今日から「協調主義を強要する教育の弊害」と題する連載をいたします。
日本の教育が少しでも改善されるような問題提起です。
問題提起なので賛否両論があるのが自然です。コメントを歓迎いたします。
今日の趣旨は学校では国語、算数、理科、歴史、地理以外の科目は教えない方が良いという提案です。
そして学芸会や修学旅行や運動会などといった学校行事は一切止めるべきだという問題提起なのです。
日本の学校は協調主義を強要するあまり発達障害を持つ子供の人権を踏みにじっている恐れがあるのです。発達障害を持つ子供だけではありません。いろいろな意味でのマイノリティの人権が軽視されているのです。学校が地獄になっているのです。
この書き方に反発される方は以下のフランスの小学校の実態を書いた小文を読んでください。。
「パリの寸描、その哀歓(10)パリの小学生の生活」(2月9日掲載記事の抜粋)
・・・「学校行事」
一年が経過し、先生と話したり、子どもの友達を通じてお母さんたちともそこそこ付き合ううちに、いろいろなことが分かってきた。日本の学校では当たり前だと思っていることが、なんとも不思議なことが沢山あるのです。例えば学校行事が少ないことだ。公立の小学校ではどこも同じなのかどうかもわからない。各学校で自由なやりかたをゆるされているところもあるような気がする。少なくとも息子の入った小学校では、遠足や運動会、学芸会と言ったものはなく、親の参観日もなかった。息子のクラスでは一度動物園に行ったが、遠足のようにお弁当やお菓子持って行くわけではなく、バスで午後の半日を動物園見学に行くのだ。前以て親に知らされることもなく、息子から「来週動物園に行くことになったよ」と聞かされただけである。それでも普段と違うイベントを子どもたちは楽しんだことだろう。ルーブルや近代美術館では、時々学校からの見学の子ども達に出会うことがあったから、校外行事が全くないわけではないのだろうが、小学一年生ではまだ早い。学年が進んだら何かあるのかもしれない。行事ばかりではない。そもそも、体育とか、音楽、図工、家庭科と言った授業はない。第一設備もない。スポーツ、芸術などは、フランスでは各家庭で楽しむことで、学校の集団教育の中で教えることではないらしい。教室以外の設備は、給食室と台所があるらしい。給食は給食業者が各学校に昼前に車で配っているのを見かける。パンを切ったり、配膳したりするのは学校でするらしい。朝9時ごろに授業は始まり、昼休みを挟んで学校が終わるのは5時…何をそんなに勉強しているのだろう。
もっとも水曜日には各地区の学校とは別の施設で、“スポーツ & レジャー”という自由な活動があり、スポーツ(サッカー、バスケットボール、体操、フェンシング、そのほか)や図工(絵画、焼き物、工作、手芸)そのほか好きなものを選んで、指導者もついて、楽しんだり、技術を磨いたりする。僅かな1回分の給食費を払って午後5時まで思い思いに過ごすことができる。参加は全く自由だが、学校ではできない体育、図工の経験がここで補えるし、共働きの家庭にとっては、子どもを預かってくれる場としてなくてはならないシステムなのだ。我が家では日本語学級が水曜日だったので、この活動には参加せず、水曜日の午後は日本語の後で、同じ建物の中にあった柔道のクラブに通っていた。
学校行事は少ないが、それでも時々大きな行事や、印象に残るイベントらしきものがある。3年生の時には一度スポーツの時間があり、息子に言わせると「今日、バーズボール(英語読みをすればベースボール)という野球にとても似ている試合をやった」ということだった。また2月の謝肉祭のお祭りの時には仮装大会があり、子どもたちは思い思いに変身を楽しむ。女の子は一日お姫様やバレリーナになり、男の子はナポレオンになったり、海賊になったり、ターザンに変身する。仮装大会は子ども達には大人気のイベントである。
3年生の終わりに「今年は林間学校(classe verte =緑のクラス)に行けるかもしれないと」先生が言われたが、結局沙汰止みになった。
4年生の時にはclasse de neige = 雪のクラスと呼ばれるスキー学校があると冬休み前に発表があったが、クリスマス休暇が明けるとやはり中止になってしまった。市の予算が出ないのだという。残念。そういうときにあっさりと取り止めにするというのが分からない。学年によって行けたり、行けなかったりということが不公平だということにはならないらしい。親から費用を集めるということもしない。クレームをつける親もいない。「おやおや」と、どうでもよくなってしまうところがフランスらしいところなのだろう。・・・以下省略・・・
以上で重要なことは下の3点ではないでしょうか。
(1)小学校では、遠足や運動会、学芸会と言ったものはなく、親の参観日もなかった。
(2)そもそも、体育とか、音楽、図工、家庭科と言った授業はない。第一設備もない。スポーツ、芸術などは、フランスでは各家庭で楽しむことで、学校の集団教育の中で教えることではないらしい。
(3)水曜日には各地区の学校とは別の施設で、“スポーツ & レジャー”という自由な活動があり、スポーツや絵画、焼き物、工作、手芸などの図工から好きなものを選んで、指導者もついて、楽しんだり、技術を磨いたりする。参加は全く自由だが、学校ではできない体育、図工の経験がここで補える。
フランスの公的な小学校では余計な学校行事はしないが結構、自由で楽しそうです。日本のように全体主義的な雰囲気がありません。個人の人権を大切にしているようです。
さて今日は長くなるので協調主義を強く教え過ぎると生まれつき協調性の無い発達障害の子供にとって学校が何故地獄になるかという問題には触れません。触れませんがそういう子供にとってフランスの小学校の方が良いと想像できます。
今日の挿し絵代わりの写真は川合玉堂の日本画3点です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7f/163d900e2bd9047f3f01ed3ba7130cef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/39/1da174f6710a0b3d2b3f3731c3c76175.jpg)
