伊達正宗の廟所は経ヶ峰という森にあります。
その下の町をお霊屋(おたまや)下と言います。
片平丁から広瀬川を渡って霊屋下へ行く橋がお霊屋橋と言います。
霊屋下から広瀬川に沿って経ヶ峰の中腹を登って向山へ行く坂路を鹿落坂(ししおちざか)と言います。
私は22歳で仙台を出るまで、その向山に住んでいました。
家の東北方向には愛宕山があり、東南の方向には伊達家代々のお墓のある大年寺があります。そのお寺のある山は大年寺山といいます。
家から西の方面は八木山という広大な森林地でした。
経が峯も、愛宕山も大年寺山もそして八木山の一部も自然保護区のようです。何十年経っても昔のままの森林に覆われています。
故郷の景色は変わりませんが家族も親類も恩人、知人も居なくなってしまいました。
今回の旅では向山までタクシーで登って、その後は東方向へ2kmほど歩いて愛宕橋から土樋へ抜ける散歩を楽しんで来ました。故人を偲びながらの散歩でした。
つまらないとは存じますが下に写真をお送りします。
タクシーのフロントグラスの向こうに見える赤レンガの建物は私が1958年に卒業した東北大学の金属工学科の建物です。あれから茫々54年になります。この辺は片平丁と言います。
金属材料研究所の前の道を西に抜けると片平丁の大通りにぶつかります。その左の角に三角形の狭い公園があります。戦争前から存在していた公園でヨーロッパ風の小さな公園です。それが現在でも存在していたのです。上の写真のように、流石に石材の柱が傷んでいますが。
上の写真はお霊屋橋の欄干です。右手に正宗の廟所がある経ヶ峰の森が見えます。欄干の間には広瀬川が見えます。そして経が峯の裾を向こうの方へ登っている道が鹿落坂です。
お霊屋橋は正宗の廟所への入り口なので白い石材で綺麗に出来ていて、下の写真のように欄干の上には石燈籠があります。
橋を渡って、左に曲がるとやがて鹿落坂になります。
上の写真が鹿落坂です。昔は車道が狭くて、左側に広い歩道がついていて人間が下の広瀬川の景色を見ながら登れたのです。車道にはバスだけがたまにしか通りません。
月夜の夜にカジカの鳴き声を聞きながら叔父さんに肩車をして貰って登ったことを鮮明に憶えています。昭和15年のある夏の夜でした。その叔父さんもとっくに亡くなりました。
向山を歩き、愛宕橋に出て大年寺を振り返って撮った写真を下に示します。
鉄塔はテレビ塔で、仙台の民間放送会社が使っています。NHKは八木山のほうにテレビ塔があります。
下は愛宕橋です。
橋の右側に愛宕山の森が見えます。橋の向こうが大年寺山です。
そして下は愛宕橋から見降ろした広瀬川です。
この写真の場所には貸しボート屋があり随分何度も乗ったものでした。当時は生活排水をそのまま広瀬川へ流していたのでいつも腐ったような臭いがした広瀬川でした。
現在は貸しボートの影も形もありません。時代の移り変わりにしばし感慨を覚えます。
さて皆様にはこのような故郷の思い出があるでしょうか?
ある筈です。
日本中何処にでも故郷はあるのです。そして故郷の思い出は財産です。とくに高齢者になってみると、「故郷の思い出」こそが大切な財産になるのです。
そのような皆様の思い出をコメントにご投稿して頂ければ大変嬉しく思います。