雑誌「正論」6月号が今日発売。
さっそく、ぱらり。
まず、興味を惹いたのは、
「【戦後70年企画】
戦後思潮を考える・保守編
日本のための五冊」
という特集でした。
西尾幹二・潮匡人・小川榮太郎
浜崎洋介の四人が各五冊をあげて
説明しておりました。
西尾幹二氏は、こうはじめております。
「戦後七十年、最も代表的な思想家と
いうと、私の場合には小林秀雄、
福田恆在、竹山道雄の名が挙げられる。
他の代替例は考えられない。三者は
私が人生の出発点で出会った思想家
というものの原型である。亀鑑として
仰いだ先達である。今もそこから湧き出す
思索の泉は限りない。しかし今はむしろ
もう読まないように努めている。
禁欲的にしている。・・・・」
四人のなかで、私に興味深かったのは
小川榮太郎氏の五冊でした。
そこだけ列挙してみると
①『鮮やかに生きた昭和の100人』
(文藝春秋90年記念2013年5月臨時増刊号)
②池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫)
③長谷川町子『サザエさん』(朝日新聞社)
④白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』
(新潮文庫)
⑤郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』
(文春学芸ライブラリー)
ここには、
『小林秀雄の思ひ出』から引用されている
小林氏の言葉をそのままに引用。
「僕なんか、
ただ一介の職人にしかすぎません。
僕らの使ふ道具といへば言葉です。
先づ、これを使ひこなさなくちゃいけませんね。
まあ、芸といつてもいいでせう、
すべてを忘れて一心不乱にその芸を磨くんです。
ただ、ひたすら腕を磨くだけです。
こちらから出かけて行つて、ああだこうだと
私が意味をつけるんではないんです、
どうやつたら向うが心を開いて
此方へ語りかけてくれるか。
ぢつと辛抱して待たなくてはならないんです。
それだけが人間を大きくしてくれるんです。」
さっそく、ぱらり。
まず、興味を惹いたのは、
「【戦後70年企画】
戦後思潮を考える・保守編
日本のための五冊」
という特集でした。
西尾幹二・潮匡人・小川榮太郎
浜崎洋介の四人が各五冊をあげて
説明しておりました。
西尾幹二氏は、こうはじめております。
「戦後七十年、最も代表的な思想家と
いうと、私の場合には小林秀雄、
福田恆在、竹山道雄の名が挙げられる。
他の代替例は考えられない。三者は
私が人生の出発点で出会った思想家
というものの原型である。亀鑑として
仰いだ先達である。今もそこから湧き出す
思索の泉は限りない。しかし今はむしろ
もう読まないように努めている。
禁欲的にしている。・・・・」
四人のなかで、私に興味深かったのは
小川榮太郎氏の五冊でした。
そこだけ列挙してみると
①『鮮やかに生きた昭和の100人』
(文藝春秋90年記念2013年5月臨時増刊号)
②池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫)
③長谷川町子『サザエさん』(朝日新聞社)
④白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』
(新潮文庫)
⑤郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』
(文春学芸ライブラリー)
ここには、
『小林秀雄の思ひ出』から引用されている
小林氏の言葉をそのままに引用。
「僕なんか、
ただ一介の職人にしかすぎません。
僕らの使ふ道具といへば言葉です。
先づ、これを使ひこなさなくちゃいけませんね。
まあ、芸といつてもいいでせう、
すべてを忘れて一心不乱にその芸を磨くんです。
ただ、ひたすら腕を磨くだけです。
こちらから出かけて行つて、ああだこうだと
私が意味をつけるんではないんです、
どうやつたら向うが心を開いて
此方へ語りかけてくれるか。
ぢつと辛抱して待たなくてはならないんです。
それだけが人間を大きくしてくれるんです。」
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