日本の教育が少しでも改善されるような問題提起です。
問題提起なので賛否両論があるのが自然です。コメントを歓迎いたします。
今日の趣旨は学校では国語、算数、理科、歴史、地理以外の科目は教えない方が良いという提案です。
そして学芸会や修学旅行や運動会などといった学校行事は一切止めるべきだという問題提起なのです。
日本の学校は協調主義を強要するあまり発達障害を持つ子供の人権を踏みにじっている恐れがあるのです。発達障害を持つ子供だけではありません。いろいろな意味でのマイノリティの人権が軽視されているのです。学校が地獄になっているのです。
この書き方に反発される方は以下のフランスの小学校の実態を書いた小文を読んでください。。
「パリの寸描、その哀歓(10)パリの小学生の生活」(2月9日掲載記事の抜粋)
・・・「学校行事」
一年が経過し、先生と話したり、子どもの友達を通じてお母さんたちともそこそこ付き合ううちに、いろいろなことが分かってきた。日本の学校では当たり前だと思っていることが、なんとも不思議なことが沢山あるのです。例えば学校行事が少ないことだ。公立の小学校ではどこも同じなのかどうかもわからない。各学校で自由なやりかたをゆるされているところもあるような気がする。少なくとも息子の入った小学校では、遠足や運動会、学芸会と言ったものはなく、親の参観日もなかった。息子のクラスでは一度動物園に行ったが、遠足のようにお弁当やお菓子持って行くわけではなく、バスで午後の半日を動物園見学に行くのだ。前以て親に知らされることもなく、息子から「来週動物園に行くことになったよ」と聞かされただけである。それでも普段と違うイベントを子どもたちは楽しんだことだろう。ルーブルや近代美術館では、時々学校からの見学の子ども達に出会うことがあったから、校外行事が全くないわけではないのだろうが、小学一年生ではまだ早い。学年が進んだら何かあるのかもしれない。行事ばかりではない。そもそも、体育とか、音楽、図工、家庭科と言った授業はない。第一設備もない。スポーツ、芸術などは、フランスでは各家庭で楽しむことで、学校の集団教育の中で教えることではないらしい。教室以外の設備は、給食室と台所があるらしい。給食は給食業者が各学校に昼前に車で配っているのを見かける。パンを切ったり、配膳したりするのは学校でするらしい。朝9時ごろに授業は始まり、昼休みを挟んで学校が終わるのは5時…何をそんなに勉強しているのだろう。
もっとも水曜日には各地区の学校とは別の施設で、“スポーツ & レジャー”という自由な活動があり、スポーツ(サッカー、バスケットボール、体操、フェンシング、そのほか)や図工(絵画、焼き物、工作、手芸)そのほか好きなものを選んで、指導者もついて、楽しんだり、技術を磨いたりする。僅かな1回分の給食費を払って午後5時まで思い思いに過ごすことができる。参加は全く自由だが、学校ではできない体育、図工の経験がここで補えるし、共働きの家庭にとっては、子どもを預かってくれる場としてなくてはならないシステムなのだ。我が家では日本語学級が水曜日だったので、この活動には参加せず、水曜日の午後は日本語の後で、同じ建物の中にあった柔道のクラブに通っていた。
学校行事は少ないが、それでも時々大きな行事や、印象に残るイベントらしきものがある。3年生の時には一度スポーツの時間があり、息子に言わせると「今日、バーズボール(英語読みをすればベースボール)という野球にとても似ている試合をやった」ということだった。また2月の謝肉祭のお祭りの時には仮装大会があり、子どもたちは思い思いに変身を楽しむ。女の子は一日お姫様やバレリーナになり、男の子はナポレオンになったり、海賊になったり、ターザンに変身する。仮装大会は子ども達には大人気のイベントである。
3年生の終わりに「今年は林間学校(classe verte =緑のクラス)に行けるかもしれないと」先生が言われたが、結局沙汰止みになった。
4年生の時にはclasse de neige = 雪のクラスと呼ばれるスキー学校があると冬休み前に発表があったが、クリスマス休暇が明けるとやはり中止になってしまった。市の予算が出ないのだという。残念。そういうときにあっさりと取り止めにするというのが分からない。学年によって行けたり、行けなかったりということが不公平だということにはならないらしい。親から費用を集めるということもしない。クレームをつける親もいない。「おやおや」と、どうでもよくなってしまうところがフランスらしいところなのだろう。・・・以下省略・・・
以上で重要なことは下の3点ではないでしょうか。
(1)小学校では、遠足や運動会、学芸会と言ったものはなく、親の参観日もなかった。
(2)そもそも、体育とか、音楽、図工、家庭科と言った授業はない。第一設備もない。スポーツ、芸術などは、フランスでは各家庭で楽しむことで、学校の集団教育の中で教えることではないらしい。
(3)水曜日には各地区の学校とは別の施設で、“スポーツ & レジャー”という自由な活動があり、スポーツや絵画、焼き物、工作、手芸などの図工から好きなものを選んで、指導者もついて、楽しんだり、技術を磨いたりする。参加は全く自由だが、学校ではできない体育、図工の経験がここで補える。
フランスの公的な小学校では余計な学校行事はしないが結構、自由で楽しそうです。日本のように全体主義的な雰囲気がありません。個人の人権を大切にしているようです。
さて今日は長くなるので協調主義を強く教え過ぎると生まれつき協調性の無い発達障害の子供にとって学校が何故地獄になるかという問題には触れません。触れませんがそういう子供にとってフランスの小学校の方が良いと想像できます。
今日の挿し絵代わりの写真は川合玉堂の日本画3点です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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