後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

インターネットは高齢者にとってどのように役に立っているか?(1)個人生活での役割

2012年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、ある大学生からアンケートの返事を書いて下さいという依頼のメールが来ました。

「インターネットは高齢者にとってどのように役に立っているか?」という主題で卒業論文を書くそうです。なかなか良いテーマを取上げたと感心し、真面目にアンケートに答えました。

しかし考えてみるとこの問題提起は現代社会の根底に関係する重大な問題提起のような気が致します。

高齢者と限定しないで、「日本人にとってインターネットはどのように役に立っているか?」という問題に読み変えて簡略にその答えを書いてみたいと思います。

そうすると、この問題は、「インターネットは個人生活と、社会文化や経済へのどのような影響を与えているか」という問題と同じ問題になります。

すなわち、個人と社会と分けて考えると明快な答えが出て来そうです。

高齢者の特徴は社会との直接関係が断絶していることです。

従って、その個人生活とインターネットとの関係だけを考えれば良いことになります。今回の記事では、「インターネットは個人生活にどのように役に立っているか」という問題に限定し、考えることにしました。

そして続編では、「インターネットは日本の社会文化や経済にどのような影響を与えているか?」という問題を考察したいと思います。

さて個人生活に限定すると以下の諸項目のようにインターネットは私個人の精神生活をより深く、豊かにしているのです。

(1)個人の趣味を一層面白くし、楽しい趣味の生活が楽しめます。

私の趣味はヨットと山林の中の小屋へ行くことです。その趣味のことをいろいろな角度から考えて沢山の記事をこのブログに掲載しました。書いてみるとその趣味の本質が一層深く理解出来ます。その趣味が一層楽しくなるのです。

(2)同じような趣味の人々からコメントが来ます。そのお陰で新しい友人がどんどん出来ます。その友人は太平洋でのヨットへ誘ってくれます。

別荘を持っている人の別荘を見学に行きます。交流して一層楽しくなります。

社会と断絶している高齢者にとってはインターネットのお陰で新しい友人が出来ます。

(3)私はカトリック信者ですが、ブログにカトリックのことを簡単に紹介する記事を沢山掲載しました。無宗教の人が大部分の日本人に抵抗感なく読んで貰うために仏教のことも公平に取上げて記事にします。イスラム教もインターネットで調べて紹介します。

そうすると私個人のカトリックへの信仰が強まるのです。すなわちインターネットは自分の信仰の強化に役に立っているのです。

その上、無宗教が故に、外国で誤解されがちな日本人の立場を補強することが出来るのでず。無理にキリスト教信者にならなくても、宗教を理解することが日本人の利益を守ると私は信じています。

(4)ブログにカトリックのことを書くと、プロテスタンの諸教派の人々と交流できるのです。

特に印象深かったのはお茶の水にあるニコライ堂でのロシア正教風の礼拝式を体験したことです。ソ連時代の共産主義とロシア正教の関係が少し理解出来ました。

(5)高齢者の経済生活にも影響があります。このブログで自分のクルーザーの中古を売りたいという記事を掲載し、大切に乗ってくれる人にキチンと売り渡すことが出来ました。

本を出版した人の紹介記事も掲載します。

油絵を描いているプロの画家の宣伝記事も書きます。

良いホテルの宣伝記事も掲載します。

宣伝効果は非常に小ですが、真面目に仕事をしている人々を激励しているつもりです。

(6)このブログは実名で書いているので、昔の知人友人や親戚からこのブログを見て居ますよというハガキやメールを時々貰います。お付き合いが途絶えた懐かしい方々と絆が出来るのです。こんなに嬉しいことはありません。

その他いろいろありますが結論を書きます。

「インターネットは高齢者にとって重大な役割を担っています」。これが結論です。

皆様のご意見をお聞かせ頂ければ嬉しく存じます。(続く)


全国の昭和を生きた方々へご案内したい「昭和記念公園」・・・その規模の雄大さと見事な設計思想

2012年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

東京駅からJR中央線で西へ約30kmの所にある立川市に広大な「昭和記念公園」があります。国営の公園で、東西2km、南北2kmの広さです。もともとは米軍の航空基地だったところです。

ここに私共は四季折々、何度も行きます。行くたびに考えます。

「こんな立派な昭和を記念する公園があるのに全国の方々は知らないではないか」と残念に思います。東京駅から遠すぎるのです。出張や仕事で都心まで来る人は多いはずですが、チョット時間が出来たからといって訪問するには遠方すぎます。

特に昭和時代を生きた方々には是非見て貰いたいのです。それは戦争にあけくれた酷い時代でした。しかしこの公園を散策していると昭和時代の楽しかったことだけを思い出すのです。何故かは分かりませんが、昭和にたいする郷愁が幸せな気分にさせるのです。

