もう20年以上前に、筑摩書房の現代日本文学大系の
なかの一冊、『現代詩集』を買ったことがあります。
この一冊で、現代詩人27名の詩がテンコ盛りでした。
詩集を束にし積み上げ詰め込んだようなそんな一冊。
うん。殊勝にもそれを読めばたいしたものですが、
ちっとも読まずにその月報を読んで満足して終り。
ですので、ページは開きもせずきれいなものです。
この一冊の解説は、篠田一士。そして月報は、
丸山薫・竹中郁・大岡信の3人が書いてます。
はい。それを今回本棚から出してきました。
「四季終刊 丸山薫追悼号」のなかの
篠田一士の文が印象に残ったからです。
ということでその文を引用。
「・・・1972年の秋だったろうか、
筑摩書房の『現代日本文学大系』の編集部から、
翌年4月配本の『現代詩集』の編集をやってほしいと頼まれ・・・
ずっと先のことで、こんなに早いとは思っていなかった。・・・
もちろん、原案なるものがあって、それに手を入れればいいというのだが、
そう簡単に事は運ばない。原案を鵜呑みにできればいいが、実情は決して
そんな生易しいものではない。編集者として、できるかぎり納得のゆく
内容にするためには、何人かの詩人を新しく入れる必要があり、また、
何人かの詩人を削らねばならない。そのためには、
かなりの分量の詩集を読みかえし、新しく読むための時間と
心のゆとりが必要だ。二ヶ月ばかりでそれをやれというのは、
いかにも酷だ、ぼく自身も困るが、当の詩人たちの方がもっと
迷惑するだろうという思いが、ぼくを狼狽させた。・・・
忘れもしないのは、担当の編集者が用件を型通り申し述べ、
編集をぼくに一任したあとで、雑談しているさなかに、
丸山薫さんやダレダレさんはどうなりますかとたずねたとき、
ぼくが即座に丸山薫はぜひともほしいと断言したことだった。・・ 」
( p193~194 打明け話・篠田一士 )
はい。『現代詩集』には、丸山薫の『物象詩集』が入っておりました。
もちろん、今までそれを私は読んでいなかったのでこれから読みます。
篠田氏の文で『物象詩集』に触れた個所をあらためて引用してみます。
「・・『物象詩集』を知り、ここに収められた丸山薫の詩業の成果を
ゆっくり味わいながら、ぼくはひそかに脱帽した。・・・
丸山薫がつくりだした日本の新しい詩的言語の意味合いについては、
いずれ機会をもて考えてみたいと思っているが・・・
いま、ここに記しておきたいのは、
この詩人ほど晴々とした詩作品を書きながら、
晴れがましさといったものがほとんど感じられないことである。・・・」
せめて筑摩書房『現代日本文学大系』第93巻『現代詩集』に
収められている詩人の名前だけでも列挙しておきたく思います。
はい。20年間ちっとも読まずに、月報だけ読んですましておりました。
そして、これからもこの巻の全部の詩は読まないだろうなあと思います。
富永太郎・安西冬衛・逸見猶吉・田中冬二・竹中郁・大手拓次・丸山薫
壷井繁治・北園克衛・谷川俊太郎・竹内勝太郎・飯島耕一・山本太郎
谷川雁・鮎川信夫・田村隆一・大岡信・会田綱雄・吉岡実・清岡卓行
岩田宏・安東次男・天澤退二郎・中村稔・入澤康夫・石垣りん・澁澤孝輔
以上の詩人の詩が、ぎゅっと一頁3段400ページほどの一冊に押し込められて
あるのでした。今では字が細かすぎて読む気にならないなあ。
唯一の取り柄は、月報を読めたことでした。
そのはじまりは、丸山薫「詩というもの」でした。
はい。ここは負け惜しみに、丸山薫氏のこの文から数行を引用。
「・・・ズバリというなら、
およそ詩を書こうとするほどの人々には、
それぞれの時代・世代感覚の身についたものがあって、
いたずらな議論は無用である筈だ。
もしもそうした感覚に欠けているとしたら、
遺憾ながら詩など書かぬほうがいいというよりほかはない。 」
う~ん。この一冊に入っている、丸山薫「物象詩集」の箇所をひらくと
なんとも、字が小さい。これじゃ読めないなあ。と早々に腰がひけます。
ちなみに、「物象詩集」自体は、いままでの詩集をからめて
まとめたもののようで、丸山薫全集でも「物象詩集」として
単独にページを割いてはいないようでした。
ひとつの収穫は、1973年(昭和48年)の現代詩という分野を
篠田一士は、こういう切り口で、こういう詩人たちを選んでいた。
そんなことが分かるという楽しみ。なんせ教科書の詩くらいしか知らない
私には、読んだことのない詩人が大半なのでした。
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