後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

協調主義を強要する教育の弊害(2)人権意識の無い人間の群れ

2017年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人には人権意識があまり無いように私は感じています。戦後、マッカーサーのくれた憲法には「基本的人権の尊重」が格調高く謳われていいましたが生きることに必死だった当時の日本人にとっては馬耳東風でした。そして豊かになった現在でも日本では人権が軽ろんじられています。
その原因の一つに日本の学校教育があると考えられます。その理由で「協調主義を強要する教育の弊害」という連載を書き進めています。
第2回の今日は昨日の記事に対する3つのコメントをご紹介いたします。

まずFace Book で加治 敏男さんから頂いたコメントです。
(1) 後藤さんの日本の学校教育への問題提起は大変興味深いものです。 
運動会、学芸会、遠足などの授業(行事)は協調することを学ぶととされますが、どう見ても協調を強制している様子です。
このような教育では協調性のない子供は、発達障害でなくても差別されます。いじめの対象にもなりがちです。
このような教育で成人した人は、他人の苦しみや悲しみが分らない人になります。職場でも、いじめや差別をする人になってしまいます。この協調性の問題は職場だけでなく、退職した高齢者になってもついて回ります。老境が幸せでなくなる可能性さえあるのです。

次はフランス人と結婚し、子供さんやお孫さんの学校教育をフランスで体験したMotoko Boutdumonde さんという日本女性の方からのコメントです。
(2)フランスの学校制度の小学校では、多くの場合、担当の先生のスキルに依存しているところがあります。
担当の先生が音楽が出来れば音楽も授業になりますし、スポーツ嫌いの先生のクラスだと体操の時間はありません。
しかし、私の住んでいる町の小学校では、1、2年生はプールで水泳を習い、そのあとはオプティミストという小さなヨットを海で操るようなことはやっていましたよ。
図工のようなものは、父の日、母の日のプレゼントのを作るためにはやっています。
そもそも小学校には特に日本のように時間割がないのです。時間割が初めて出て来るのは中学校になってからです。小学校は5年制なので、中学は4年あります。
学校以外でのスポーツや芸術は、小さな町のクラブなので、結局は同級生や同じ学校の生徒に会うことは多いですね。パリの様な大きな町だったらどこで何をするかのチョイスは多いですから小さな町の事情とはちょっと違います。
何歳で、例えばスポーツを始めるかによって同じ年、同じ学年でもレベルが違うので、上級生も同級生も下級生も皆友達になるので、先輩・後輩という観念は少ないです。
私の子供達や孫たちの学校では、小学校時代は学年末、つまり6月に学園会みたいなのがありました。
つまり、小学校では学校や担任の先生によって大きな違いがあるというわけです。しかしフランス語や算数のような主要科目はしっかり教えています。
中学以降は「課外活動」というのが無いくらいで、後はそれほど日本とは変わりません。でも、科目によって教室が変わるので、やたらに重いカバンを持ってその度に移動します。国が違うと学校のシステムも変わりますね。

3番目のコメントはイギリスの学校で子供さんを育てたMionFさんという女性の方から頂いたコメントです。
(3)学校と言うのは不思議な場所です。不登校や引きこもりをする子はもちろん少数ですから、そんな子達こそ異常だ、何か問題がある、と言う見方もありますが、そもそも毎日ハッピーに問題なく学校に通う子供の方がおかしいんじゃない?と言う考え方もできませんか? 発達障害があってもなくても学校と言う集団生活にうまくはまれない子達の方が、感情面では成長が早くてて大人だったりすることもあります。知能指数(IQ)が高い場合もありますよね。
そんな事実があるにもかかわらず、日本の学校の集団教育にはまらない子ども達は恐ろしく不幸で混迷した学校生活を送ることになります。
日本にいる姪っ子は中学で不登校になりましたが、その子を見てそう思いました。私から見れば、それはひとえに発達障害を持つ子どもの人権が確立されていないからなのです。
しかし日本から出たことのない妹にはそれがわかりません。その打開策を求めて大変な苦しみを味わう事になったのです。本当は妹よりも日本の社会に原因があるのです。その日本の学校の集団教育を正せば、問題は霧消すると思います。
一言で申しますと、日本で発達障害のある子どもは不運で、イギリスのそういう子達は大変幸運だと言うことです。第一ひとクラスに30人もぶちこんで、補助の先生もつけずに、いつも忙しいと言って余裕のない日本の学校の先生の元で、そんな子が伸びていくなんて最初から無理です。
イギリスでは、日本みたいに公立の小中学校ならどれを選んでも大差なし、と言うわけではありません。この学校はどうかな、と思ったら親は校長先生に面会を申し込みます。校長は必ず会います。校長の理念で学校のカラーが全く違ってくるのです。
カリキュラム的には大差なくても、全人格教育のありようがBehavioral problemsやLearning difficultyを持った子には大きな違いをもたらします。
校長と面と向かって話をし、「この校長ダメだな」と思ったらどれほど設備が整っていても、進学校でも、まず親は入れません。自分の子は、他の子とは違うのです。自分の子に最適の学校を選ぶことは親の最大の責任です。集団になじめないような子であればなおさらです。ただ親が好きなだけリサーチしてこれと言う小中学校を選ぶ、そういう土壌が日本にあるのか疑問です。
===========================
私にはつけ加えることは一言もありません。皆無です。

しかし海外に駐在している日本人には2種類があることだけは是非指摘させて下さい。
欧米の学校は日本の大学受験に必要な教育をしないので文科省の管理運営している日本人学校に通学させる人と、欧米の現地の学校に通学させる人の2種類がいる事実です。
どちらでも良いことですが私は現地の学校に通学させる人の方を尊敬します。それは心豊かな人なのです。

今日の挿し絵代わりの写真は最近撮った梅の花々の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)