映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「汚れた心」 伊原剛史

2013-01-03 16:23:30 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「汚れた心」は二次大戦終戦時のブラジル移民を描いた昨年の作品、日本語中心のブラジル映画だ。

正直この映画の存在を知らないまま、洋画のケースでこの作品をみつけた。伊原剛史、常盤貴子、奥田詠二のメジャーな俳優が出演している。どうして洋画なんだろうと思いながらケースから手に取った。見てみると自分が知らなかった歴史の事実が隠されていて、怖くなった。
日本が負けたにもかかわらず、当時国交のないブラジル日本人移民の間では、敗戦というのがでっち上げということになっていた。どっちを信じるかで、日本人同士の争いが起き、多くの日本人が亡くなっていた事実があったのだ。凄い話である。樺太など旧日本領の一部で戦闘が続いていたなどの話は聞いたことがあるが、遠く海を越えたブラジルでこんなむごい話があったということに驚いた。

第2次世界大戦終戦時サンパウロにある日本人街が舞台だ。
そこで写真館を営む高橋(伊原剛史)が主人公だ。妻(常盤貴子)は地元の子供たちに日本語を教えていた。ある時ブラジル人の公安が来て、日本の国旗を破り、日本人を侮辱する事件が起きた。そこで元大日本帝国陸軍大佐という渡辺(奥田詠二)は、同志を募り公安に抗議に向かう。ブラジルに住む日系移民たちは日本に対する正確な情報が得られず、戦争は日本の勝利で終わったと信じきっていた。

しかし、一部の日本人は短波放送で日本が降伏したことを知った。その事実を受け入れる者たちが現れると、それを認めない元帝国陸軍の渡辺らが負けを認めた男たちの粛清を始める。写真館の店主高橋は渡辺により日本刀で刺客に仕立てられた。日本人の仲間同士を消す血生臭い粛清に巻き込まれるのだが。。。

ざっとこういう話だ。
現代のような情報社会でなければ、こんな話があってもおかしくない。日本では戦時中ラジオが普及していたが、ブラジルはまだまだ遅れていたのであろう。日本だって村の名主が言うことに全部従わなければ、村八分になってしまっていたのだ。同じようなことだ。最後はブラジルに渡った小野田少尉も救出されるまでずっとジャングルの中で戦っていた。終戦の知らせは敵の謀略だと信じ切っていた。
戦前の「お国のために」の発想はある意味オウム真理教のような宗教と一緒である。最近は戦後の日教組教育を批判する人も多いが、戦前の教育の方が危険であろう。戦前共産主義者が取り締まられていたが、実際のところハイエクがいう全体主義イコール共産主義的な国家だったというしかない。現代の北朝鮮と同じである。極端から極端になりすぎるのはどこの世界も同じだが、どっちもどっちだ。

もし北朝鮮の国家が滅亡したら、同じような人が出てくるかもしれない。北朝鮮に昔からいる人は、戦前は日本の天皇崇拝、戦後は金日成の崇拝と個人崇拝に慣れている。これが民主主義になったら、内部で抗争が起きるかもしれない。

この話は日本ではタブーなのであろうか?だからブラジルで制作されたのであろうか?右翼が怖くて作れないのであろうか?「ラストサムライ」で明治天皇が臆病な人物に表現されたり、映画「太陽」での昭和天皇の描写などいずれも外国での製作である。メインとなる登場人物は日本人だ。それも一流の俳優だ。

映画「愛と誠」で50近くにして高校生を演じていた伊原剛史はあのおバカキャラから一転精悍な役を演じている。本来はこういう役の方が合うのであろう。意に反して同志を殺さなくてはならない運命のつらい役だ。悪役である元軍人を演じた奥田詠二も左右両方できる器用な役者である。陸軍の大佐が何でブラジルにいるのかが、いささか疑問?だが、こういうキャラの人物が当時ブラジルにいたからこそ日本人同士の抗争が起きたという事実があったのは間違いないだろう。そういった意味では架空の人物であっても実在に近いものを感じた。常盤貴子もこういうシリアスな役がうまくなってきた。40になり良い女優になった。


一見の価値はある気がする。ただこの話のむごさには閉口した。平和な時代に生まれてよかった。
飽きずに最後まで一気に見れた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「シャイン」 ジェフリー・ラッシュ

2013-01-03 08:15:33 | 映画(洋画 99年以前)
映画「シャイン」は1996年のオーストラリア映画だ。
ピアノ版「巨人の星」というべき父と子の物語が前半語られた後、練習しすぎで精神に異常をきたした主人公が再度輝く(shine)姿と、その復活に向けた周囲の援助が後半で語られる。ジェフリーラッシュはこの映画でアカデミー賞主演男優賞を受賞している。その受賞は当然というべき緻密な演技だ。

映像は雨の中街のカフェバーに入って行く一人の男(ジェフリー・ラッシュ)を写す。壊れたメガネをしている男は、言葉もたどたどしい。精神に障害があるように見受けられる。店の人が中にいれたくないタイプだが、大雨なのでやむなく入れる。その男はピアノに向かおうとしている。
時代は戻って、その男の幼少時を映す。

