秋山郷は13の山間集落の総称です。新潟県の8つの集落と長野県の5つの集落があります。すべて深い深い山奥にあり現在でも交通が不便で都会とは隔絶した文化を有している所です。
以下にWikipedea「秋山郷」の説明文をご紹介いたします。
出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E9%83%B7 です。
=========秋山郷とは==============
秋山郷(あきやまごう)は、新潟県中魚沼郡津南町と長野県下水内郡栄村とにまたがる中津川沿いの地域の名称。東を苗場山、西を鳥甲山に挟まれた山間地域で、日本の秘境100選の1つである。新潟県側に8つ、長野県側に5つの集落がある。
平家の落人伝説が残る(平家一門である平勝秀が落ち延びたとされる)。狩猟(特にクマ狩り)や焼畑を行っていたことでも知られる。また、交通・通信が不便で、豪雪地帯でもあったことから、独特の生活習慣が残されてきた。 江戸時代には、塩沢出身の文人鈴木牧之の著書『秋山記行]や『北越雪譜』、また昭和になってからは、地理学者の市川健夫によってこれらの自然や歴史、風俗習慣が紹介された。
交通の便が悪く、近年まで冬季には隔絶されるケースが多く何度も飢饉、飢餓が発生し、時に村全体が全滅した。 現在は国道405号線が津南町大割野から切明まで通っている。また、長野県側からは奥志賀林道から雑魚川林道に分岐し、切明まで繋がる林道が整備されており、飢饉、飢餓の危険はなくなったが、依然秘境の面影を止めている。 また、秋山郷は、湯量豊富な温泉郷としても有名である。各集落には、それぞれ独自の源泉があり、温泉施設や温泉宿が存在する。
また長野県側では、長野県の民放テレビが全く映らない地域や、映っても信越放送と長野放送のみという地域も存在した。これら地域では、2010年秋にケーブルテレビ(栄村ケーブルテレビ)が整備され、長野県の民放テレビ全局が視聴可能となった。
歴史
現在の長野県・新潟県の境は、近代以前の信濃国と越後国の境を引き継いだものである。 近世には、越後側は8集落で結東村という一村を形成していた。信濃側は、現在の栄村役場付近の、いわば麓の村ともいうべき箕作村の枝村とされていた。 秋山郷の名の由来と考えられている大秋山という集落が信濃側にあったが、1783年(天明3年)の飢饉によって一村8軒が全滅したと『北越雪譜』に記されている。
昭和の初めに秋山郷を測量隊が訪れたところ、村人から「源氏はまだ栄えているか?」と尋ねられたという逸話が残る。当地に平家の落人伝説があることと、里から隔絶された秘境であることから生まれた伝説であろうと思われる。
集落
新潟県
- 穴藤(けっとう)
- 逆巻(さかさまき)
- 清水川原(しみずがわら)
- 上結東(かみけっとう)
- 見倉(みくら)
- 前倉(まえくら)
- 中ノ平(なかのたいら)
- 大赤沢(おおあかさわ)
長野県
- 小赤沢(こあかさわ):長野県側の中心的集落。
- 屋敷(やしき):
- 上野原(うえのはら):
- 和山(わやま):
- 切明(きりあけ):秋山郷の最南部であり、最奥の集落。
見どころ
日本は山国と言いますが、こんな山奥に何故人間が住むのでしょうか?飢饉で全部が死に絶えたという歴史を繰り返しても、山奥に連綿と人が住むのは何故でしょうか?
新潟県と長野県の県境にまたがる秘境の秋山郷はあまりにも山深いのでそこに人が住んでいるとは誰も知りませんでした。それが江戸時代に「北越雪譜」を書いて有名になった鈴木牧之が秋山郷に入り、「秋山紀行」を書き、人が飢饉にもめげず住み着いていることを報告しました。そして隔絶したの独特な風習を書いています。
秘境とはそういう場所なのです。
現在、秋山郷は舗装道路がついていますが大型バスは通行出来ません。津南町まで大型バスで行って、そこで小型バスや乗合タクシーに乗り換えて、山並み深く分け入ります。紅葉の山並みが幾重にも折り重なり、深い谷が小型バスを飲み込みそうで怖い道行きでした。
10月28日の午後にこの小型バスで観賞した紅葉の写真をお送りいたします。曇り日でしたので鮮明な写真が撮れませんでした。
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秋山郷を走り回っても人の住む集落は殆ど見えません。わずかに遥か彼方の谷底に2つほど見えただけです。
観光客はそこへ降りて行きません。観光収入などゼロです。ホテルも土産物屋も数軒あるだけです。観光客は大型ホテルの沢山ある志賀高原などに泊ります。
秘境ブームで多くの人が訪れる秋山郷の村落は江戸時代のままの生活を続けているのではないかと思ってしまいます。村落には観光客が下りて行きません。はるか谷底に質素な家々があるだけです。
しかし一方山々の紅葉は燦然と華やかに輝いているのです。
何か深く考えさせる旅でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)