映画「この世界の片隅に」を映画館で見てきました。
2016年キネマ旬報ベスト10の日本映画1位である。アニメは見るのがつい後回しになってしまうが、片手落ちと思っていたら、私の美人部下が「人生ベスト3に入るくらいこの映画はすばらしい。」というではないか。せっかく教えてくれたのに行かない手はない。公開されてから割とたつにもかかわらず、意外に観客で埋まっていた。でも行ってよかった。
戦時中昭和19年に広島から呉に嫁に行った女の子が、家事に悪戦苦闘しながら結婚相手の家族とともに戦火激しい呉の軍港で暮らしていく姿を終戦まで映しだす。歴史上有名な登場人物がいるわけではない。ごく普通の戦前の家庭に嫁ぐ女の子を追いかける。昭和40年前後くらいまでは田舎に行くと見られたような飯炊きのようすをみると、いかに家事がたいへんだったというのがよくわかる。努力する女の子が健気に見えて仕方ない。
その女の子の声は「のん」こと能年玲奈である。これが実にすばらしい。冒頭に流れる「悲しくてやりきれない」の歌を聴きながら感じるやさしさがにじみでている素敵な声だ。
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。そして、昭和20年の夏がやってくる――。
(作品情報 引用)
1.のん(能年玲奈)
この映画がこれだけ評価される最大の要因は「のん」の声だと私は思う。主人公すずのキャラクターにこれだけピッタリする声は他の人ではだせないだろう。先入観なしに映画を見に行ったので、のんと言ってもまったくピンとこない。解説を見て能年玲奈だとわかり驚いた。
「あまちゃん」で大フィーバーした能年玲奈が独立問題で、仕事がほとんどなくなる事態になっているのはネット上のうわさ話で見たことある。人気俳優が鼻高々に自分でプロダクションをつくってしまって、干されるパターンは芸能界ではい古今東西いくらでもある。でもこの映画を見てその類い稀なる才能をつぶしてしまってかわいそうだと感じた。
素朴ですずがもつやさしいイメージにあったその声は映画の趣をあげているのは間違いない。
すばらしい!!
2.呉の町
昭和20年8月広島市内が原子爆弾の被害を受けて悲惨な状態になったことを知らない日本人はいないだろう。でも同じ広島県でも呉が受けた被害については映画では語られていないかもしれない。自分も呉というと、ついつい戦後間もない呉の修羅場を描いた「仁義なき戦い」を連想する。戦前は軍艦がつくられ、寄港するまさに日本を代表する軍港である。当然相手の軍港に空襲を浴びせるのは、日本が真珠湾攻撃で軍艦を射程にするのと同じような意味合いを持つ。
昼夜問わずこれでもかというくらい空襲を浴びる。主人公はひどい被害を受けるし、そのために広島の被害がさほどでないので帰郷しようとする場面も出てくる。でもここで戻ったら、もっと大変なことになっていたのだ。
呉の語源は9つの嶺に囲まれているからと映画の中にでてくる。3年前旅行で広島に行った時、呉にも行った。生まれて初めてである。そのときの経験で呉の地形はわかっているが、今回は山腹に自宅がある設定である。高い位置から軍港を見渡し、寄港する軍艦を主人公や義姉の娘はみつめている。この海を見渡す映像コンテがこの映画のベースになる。そして、原爆を受けた広島と同じような壊滅的な町の被害を徐々に映しだす。悲劇だ。
3.ムードにあった音楽
いきなりフォーククルセイダーズの名曲「悲しくてやりきれない」の新しいカバーではじまる。この曲は井筒監督「パッチギ」でも繰り返し使われていた。ここでは原曲に劣らずむなしさとやさしさを感じさせるすばらしいアレンジだ。ここでまず胸にしみる曲を聴いたあと、最後のエンディングまで続く音楽のタッチが素晴らしい。やはりアニメにおける音楽の効果って大切な要素だ。
純情な主人公である。姑から闇市で砂糖を買うよう頼まれて街の中を歩いている時に、道に迷って遊郭に紛れ込む。雑踏から突如まわりに人がいなくなり、帰り路のわからないすずは道に座り込む。そのとき、色香著しい娼婦と思しき女性に助けを求める。同郷の娼婦はすずと親しくなるが、そのまま娼館にもどる。すずは彼女のことを娼婦とも思わないし、その建物が遊郭ということにも気づかない。
このシーンが印象に残る。純なまま花嫁になり、出戻りの小姑にいびられながら、つくってもつくっても飯炊きがうまくならない。それでも一心に家事に専念するすずの姿が健気に見えて仕方ない。しかも、空襲でひどい損傷をこうむる。いくつかのコメントを見ると、古きよき時代の映像と書いている人もいるが、そうは自分にはみえない。