そこで全国の全国の昭和を生きた方々へ、せめて写真だけででもこの公園をご案内したいと存じます。

広大な駐車場のある入り口は「砂川口」、「立川口」と「西立川口」の3ケ所です。

以下は北端の砂川口から入り、こもれびの池、花の丘、こもれびの里、みんなの原っぱ、原っぱ東花畑、原っぱ西花畑、水鳥の池、までの公園の半分のコースを順に写真でご紹介いたします。

まず砂川口を入ると下のようなこもれびの池があります。

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下は花の丘で春には一面のポピーの花が咲く丘です。秋はコスモスですが、今回はまだ咲いていません。もう数日すると一面に白やピンクの花に覆われる筈です。

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花の丘を過ぎると左手に多摩地方の農村を再現した「こもれびの里」が広がっています。農家や水車小屋があります。下はその農家の庭先に咲いていた彼岸花です。

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こもれびの里を縦断し、まっすぐ南下しますと「自転車専用道路」の上にある橋を渡ります。見下ろすとイチョウが少し黄葉しはじめていました。

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さらに南下しますとこの公園で一番広い原っぱに出ます。その東部分と西部分に花畑があります。春はポピー、秋はコスモスの花が一面に咲きます。

今回は西部分の花畑ではコスモスの花チラホラ咲き出したばかりでした。少し残念です。

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しかし、東部分の花畑では、コスモスが丁度満開でした。

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みんなの原っぱの西側の渓流広場レストランで、野外のテーブルに座って昼食をとります。

昼食後はさらにパンパスグラスの広場を左に見て、南へ、南へと歩きます。

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やがて右手に大きなレインボープールが見えてきます。もう少し歩いて行くと、水鳥の池が広がっています。

下にその写真を示します。

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上の写真のように水鳥が少しいました。

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さて此処まで来ると公園の半分を歩いたことになります。直線距離で2kmですが、あちこち散策しながら来たので3kmは歩いています。

皆様もお疲れになったと思いますので、続きは明日お送りします。

しかしまだお疲れでない方々の為に、末尾に立川口の傍にある「昭和天皇記念館」の内容をご紹介しておきます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

=====「昭和天皇記念館」のご紹介===========

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立川市の昭和記念公園の花みどり文化センターの中には昭和天皇記念館があります。

展示がいろいろあります。その中に、昭和21年から29年にわたる全国の津々浦々へ行幸なさったたときの白黒写真のスライドが大写し画面で、ゆっくりと流れる展示がありました。

私が当時、住んでいた仙台市へいらした時のもあります。

それは小学6年生の秋でした。小旗を振ってお迎えしたのを覚えています。

展示のスライドは全国各地の人々の群れに囲まれた天皇のお姿が映っています。みな貧しげな服装ですが、顔が明るく輝いていいます。

この時ほど昭和天皇を身近に感じたことがありませんでした。全国の都道府県をすべて巡幸されたのです。沖縄県以外は。

沖縄では基地反対運動などで騒然とした時代が長く続きました。そんな中で天皇の訪問は政治的に慎重にならざる得なかったのです。ついに 昭和62年、沖縄国体の時、沖縄訪問の予定が決定します。しかし残念にもご病気で取り止めになったのです。

その時、代理でいらした皇太子に託した沖縄県民への手紙も展示してありました。

米軍の沖縄上陸作戦に民間人が巻き込まれ、悲惨な地上戦が3ケ月も続いたのです。そんな沖縄への切々たるお気持ちがあふれた文章です。人間性豊かな天皇であったと思います。終世、沖縄訪問を願いつつ果たせなかったのです。

また展示室右手上には6枚の大型液晶画面があり87年のご生涯の映像が出ています。

晩年にテレビ記者と会見したときのお元気なお声をかなり長時間聞くことが出来ます。これは係の人に申し出て、是非お見逃しなくお聞きになって下さい。

展示室の中央には昭和10年から52年までご愛用になられた箱形のベンツの乗用車が磨きあげて飾ってあります。たびたび新聞の写真でみた懐かしい乗用車です。

館内は撮影禁止なので入口のドアーと受付のところの2枚の写真以外は記念館のホームページ、http://www.f-showa.or.jp から引用しました。 下の列の左から2枚目は87年のご生涯の折々のお写真、3枚目は生物研究室の様子、4枚目は公務用の机、5枚目は昭和3年のご即位の折の行列の一部の様子です。

ああ、それにしても昭和は遠くなりにけりですね。(撮影日時;2008年7月31日午前11時頃)