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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

言うなかれ。

2008-12-13 | Weblog
佐久協著「ビジネスマンが泣いた『唐詩』100選」(祥伝社)の現代語訳の箇所だけ読み進みました。たのしかった。「はじめに」で、こう語られております。「膨大な数の漢詩がある中で、なぜ唐詩を取り上げたのかは、唐代が極めて現在の日本に似ていると思えるからだ。世相もさることながら、詩人たちのメンタリティーは極めて日本人的に思える。・・」

こうして唐詩の現代語訳をパラパラと見ていると、そこに
于武陵の「酒を勧む」の漢詩があるじゃありませんか。
これは、井伏鱒二の訳で、きっと知らない人がいないんじゃないか。
でも、知らない人がいるかもしれないので、あらためて井伏訳。

      コノサカヅキヲ受ケテクレ
      ドウゾナミナミツガシテオクレ
      ハナニアラシノタトヘモアルゾ
     「サヨナラ」ダケガ人生ダ

これを佐久協氏は、この新書でどのように現代語訳していたか
というのは、どなたも知りたいところでしょうから(笑)。引用します。

      おいコップに替(か)えんか
      おれが酌(さ)すのに引くやつあるか
      散るから花だぞ
      生命を惜しんでチビチビやるな


漢詩の最後の二行は、といえば、

    花發多風雨     花発(ひら)いて風雨多く
    人生足別離     人生別離足る


こうして井伏訳と佐久訳とを並べれば、これで新書の紹介は終わり。
あとは、余談ということで。


鈴木棠三著「新編故事ことわざ辞典」(創拓社)をひらいて

 明日ありと思う心の仇桜(あだざくら)夜半に嵐の吹かぬものかは

という歌の意味を調べてみました。
何でも「親鸞上人絵伝」にあるということです。意味は
「明日もまだ美しく咲いているだろうと安心している桜も、その夜中にあらしが吹いて散ってしまわないとも限らないと、人生の無常をうたった歌。また、気づかないうちにまたたく間に変化するものにたとえる。」
「『明日までも何たのむらん桜花よるは嵐の吹かぬものかは』ともいう(念仏草紙)」

またこうも書かれておりました。

「仏教的な教訓から転じて、学業の怠りを戒める語ともする。
▽ 仇桜=散りやすい桜花。 
【類】 明日があると思うな  
言うなかれ今日学ばずとも明日ありと
   今日できることを明日まで延ばすな              」


学業の教訓というのは、耳が痛い。
そそくさと、つぎの連想。
「言うなかれ」から「言ふなかれ」へ。
大木惇夫の詩にこういうのがあります。

   言ふなかれ、君よ、わかれを、
   世の常を、また生き死にを、
   海ばらのはるけき果てに
   今や、はた何をか言はん、
   ・・・・・
   満月を盃にくだきて
   暫し、ただ酔ひて勢へよ、
   ・・・・・
   この夕べ相離(さか)るとも
   かがやかし南十字を
   いつの夜か、また共に見ん、
   言ふなかれ、君よ、わかれを、
   見よ、空と水うつところ
   黙々と雲は行き雲はゆけるを。

      ( 戦友別盃の歌  ――南支那海の船上にて。)


漢詩の現代語訳と、ことわざ歌、大木惇夫の詩ときました。
ここからフランス詩へと補助線を引いてみます。 西條八十は「愛誦しているフランスの詩人アロクールの詩句」 を口ずさんだそうです。

  別れるといふことは幾分死ぬことだ、
  愛する人から死ぬことだ、
  人間は、幾分づつ自分を残してゆく、
  どんな時間の中にも、どんな場処にも・・・

西條氏はこの「別れの唄」(エドモン・アロオクール)を語って。

 この小詩は、第一次大戦の折り、戦場に出てゆく若いフランス兵士の口々でうたわれ、流行したものである。この詩の意味は、人間がどこかへ出発すると、そのひとは恋人の前から姿を消すのであるから、いくぶんか死んだようなものである。こんな工合(ぐあい)に、人間はどこかへでかけるたびに、時間の中に、場所の中に、おのれ自身というものをいくらかずつ置いてゆく。・・


この「別れの唄」については、北村薫著「詩歌の待ち伏せ・上」(文芸春秋社)に詳しく書かれております。 また古雑誌ですが「無限」44(特集西條八十)も参考しました。
さて、西條八十といえば、昭和13年に「旅の夜風」を作詞しました。映画「愛染かつら」で主題歌として唄われるものでした。では引用。


   花も嵐も踏み越えて
   行くが男の生きる途
   泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
   月の比叡を独り行く。

  
筒井清忠著「西條八十」では、この唄が、生き生きと語られてます。

「自由主義者で当時、権力からの弾圧と戦っていた河合栄治郎がこの歌を好んで歌っていたことは著名だが、戦後高度成長期の日本の推進者として六年にわたって首相をつとめた池田勇人もこの歌を愛好していたことで有名であった」
「遠縁の人に召集令状が来てね、茅ヶ崎駅のホームで、彼の壮途を送るのに、『天に代わりて不義を討つ』とか『敵は幾万ありとても』とかを見送りの人たちが合唱したら、その人は『そんなのいいから「旅の夜風」やってくれ』って叫んだんだそうですよ。みんなが『花も嵐も踏み越えて』って唱い出したら、隣の見送りの輪も、そのまた隣もいっせいにその歌に代わっちゃって、ホーム全体が『行くが男の生きる道』って歌になっちゃたんだって・・」以下中公叢書のp228~232に歌の広がりを調べて並べておられます。
 

え~と。佐久協氏の漢詩現代語訳に触発されて、ちょっと引用が舞上ってしまいました。この辺で終ります。
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