「上善如水」は新潟県の湯沢町の白瀧酒蔵が醸造、販売している日本酒の名前です。湯沢町郵便局の向かいにある本店では毎日試飲も出来ます。
私は昔、上善如水という名前の意味を誤解して買って飲んでみました。
上善な(良い)酒は美味しい水のようだという意味だと誤解していたのです。飲んでみると確かにスッキリした味で、かすかに果物の芳香がします。癖が無い味です。それにしても日本酒独特の深い味わいがありません。米を研ぎ過ぎてコクが無さすぎるようです。私はそれ以来、買って飲む事は止めました。しかしこの種の味が好きな人が多いらしくて白瀧酒蔵は相変わらず繁栄しているようです。
この酒の意味をその折に調べて見ました。
するとそれは2600年位前の中国の老子という偉い人の話した名言で、「老子道徳経」という題目の書の第8章にあることが分かりました。その文章は以下の通りです。
=====「老子道徳経」http://www.ginzado.ne.jp/~okoshi/rousi.html=========
第八章(全てで81章ある中の八番目の章です)
最上の善とは水のようなものである。
水はあらゆるものに利益を与え、争わない。
それは人の嫌う地味な場所でいつも満足している。
このように、水は「道」に近いものである。
我々は住むために、地味な場所を好む。
いろいろな考えのためには、奥深さを好む。
友だちとの交わりには、心やさしさを好む。
言葉には、誠実さを好む。
政治には、良き秩序を好む。
出来事においては、能力を好む。
行動においては、正しい時を好む。
このように、我々は争わないから、まちがうことはない。
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上の文章の欠点は何を言っているのか理解しにくということにあります。
そこで「老子道徳経」の他の章を読んでみると明快に判る文章もあります。
いろいろ読んでみると老子は「善」というものを、カトリックの「聖霊」と同じように人間と人間の間にフワフワ漂いながら飛んでいる独自の人格を持った物体のように考えているのです。そして「善」は人々へ働きかけて、善い方向へ導いてくれるのです。その上。「善」には上、中、下があるようです。
この仮定が正しいとして、上の文章を書き換えると、以下のようになります。
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最上の善という聖霊は水のようなものである。
水はあらゆるものに利益を与え、争わない。
聖霊は人の嫌う地味な場所でいつも満足している。
このように、聖霊を含んだ水は「道(理)」に近いものである。
(この聖霊に働きかけられた)我々は住むために、地味な場所を好む。
いろいろな考えのためには、奥深さを好む。
(この聖霊に働きかけられた)我々は友だちとの交わりには、心やさしさを好む。
(この聖霊は)言葉には、誠実さを好む。
(この聖霊は)政治には、良き秩序を好む。
出来事においては、能力を好む。
行動においては、正しい時を好む。
(この聖霊は)このように、我々は争わないから、まちがうことはない。
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上の文章で聖霊と「善」の決定的な違いは聖霊は神が送ったものですが、「善」は神とは一切関係がありません。老子は神の存在を言っていません。「善」は宇宙空間に自然に漂っているもので、神や人間が作ったものではありません。
「上善は水のごとし」という名言の欠点はその意味があまりにも抽象的過ぎて一般大衆には理解出来ないことにあります。上に書いた私の解釈も完全に間違っているかも知れません。間違っていたら、それはこの名言の欠点がした仕業なのです。
それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
下に、上善如水という名言に関連した写真や文章をお送りいたします。
下は老子の生まれたときの絵画です。
下は現在、中国で道教の神様として拝まれている老子像です
写真の出典は以下のURLと同じです。
===老子:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90===
老子(ろうし)は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。
中国の言い伝えによると、老子は紀元前6世紀の人物とされる。歴史家の評は様々で、彼は神話上の人物とする意見、複数の歴史上の人物を統合させたという説、在命時期を紀元前4世紀とし戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様にある。
老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、貴族から平民まで彼の血筋を主張する者は多く李氏の多くが彼の末裔を称する。歴史上、彼は多くの反権威主義的な業績を残したと受け止められている。
老子が言う小国寡民の国。そこでは兵器などあっても使われることは無く、死を賭して遠方へ向かわせる事も無い。船や車も用いられず、甲冑を着て戦う事もないと、戦乱の無い世界を描く。民衆の生活についても、文字を用いず縄の結び目を通信に使う程度で充分足り、料理も衣服も住居も自給自足で賄い、それを楽しむ社会であるという。隣の国との関係は、せいぜい鶏や犬の鳴き声がかすかに聞こえる程度の距離ながら、一生の中で往来する機会なども無いという。このような鮮明な農村の理想風景を描写しながら、老子は政治について説いてもおり、大国統治は小魚を調理するようにすべきと君主へその秘訣を述べ(60章)、要職者などに名声が高まったら返って謙虚にすべきと諭している(9章)。
伝統的に老子は道教を創立させた人物と評され、『老子道徳経』は道教の根本または源泉と関連づけられる。一般的な宗教である道教では最高の神格(en)を玉皇大帝としているが、五斗米道など道教の知的集団では、老子は神名・太上老君にて神位の中でも最上位を占める三清の一柱とみなしている。
漢王朝以降、老子の伝記は強い宗教的意味合いを持ち、道教が一般に根付くとともに老子は神の一員に加わった。神聖なる老子が「道」を明らかにしたという信仰が、五斗米道という道教初となる教団の組織に繋がった。さらに後年の道教信奉者たちは老子こそ「道」が実態化した存在と考えるようになった。道教には、『老子道徳経』を執筆した後も老子は行方をくらまさず「老君」になったと考える一派もいるが、多くは「道」の深淵を明らかにするためにインドへ向かったと考える者が多い。
老子道徳経(ろうしどうとくきょう) は、中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』とも表記される。また、老子五千言・五千言とも。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。道經と徳經とを合わせて九九の八十一篇ある。
===老子の名言:http://www.earth-words.net/human/rooshi.html より===
河や海が数知れぬ渓流の
そそぐところとなるのは、
身を低きに置くからである。
同様に賢者は、人の上に立たんと欲すれば、
人の下に身を置き、
人の前に立たんと欲すれば、
人の後ろに身を置く。
かくして、賢者は人の上に立てども、
人はその重みを感じることなく、
人の前に立てども、
人の心は傷つくことがない。
第三十章
「道」によって君主を助けるということは、武力を優勢にすることではない。
武力を優勢にすれば尊大さが生まれる。
武力のあるところにはどこでも無秩序が起こる。
大きな戦いのあとには喪失の年がくる。
勝利はただ競争の結果にすぎない。
力の優勢をあえて求むべきではない。
勝利は結果にすぎないから、そのために見せびらかすべきではない。
結果にすぎないから、誇るべきではない。
結果にすぎないから、獲得しただけにすぎない。
結果にすぎないから、力の優勢を求むべきではない。
強いことを求めると衰退に行きつく。
これは「道」に反することである。
「道」に反することは長く続かない。
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第十二章
おびただしい色は人の目をまどわせ、おびただしい音は人の耳をだめにし、おびただしい味は人の口をそこなう。
狩猟で競い、追跡すれば、人の心を凶暴にする。
めずらしい価値ある品物はその持主の安全をおびやかす。
だから、賢者は腹に集中し、感覚の誘惑には集中しない。
このように、彼はあるもの(内部の力)をとり、他のもの(外部の力)を捨てるのである。
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