え~と。どこから話したらよいのか?
新宿区西早稲田の古本屋『 浅川書店 』から本が届く。
ネット『日本の古本屋』で、注文したら安かったので注文。
届いた古本は、本の隙間を新聞紙ではさんでありました。
そういえば、と思うのですが、意外に新聞紙でも書評欄を
包み紙として使用され入れこんでくれる古本屋さんがある。
浅川書店さんも、そうした古本屋の気づかいを感じました。
さて、本題。それは朝日新聞12月14日(土)の読書欄を
包み紙として使っておりました。私は朝日新聞は未購読。
そこに、横尾忠則の書評が載っておりました。
思い出すのは、画家の宮迫千鶴さんの書評でした。
幸田文の『崩れ』だったか『木』だったかの書評をされていて、
それで、新刊を買ったことがあります。
だいぶ前の話なので、その時の書評もどこかに
はさんだまま、忘れております。
今回の横尾忠則氏の書評も、輪郭がはっきりしていて、
その書きぶりが、直接伝わってくるようでした。
書評されている本は『民藝のみかた』(作品社)です。
はい。この書評を読めてラッキーでした。
それでは、書評から適宜引用しておくことに。
「 今日の現代美術ブームの背景には、作家の署名を必要とする
自我表現としての個人主義があるように思える。・・ 」
これが横尾さんの書評のはじまりでした。
「 ・・・僕が地方で幼年時代を過ごした頃は
土俗的産物として民藝が生活環境を支配していたように思えた。 」
「 ・・・民藝はどことなくうさん臭く、この時代から排除されており、
土俗的環境からいきなり西洋近代主義に洗脳されたために、
僕の内部の民藝的土俗性を追放せざるを得なかった。
が、わずかに残った土俗的尾骶骨(びていこつ)によって、
あの時代の僕の演劇ポスターが生まれた。・・ 」
そして、本の内容にはいっているのですが、
それは、わかったようでわからないから省略。
最後に、『民藝作家の濱田庄司は作品に署名を入れない』として
書評の結論が語られるのでした。その最後を引用。
「 今日の現代美術にない、もっと言えば
現代美術が無視している民藝の根である人間の
魂を反映している霊性、それによって現代美術の
先に立ったのではないだろうか。 」
おいおい。『魂を反映している霊性』って何?
そんな突っ込みを入れたくなるのわけですが、
その一方で、やはり気になる。ということで、
新刊定価から3割引きとなった古本を注文する。
『民藝のみかた』ヒューゴー・ムンスターバーグ著田栗美奈子訳
( 作品社・2024年11月15日初版発行 )