2016年キネマ旬報ベスト10の日本映画1位である。アニメは見るのがつい後回しになってしまうが、片手落ちと思っていたら、私の美人部下が「人生ベスト3に入るくらいこの映画はすばらしい。」というではないか。せっかく教えてくれたのに行かない手はない。公開されてから割とたつにもかかわらず、意外に観客で埋まっていた。でも行ってよかった。
戦時中昭和19年に広島から呉に嫁に行った女の子が、家事に悪戦苦闘しながら結婚相手の家族とともに戦火激しい呉の軍港で暮らしていく姿を終戦まで映しだす。歴史上有名な登場人物がいるわけではない。ごく普通の戦前の家庭に嫁ぐ女の子を追いかける。昭和40年前後くらいまでは田舎に行くと見られたような飯炊きのようすをみると、いかに家事がたいへんだったというのがよくわかる。努力する女の子が健気に見えて仕方ない。
その女の子の声は「のん」こと能年玲奈である。これが実にすばらしい。冒頭に流れる「悲しくてやりきれない」の歌を聴きながら感じるやさしさがにじみでている素敵な声だ。
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。そして、昭和20年の夏がやってくる――。
(作品情報 引用)
1.のん(能年玲奈)
この映画がこれだけ評価される最大の要因は「のん」の声だと私は思う。主人公すずのキャラクターにこれだけピッタリする声は他の人ではだせないだろう。先入観なしに映画を見に行ったので、のんと言ってもまったくピンとこない。解説を見て能年玲奈だとわかり驚いた。
「あまちゃん」で大フィーバーした能年玲奈が独立問題で、仕事がほとんどなくなる事態になっているのはネット上のうわさ話で見たことある。人気俳優が鼻高々に自分でプロダクションをつくってしまって、干されるパターンは芸能界ではい古今東西いくらでもある。でもこの映画を見てその類い稀なる才能をつぶしてしまってかわいそうだと感じた。
素朴ですずがもつやさしいイメージにあったその声は映画の趣をあげているのは間違いない。
すばらしい!!
2.呉の町
昭和20年8月広島市内が原子爆弾の被害を受けて悲惨な状態になったことを知らない日本人はいないだろう。でも同じ広島県でも呉が受けた被害については映画では語られていないかもしれない。自分も呉というと、ついつい戦後間もない呉の修羅場を描いた「仁義なき戦い」を連想する。戦前は軍艦がつくられ、寄港するまさに日本を代表する軍港である。当然相手の軍港に空襲を浴びせるのは、日本が真珠湾攻撃で軍艦を射程にするのと同じような意味合いを持つ。
昼夜問わずこれでもかというくらい空襲を浴びる。主人公はひどい被害を受けるし、そのために広島の被害がさほどでないので帰郷しようとする場面も出てくる。でもここで戻ったら、もっと大変なことになっていたのだ。
呉の語源は9つの嶺に囲まれているからと映画の中にでてくる。3年前旅行で広島に行った時、呉にも行った。生まれて初めてである。そのときの経験で呉の地形はわかっているが、今回は山腹に自宅がある設定である。高い位置から軍港を見渡し、寄港する軍艦を主人公や義姉の娘はみつめている。この海を見渡す映像コンテがこの映画のベースになる。そして、原爆を受けた広島と同じような壊滅的な町の被害を徐々に映しだす。悲劇だ。
3.ムードにあった音楽
いきなりフォーククルセイダーズの名曲「悲しくてやりきれない」の新しいカバーではじまる。この曲は井筒監督「パッチギ」でも繰り返し使われていた。ここでは原曲に劣らずむなしさとやさしさを感じさせるすばらしいアレンジだ。ここでまず胸にしみる曲を聴いたあと、最後のエンディングまで続く音楽のタッチが素晴らしい。やはりアニメにおける音楽の効果って大切な要素だ。
純情な主人公である。姑から闇市で砂糖を買うよう頼まれて街の中を歩いている時に、道に迷って遊郭に紛れ込む。雑踏から突如まわりに人がいなくなり、帰り路のわからないすずは道に座り込む。そのとき、色香著しい娼婦と思しき女性に助けを求める。同郷の娼婦はすずと親しくなるが、そのまま娼館にもどる。すずは彼女のことを娼婦とも思わないし、その建物が遊郭ということにも気づかない。
このシーンが印象に残る。純なまま花嫁になり、出戻りの小姑にいびられながら、つくってもつくっても飯炊きがうまくならない。それでも一心に家事に専念するすずの姿が健気に見えて仕方ない。しかも、空襲でひどい損傷をこうむる。いくつかのコメントを見ると、古きよき時代の映像と書いている人もいるが、そうは自分にはみえない。