江戸時代の将軍家や藩主としての趣味は鷹狩リと決まっていました。
私の住んでいる近くの武蔵国分寺には尾張徳川家のお鷹場がありました。その事は、心やすらぐ昔の風景をお送りいたします・・・尾張徳川家のお鷹の道 という記事で紹介しました。良く馴らした鷹で、山野に棲む小動物を狩るのを楽しんでいたのです。
ところが明治維新以後、明治天皇は鷹狩りではなく犬を使った「兎狩り」に変えたのです。
欧米の文化の導入方針に従って、イギリス王室の趣味の「兎狩り」を趣味にしたのです。
明治天皇は「兎狩り」のために何度も東京都下の連光寺村へ行ったのです。
その時に泊ったのが府中市の豪商の田中家でした。泊った部屋の狭さや侘しさを見ると明治天皇も大変だったと同情します。
欧米へ日本の天皇がイギリスの王室と同格であることを示すためにこんな部屋に泊りながら「兎狩り」をしたのです。今日撮って来た写真で以下にご説明いたします。
まず田中家の入口です。この門を明治天皇は5回もくぐったのです。
この家の一番奥の座敷が行在所として泊った部屋です。8畳間くらいのわびしい部屋です。
下は明治13年から17年までの行幸記録です。
下はこの田中家の側面です。当時の豪商の家は間口が狭く、奥行きは非常に長かったのです。奥の方には商品をしまっておく蔵が並んでいます。
下は田中家の説明です。幕末では田中家は府中で一番の土地所有者でした。
以上の写真は全て先程、私が府中市郷土の森博物館公園で撮影して来ました。
しかし下に兎狩りの残酷なイメージを伝えるために1枚の写真を示します。
写真の出典は、
このように兎狩りの趣味は残酷なものなのです。
広大な植民地支配をしていたイギリスの文化の背景を示すようです。その帝国主義を導入した明治時代も当然武力による植民地獲得へと進んで行ったのは無理もありません。
明治天皇の兎狩りの折に泊った豪商の家を見ながら、そんな事を考えさせられました。明治時代は大変な時代だったのです。(終り)