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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

私の好きなインド料理系

2008-07-26 06:00:45 | 食べもの
父が好きだったせいか、小さいころからインド料理系は食べた。

東京のうまい店48年版でも述べたように、アショカ、アジャンタなんていうのが昔からあったが、アショカは銀座から姿を消した。
人に一緒に飯を食いにいこうといわれたとき、インド料理がいつも気になってしまう。今でも銀座には「デリー」がある。デリーのいいところは、タンドリーチキンが鉄板に「ジュー」とした音をたてておいしく出来上がっていることだ。
この間昼に時間が空いて、ちょっと一人で昼飯をというとき、銀座のデリーに行った。エレベーター降りてびっくりした。人ごみであふれかえっていた。
湯島の「デリー」はカウンターで回転重視だから、待っても少しだしこれは気楽かな?激辛カレーに病み付きになっていると思われるデリー病患者が多い。
そのときは結局東銀座方面に歩いていって「ナイル」の定番ランチを食べた。
このお店は入ると同時にマスターかインド人スタッフに当然のような顔をして定番ランチを頼まされる。混ぜ方の講釈を聞きながら無難でいつもおいしく食べられる。

あと親父といったのは、赤坂見付の「タージ」かな?「モティ」は六本木の方に行く。この間昼の結婚式のあと2時ころ行ったらやっていた。気がついたらドレスシャツにカレーのしみがついていて妻に怒られた。六本木にも「アショカ」が麻布警察の裏手あたりにあった気がするんだけれど

カレーは、神田駿河台下付近に固まっている。昔から「ボンディ」が大好きだったが、学生風スタッフがやっているような雰囲気で丁寧さがない印象に変わっている。川越に「ボンディ」の暖簾わけの店があって、ここは老年の粋に達した人がやっているせいか非常に丁寧な印象でゆったりおいしいカレーが食べられる。
「共栄堂」は手際のよさは天下一品だが、あの苦味がかった味は今ひとつあわない。
「エチオピア」はオーソドックスに量もそこそこのおいしいカレーを出す。

渋谷の「いんでいら」に初めて入ったのは今から34年ほど前だが、このカレーは一番自分にあったカレーだと思った。欧風カレーらしいコクがなんとも言えず、渋谷での昼飯では欠かせなくなった。その後FC展開をしたりした時期があったが、今では昔の場所にドンと構えている。先日いったとき、ちょっと味が落ちているなあと感じた。えび飯も有名だ。

荻窪に「トマト」というカレー屋がある。ここの欧風カレーもなかなかである。昭和の最後のころ荻窪に職場があった時期があった。その時は月に3から4回は食べていた。何気なく昼飯を食べていた店が、いろんなグルメ本や雑誌に掲載されているのを見てひさしぶりに行った。単価が異様に高くなっているので驚いた。
でも昔と同じようにやっているマスター夫妻の姿を見るとほっとした。

三越前室町に「インドカレー」という店がある。ビルが立ち並ぶ中のツタが絡まる2階建一軒家。雑っぽく見えるが丹念につくったからーいインドカレーを長くやっていた。最近何度か行ったけどやっていない。もうやめちゃったのかな?「1個!」「あと2個」と叫ぶ店員の声が脳裏に焼きついている。新入社員の最初の配属場所のすぐ近くなのに残念


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東京のロシア料理

2008-07-25 06:37:38 | 食べもの
父が好きだったロシア料理は、今でも大好きである。
渋谷の「ロゴスキー」「サモワール」で育った自分にとっては、ボルシチのあっさりした感触がなんとも言えず好きである。

今の東京でたまに行くのは、新宿「スンガリー」と御茶ノ水「サラファン」である。
新宿「スンガリー」は会社の本社が新宿西口にあるせいか、スバルビルのところへ行く。最初に行ってから24年くらいたっている。食べるものもいつも決まっている。サーモンにたまねぎなど各種野菜をクレープに包んだもの、ボルシチ、水餃子、カブのサラダ、串焼きなどの肉のメインディッシュという流れ。何気ないようだがサーモンのクレープ包みはおいしい。あと水餃子が好きだ。