少年デイヴィッド(ノア・テイラー)は父ピーター(アーミン・ミューラー=スタール)からのピアノレッスンに毎日励む日々であった。父母と3人の姉妹と暮らしていた。父親はポーランド移民で、二次大戦中はナチスの収容所に入っていた。性格は頑固そのものだ。町で子供のピアノコンクールがあった。たどたどしくピアノの前に座るデイヴィッドがいきなりショパンのボロネーズを巧みに弾く。審査員はアッと驚いた。一人の審査員が家に訪ねてきた。彼には凄い才能がある。自分のもとで練習すれば、一流の演奏家になれる。父は断った。自分のもとでやった方がいい。父は厳格というばかりでなく、その父性は異常なところがあり、自分からデイヴィッドを離さなかった。

父はラフマニノフのピアノ協奏曲3番が好きで、レコードで聴いていた。その曲を息子に演奏したがっていた。難曲である。自分では指導は無理と初めて以前訪ねてきた審査員であるピアノ教師に無給で指導を依頼した。その才能を認めピアノ教師はデイヴィッドを指導し、彼はピアノの神童と言われるまでその腕を伸ばす。
14歳のとき、アメリカ合衆国の音楽家からデイヴィッドへ音楽留学の手紙が来る。しかしながら父親は、留学を許可せず手紙を焼く。19歳になった時再度彼の元に、イギリスの王立音楽院に留学する話が持ち上がる。父は彼が家族から離れることを暴力的に拒否する。デイヴィッドは著名な女流作家であるキャサリン・プリチャード(グーギー・ウィザーズ)と年齢を越えた友情を結んでいた。彼女から父親が反対しても今回は行きなさいと言われていた。家を飛び出す形でロンドンに向かう。奨学金を得て、王立音楽院で一流の音楽家に師事する。デイヴィッドは、コンクールで難曲ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し、見事に弾いたものの倒れる。その後精神に異常をきたし始める。。。

難曲ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番との格闘が前半のキーポイントだ。

ピアノレッスンを正式にしたことがない自分がいうのも何だが、この早弾きは超絶技巧と言えるだろう。ラフマニノフと言えば、ピアノ協奏曲2番がメジャーかもしれない。ロシアの大平原をイメージしたような美しい主題ではじまる2番は映画でも「逢引き」や「7年目の浮気」で流れている。ラフマニノフの伝記映画でもこの曲がメインになっている。最初の主題と3楽章の大詰めに流れるメロディはいろんなバックミュージックに繰り返し奏でられている。淀川長治の「日曜映画劇場」の解説が終わるや否や第1主題が崇高に流れていたのが印象的だ。自分の好きな曲の一つである。

一方の3番がそのように町で流れるのは聴いたことがない。軽い主題があるが、その直後からテンポが速まり、強烈な早弾きのピアノが奏でられる。2番は美しいメロディが印象的だが、3番はピアノテクニックを聴かせる曲といったイメージだ。超絶技巧が必要なだけに3番を演奏するピアニストは限られる。

天才ホロビッツは若き日にラフマニノフの前でこの曲を披露し賞賛された。その後晩年にいたるまでこの曲を弾いていた。ホロビッツがこの難曲をいかにも優雅に弾く姿は美しい。あとは鍵盤の女王マルタ・アルゲリッチが情熱的に早弾きする姿もわくわくさせられる。いずれも映像がある。

そんな難曲への挑戦で精神に異常をきたした主人公は精神病院に入る。この映画では、年をとってもお漏らししてしまう彼の姿や突如裸になったりする主人公の異常な部分を映す。ここからはジェフリーラッシュの出番だ。指だけ弾いている部分でなく、ジェフリーが自ら弾いている部分を見せる場面もある。こういう場合、明らかにメロディと指が全く合っていない場合も多い。今回は違う。ジェフリーラッシュにピアノの素養があったのがわかる。主人公の特徴を示すために、その奇行をいろんな形で見せている。


でもこの映画で一番痛快なのは、主人公が「くまんばちのテーマ」を弾くシーンであろう。精神病院を退院した後冒頭のシーンに戻って行く。雨の中カフェバーに入ってピアノの前に座るのだ。どう見ても精神異常者だ。その彼を冷やかすまわりの人間にはお構いなしで、くわえタバコでこの曲を弾き始める。ものすごい早弾きだ。ギャラリーはびっくりする。そして彼の演奏に聴き入り、終わるや否や拍手喝采。冷やかした人間は何も言えない。実にスカッとするシーンだ。

主人公の父親が異常なまでの父性を見せるのが前半のテーマだ。演じる俳優がまさに嫌な奴を演じる。これもお見事だ。後半になると、ダメ男だけどピアノだけはできるという主人公に対して母性本能そのものにいろんな女性が寄ってくる。その母性も後半のテーマだ。こういうのを見ると、人間の善意って捨てたもんじゃないと感じてしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする