下の5枚の写真は10月29日に上高地を散策しながら撮った風景写真です。
大正池の向こう側の遠方のカラマツ林をズームで撮りまた。
そして田代橋から梓川の上流に向かって右側の岸辺を歩きながらカラマツ林の写真を撮りました。
梓川の向こう側の遥か上の方には穂高連山が見える筈です。雲が多く、わずかに時々雪山の稜線が見えていました。
河童橋には相変わらず人が沢山いましたので敬遠しました。
このようにカラマツ林が見事に紅葉している風景は何度も上高地に来ていますが初めてです。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
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上高地には神々しい別世界のような風景が広がっています。明治の始めころイギリス人のウエストン卿が日本人の山案内人と徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。
そのときの感動を想像する度に、私の胸も躍ります。
ウェストンは感動のあまり何度も徳合峠を越えて神河内へ足を運びました。人柄が良く山案内人に信頼されたと言います。このウェストンこそが日本へ近代登山を伝えた人だったのです。
日本山岳会が作った彼のレリーフが静かに梓川を見降ろしています。
神河内へは現在は梓川沿いに立派なバス道で上がりますが、以前はそんな道は無かったのです。神河内に降り立つには険しい北アルプスを越えて入らなければならなかったのです。
苦しい山歩きの後に神河内に立ったときの感動はバスで登った場合より格段に大きいのです。
私は23歳の夏に、JR大糸線の穂高駅から中房温泉に泊ました。そこから燕岳を乗り越して、大天井岳、西岳と尾根道を縦走し、槍の肩の小屋に一泊です。次の日は南岳へ尾根道を縦走してます。南岳からは最大の難所の大キレットを慎重に渡り北穂小屋に泊りました。そして最後に穂高からカラ沢を下り、梓川沿いに上高地に降り立ったのです。
そこには想像も出来ない神々しい光景が広がっていたのです。
清流の梓川。白い川瀬には茂る柳の木。白樺林。立ち枯れの木のある大正池。河童橋にのしかかるように聳えている明神岳。それを回り込むように蛇行する梓川。
すべてが夢心地のような風景です。
多くの人々は自分の思い出の上高地を持っていると思います。
「私の上高地」は、北アルプスを縦走して、疲れ果てた末に神河内に降り立った時に見たこの光景なのです。それこそが「私の上高地」なのです。
その後仕事が忙しくなって何十年も行きませんでした。
一昨日、カラマツ林の紅葉の中を歩きながらそんな50年以上も昔の事を想い出していました。この50年間にいろいろなことがありました。
何も考えていないのか、家内は無邪気に、小さな歓声をあげながら写真を撮って楽しんでいます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)