御茶ノ水「サラファン」は基本コースで頼む。すばらしいものが2つある。ボルシチとピロシキである。ボルシチの色は実に美しいピンクだが、上にのっているサワークリームを混ぜるとなんともいえない美しい色になる。絶品だ!加えてピロシキもすばらしい。学校給食でピロシキは食べた。その印象で父といったロシア料理屋でピロシキを食べたことがなかった。おそらくコースの中になかったらこの店でも頼まなかっただろう。ここのピロシキは実に丹念に作ってある。おいしい!
ロールキャベツやつぼビーフシチューもおいしいけれどボルシチ、ピロシキほどの感動はない。
コースで頼むと最後にケーキがついてくる。いろんな種類のケーキを持ってくる。これは女性にとってはたまらないだろう。

御茶ノ水は子どものころから神田本屋街が好きだったせいかよく通った。
昔からの軸は「山の上ホテル」で、そこを基点に「サラファン」やカレーやなどに行く。駅前の地下JAZZクラブ「NARU」もいく。ここは気楽にLIVEを楽しめていい。
最近ディスクユニオンがものすごく増えていることに気づき驚いた。中古CDのメッカになっている。ブックオフのCDよりも安い。でも価格のディスカウント率は埼玉の方がいいかもしれない。

映画生活になかなか復活できない。思い切れない。
昨日は大幅ディスカウントの決裁を取るために会社でおおあらわであった。仕事は徐々に慣れてきた。一週間以上休むと勘を取り戻すのに同じだけかかるなあ。
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東京うまい店 昭和48年版

2008-07-23 07:16:02 | 食べもの
父の書棚を整理したらこんな本が出てきた。
今から35年前のグルメ本である。柴田書店出版で、執筆者も音楽家團伊玖磨など一流どころである。

3つ星「次郎」をはじめとして今でもがんばっている店がたくさんある。全部列挙できないのが残念なくらいだ。
これを見ると本当の老舗というのはここに載っている店のことだと思う。
今と違うのは、イタリアン、フレンチなんてジャンルで区分けされていないこと。西洋料理、各国料理、洋食と分かれている。韓国料理がまだメジャーになっていないことかな。

私と父はインド料理が好きであった。この本にあるインド料理は九段のアジャンタと銀座のアショカである。両方ともよく行った。アショカの方がよく行ったかもしれない。同じように好きなロシア料理は渋谷のロゴスキーと狸穴のヴォルガである。ヴォルガはとうとう父と行きそびれた。ロゴスキーは明らかに味が落ちていると思う。この本に軽くコメントしてあるが、渋谷のサモワールが実によかった。
大人になってからもデートでよく使った。

洋食のところにあるが、スエヒロ、ステーキハウスハマ、小川軒も行った。
昔ステーキといえばスエヒロだった。しょうゆをつけて食べるステーキをむしゃむしゃ食べた。六本木のハマは高級だけど、実においしかった。この本の中で音楽家團伊玖磨が絶賛している。戦前の三井の大番頭の家に生まれた彼だけに口も肥えていたであろう。今でも行きたいお店だ。
代官山の小川軒に父と最初に行った時、NO BOOKINGで行ったので厨房を目の前にしたカウンターに座らされた。老舗だけに厨房の中には大勢のコックがいる。なんかいやな感じだった。そこでビーフシチューを頼んだ記憶がある。父は勘定のときいくら払うかびくびくしたと後で言っていた。

