茨木のり子さんの詩『花ゲリラ』に、こんな2行がありました。
思うに 言葉の保管所は
お互いがお互いに他人のこころのなか
たとえば、詩の現代語訳とか、訳注とかがあります。
茨木さんは、ご自身の詩を、ご自身で解説する場面がありました。
まるで、濃縮ジュースを氷や水で薄めて飲むような不思議な感じ。
はい。お酒ならストレートじゃなく、オンザロックか、水割りか。
ということで、茨木のり子さんの「山本安英の花」という文から引用。
「戦後の昭和22年頃、当時戯曲を書こうとしていた私(茨木さん)は、
不思議な御縁で山本さんにめぐりあうことができた。
この出会いは私の人生において決定的なものだったと今にして思う。
はたちちょっとすぎの小娘だったのだけれど・・・・ 」
ここからもうすこし後にありました。
「或るとき、
『 人間はいつまでも初々しさが大切なんですねえ、
人に対しても世の中に対しても。
初々しさがなくなると俳優としても駄目になります。
それは隠そうとしたって隠しおおせるものではなくて、
そうして堕ちていった人を何人もみました 』
と言われた。活字にしてしまえばなんでもなくなるかも
しれないが山本さんの唇を通して出た言葉は私に、大変な衝撃を与えた。
・・・・・・
山本さんは私の背のびを見すかし、
惜しんでふっと洩らして下さったに違いない。
頓悟一番というと大げさだが、その時深く悟るところがあった。
他人に対するはにかみや怖れ、みっともなく赤くなる、
ぎくしゃく、失語症、傷つきやすさ、それらを
早く克服したいと願っていたのだけれど、
それは逆であって、人を人とも思わなくなったり
この世のことすべてに多寡(たか)をくくることのほうが、
ずっとこわいことであり、
そういう弱点はむしろ一番大切にすべき人間の基本的感性なのだった。
年老いても咲きたての薔薇のように、初々しくみずみずしく
外に向って開かれてゆくことのほうが、はるかに難しいに違いない。
そのことにはたと気づかされたのである。
以来、自分をスマートに見せようというヤキモキが霧散した。
十数年を経て、この経験を『汲む』という詩に書いた。
—――Y・Yに—―― という副題をつけたが、
Y・Yとは誰ですか?と尋ねられても今まであまり話したことはないが、
山本安英さんの頭文字なのである。
『汲む』という詩は、今の若い人にもすっと入ってゆくようで、
この詩に触れた高校生からの手紙を貰ったりすると、
時代は変っても青春時代の感覚には幾つかの共通点があるのだなと思う。
こんなふうに、他者から他者へとひそやかに、
しかし或る確かさをもって引きつがれてゆくものがある。
こういう道すじは、なんと名づけたらいいものなのだろう。
・・・・・ 」
( p130~134 茨木のり子著「一本の茎の上に」筑摩書房 )
( p210~212 「茨木のり子集 言の葉2」ちくま文庫 )
はい。最後は詩
花ゲリラ 茨木のり子
あの時 あなたは こうおっしゃった
なつかしく友人の昔の言葉を取り出してみる
私を調整してくれた大切な一言でした
そんなこと言ったかしら ひャ 忘れた
あなたが 或る日或る時 そう言ったの
知人の一人が好きな指輪でも摘みあげるように
ひらり取り出すが 今度はこちらが覚えていない
そんな気障(きざ)なこと言ったかしら
それぞれが捉えた餌を枝にひっかけ
ポカンと忘れた百舌(もず)である
思うに 言葉の保管所は
お互いがお互いに他人のこころのなか
だからこそ
生きられる
千年前の恋唄も 七百年前の物語も
遠い国の 遠い日の 罪人の呟きさえも
どこかに花ゲリラでもいるのか
ポケットに種子しのばせて何喰わぬ顔
あちらでパラリ こちらでリラパ!
へんなところに異種の花 咲かせる
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