)氏は、1948(昭和23)年生まれ。
はい。菅さんは派閥には属さなかったので、渦中にあっても、
派閥の政争(せいそう・清掃)には、無縁で素人ぽいような。
それでも私は菅さんに「雑巾がけ」のイメージが重なります。

ちなみに、河野太郎氏は1963(昭和38)年生まれ。
実際の雑巾がけなんて知らないよという世代でしょうか。
その麻生派の麻生太郎氏は1940(昭和15)年生まれ。

それはそうと、
私が、雑巾がけで思い浮かべたのは、
幸田文と高田敏子の女性二人でした。

幸田文の「水」のはじまりは、

「水の掃除を稽古する。
『水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない』
 としょっぱなからおどかされる。

 私は向嶋育ちで出水を知っている。洪水がこわいと思っている
 けれど、掃除のバケツの水がどうして恐ろしいものなのか
 わからないから、『へ~え』とはいったが・・・・」

はい。これがはじまり。
蛇足で、あとちょっと引用しておきます。

「雑巾は刺したものより、ならば手拭のような一枚ぎれがいい。
大きさは八つ折が拡げた掌(たなごころ)からはみ出さない位であること。

『刺し雑巾は不潔になり易いし、性(しょう)の無いような
ぼろっきれに丹念な針目を見せて、糸ばかりが残るのなんぞは
時間も労力もおよそ無益だから、よせ。
そのひまにもっと役に立つことでも、おもしろことでもやれ』
という。・・・」


はい。さいごは、高田敏子の詩「ぞうきんがけ」全文引用。

    ぞうきんがけ

 床をふきながら
 柱に頭をぶつけることがある
 ガラス戸を磨きながら
 小さなトゲをさすことがある
 ああ痛い と ひとり言をいって
 涙を流す
 だあれもいない真昼
 涙はとても素直に
 すっとほおをつたわって落ちる

 痛みが去って またふきはじめる
 涙だけはまだあふれている
 もうそれは
 いまの痛みの涙ではなさそうだ
 三日前にこらえた涙
 一と月前にかくした涙
 二年前の・・・・・
 笑いにまぎらした涙などが
 つぎつぎにあふれてくる

 『ふく』という動作の
 たったひとりの時間のなかで
 私の心もまた
 涙に洗われていることがある



コメント (4)
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