銀座資生堂パーラーはお見合いした父と母が最初に行った店だといっていた。結局父とは行かなかった。母はこんなおいしいもの食べたことないといったそうな。

中華も中国飯店、四川飯店、香妃園、香港園なんかは今でも現役
好きな店だが六本木香妃園以外は父とは行っていない。父は新橋の新亜飯店が好きだった。それに五反田に国光園、東京酒楼というおいしい店があって、そこで用が足りていたのかもしれない。香妃園の煮込み鳥そばは遊び人の東京人の定番であろう。父の四十九日は中華にしたいと母が行っていた。寺が高輪なので、目黒香港園にするのも一手かな?と考える。都ホテルの中華もおいしいから迷うところである。

面白い、ちょっとこの本をたどっていってみるか



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亡き父といった店2

2008-07-20 05:13:22 | 食べもの

亡き父は焼肉が大好きだったし、にんにくやキムチのにおいを朝方プンプンさせていることが多々あった。B型で自分の好きなようにやっている父だった。
父が37歳の時に祖父がなくなり、その後は海外にも年8から10回行っていた。特に台湾や韓国にはずいぶんいった。私自身キムチが嫌いなせいか、韓国にはまったく興味がなかった。当時の韓国はキーセンパーティ華やかなころ、しかも戒厳令で夜間外出禁止令が出されていた時期もあって、しこたま遊んでいた気がする。

父といった店は五反田が軸になっている。五反田有楽街に力道山の親友がやっている焼肉屋があった。数年前「力道山」という映画があって、力道山が深夜身を隠して親友に会いに行く場面がでていた。その焼肉屋だと思う。子ども心にたれがおいしかった記憶がある。
今の品川駅港南口は高層ビルが立ち並び、信じられないくらい近代化されたが、昭和40年代は異様な場所であった。通常品川駅は高輪口で下りる。そちらにしか出口はないものだと思っていた。ところが、父が駅の反対側へ焼肉を食べに行こうと言ってきた。山手線で品川駅をおり、いつもと反対方向に歩いていった。
ものすごく歩いた印象がある。そうするとそこにぜんぜん知らない出口があった。
出口を下りると、高輪側とまったく異なる風景であった。汚い家が立ち並ぶのようだった。その中で父と焼肉を食べた。
店の中では労務者風の男性たちがしこしこ食べていた。それまで行っていた焼肉屋とイメージがまったく違うので戸惑った。勘定の段になって確か500円強位だった気がする。あまりの安さに父とともにびっくりした。変な肉を食べさせられたのかと思い気持ち悪くなった。40年近い前なのにあの時の光景は忘れられない。
それ以来怖くて品川駅の港南口は下りれなかった。
平成のはじめに大阪に転勤になった。その時大阪で昔品川港南口で見た光景と同じような光景をひさしぶりに見た。その時はもう大丈夫であった。

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亡き父と行ったおいしい店

2008-07-19 19:05:56 | 食べもの
先週死んだ父は昔からおいしいものすきだった。

今ではみんなあまり食べなくなったが、キャンベルスープのような輸入物の缶詰が好きだった。
五反田のガードの下に輸入物のスープや肉の缶詰を売っている店があった。同じように渋谷の井の頭線の下にも「シブヤ食品」?といったけか、そういう缶詰類を売っている店があって、カマンベールチーズをはじめとした白カビチーズやアオカビチーズが売っていて家で食べた。

五反田には「京浜ベーカリー」という洋食屋があった。パンもおいしかったが、ビーフシチューがおいしかった。いわゆるビフテキを最初に食べたのもその店である。

(昭和43年京浜ベーカリー付近 品川写真館より引用)

五反田駅横には「日本食堂」があった。そこでおいしかったのが「ロシアスープ」である。いわゆるボルシチとほぼ同じなのだが、クリームがのっかってものすごくおいしかった。

渋谷でビーフシチューというとやはり井の頭線ガード下にあった洋食屋「芳松」である。平成の時代にあったかどうかは自信がない。ロシア料理でいうと「サモワール」である。東急本店を左に曲がって、ラブホテル街に向かってすぐにあった。ここの歴史は本当に長く、大学生時代や入社間もないころよく使った。ツタのからまる建物が印象的だったが、1年強前に解体工事中に出くわした。非常に残念だった。

上の4つの店には昭和50年代前半くらいまで父とかなり行った。思い出すとしめっぽくなる。

渋谷は本当に変わった。昔からの店が次から次になくなっていく。
小さいころ夜歩くと渋谷のセンター街には黒いサングラスをした男たちがいっぱいたむろしていた。昭和40年代前半までは渋谷は怖いまちだった。西武百貨店のところが映画館だったころだ。突如としてセンター街に若者が増えて怖さが消えたのはやはりパルコができて公園通りができた後だろうと思う。
小さいころは父におっかなびっくり渋谷の夜をついていった気がする。大衆酒場でシラスを食べながらこの魚の親は何かな?なんていっていた気もする。

父との思い出は尽きない。
この際もう少し追いかけてみたい。
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アルピノ  イタリアン

2008-07-03 20:21:36 | 食べもの
今日は東上線の若葉というところで仕事があった。
川越をこえると、鶴ヶ島市、坂戸市と地味めの町が続く、以前川越に住んでいたときは、仕事で来ることも多かったけれど、ここ5年位はたまにしかこない。

そんな地味な町坂戸に奇妙なイタリアンの店がある。「アルピノ」だ。
駅西口を歩いてすぐの店、夫婦でやっている店だけど、この町にくることがなくて遠ざかっていた。何でなのか長嶋茂雄氏が田園調布から坂戸くんだりまでわざわざ来るそうな。。。お抱え車に乗ってね。
「何で?」という感じだが、きっと相性が合うのであろう。

ランチを食べた。1550円也。それ以上安いメニューはない。
坂戸という町にしては強気の設定だが、店には誰もいないわけではない。雰囲気からするとそれなりにみんなお金持ってそうだ。

パスタランチで、サラダ、自家製パン、デザート、ドリンクつき
サラダは、にんじん、きゅうりを細切りにきれいに刻み、パラパラとチーズをのせてつくり込んだ職人芸のおいしいイタリアンサラダ、ランチで食べるサラダの中ではここしばらくではナンバー1。ランチとなるとやたら量の少ないサラダを出す店がある。量も適量だ。
昔六本木に「越」という和食系の飲み屋があった。そこに「きざみ生野菜」というメニューがあって、本当に大好きだった。テイストが似ている。
パスタは、シェフの今月のおすすめで、スズキのトマトベースのパスタ
これもおいしい。メインディッシュで食べるようなスズキを小さく切っているのだが、トマトとの取り合わせが非常にいい。トマトもしつこさが全然ない。大盛りではないが、男性が量が足りないと思う量ではない。これも適量
最後に大好物のかぼちゃのプリンがでて大満足で終了。
この1550円はちっとも高くない。

帰り際マダムと話をしたら、パスタをお土産にくれた。彼女と話すのも5年ぶりくらいか。。別にお土産くれたから言うわけではないが、本当においしかった。
以前もおいしかったが、今日は格段に良くなっている気がした。

思えば、最近行くたびごとにレベルが落ちていると思うことが多かった。埼玉県でのコストパフォーマンスナンバーワンだと思っていたさいたま新都心のブリランテ武蔵野のフレンチ、一緒にいった人は何も言わなかったがもう一歩かな?
名前は似ているが、さいたま新都心のフレンチ「アルピーノ」値段も東京並だが、内容も手の込んだ料理でそれなりにいいなあと思ったこの店も、質は大幅ダウン↓
そういうことが続くので、やっぱり経済学の「限界効用逓減の法則」どおり、感じる満足度は行くたびごとにだんだん落ちるのかと感じたばかりであった。

でも今日は違った。明らかに水準が上↑になっている。
今度用事作って夜行ってみよう。
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