後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

世界の戦争(4)北朝鮮のアメリカへの憎悪の原因とその戦略

2017年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム
この連載記事の前回は、『世界の戦争(3)朝鮮戦争以来の米国の北朝鮮への憎しみ』というもので、5月4日 に掲載しました。
何故、アメリカはカール・ヴィンソン航空母艦打撃艦隊を日本海へ送って、北朝鮮に武力的な威圧を行っているのでしょうか?
答は北朝鮮とアメリカは朝鮮戦争以来ずっと戦争状態が続いているからです。
アメリカは北朝鮮と1950年から1953年まで大戦争をしたのです。この朝鮮戦争以来、北朝鮮とは戦争状態を続けているのです。停戦協定はあるのですが、北朝鮮はその停戦協定を度々破り韓国を攻撃しているのです。
その上、北朝鮮はアメリカを悪の帝国主義国家と公言し、あしざまに誹謗する発言を執拗に繰り返しているのです。
前回は以下のような順序で、この戦争の概略を説明しました。
(2)開戦から休戦協定までの経緯
(3)何故、国連軍と北朝鮮・中国連合軍との大戦争になってしまったか?
(4)朝鮮戦争による双方の人的損害
そして現在、北朝鮮は敵対姿勢を崩さずに核兵器を開発し、アメリカ本土攻撃用の長距離弾道ミサイルの開発もしているのです。
これが前回の記事の概要でした。

さて、この記事を読んだ友人の、でいしゅうさんという方から次のようなコメントが来たのです。
『失礼ながら、この解説記事はあまりにもアメリカ寄りですね。歴史を一方的な視点でのみ見る事は良くありません。場合によっては強者の提灯持ちになります。』
このコメントはもっともなコメントです。日米安保体制を受け入れている日本の人間として、私は無意識のうちにアメリカの立場を擁護するような筆致になっていたのです。
そこで今日は北朝鮮の立場になってアメリカを憎む原因を考えて見たいと思います。そしてアメリカに対する北朝鮮の言い分と戦略も考えてみたいと思います。
しかし感情的な議論を避けるために、まず北朝鮮の人々の暮らしぶりの現状を写真で示したいと存じます。

(1)北朝鮮の人々の暮らしぶりの現状の写真
そのような写真をいろいろ探しました。そうしたら砂子間正貫さんが2017年2月27日に発表した、『実話、5年前「北朝鮮」に行ったときの話』という記事を見つけました。URLは、http://rocketnews24.com/2017/02/27/866783/2/ です。
以下はこの記事からお借りした平壌市の人々の日常の様子です。

1番目の写真は平壌市の地下鉄の駅の光景です。地下鉄は「核シェルター」としての役割もあるらしく深さは平均90m、ざっと大江戸線の倍以上といった感じだそうです。彼が利用した「復興駅」は、地上からホームまで1本のエスカレーターで約3分かかったそうです。
この写真には実にいろいろな人が写っています。日本とあまり変わらない様子です。

2番目の写真は地下鉄の車内風景です。人々はくつろいだ様子でボンヤリしています。

3番目の写真は街路で見た母子の写真です。サッカーの練習に行く息子と若い母が並んで歩いています。右の若い女は日焼けを防ぐ日傘をさしています。

4番目の写真は道端にしゃがんでお喋りを楽しんでいる中年のおばさん達です。このように「しゃがむ」のは古い朝鮮文化のようです。韓国の街路ではもう見かけられません。

5番目の写真はカラオケ会場で見かけた美人のようです。制服をきているので係員かもしれません。この2人の表情をよく見ると、昔の日本女性に見られた素直さ、そして美しさがあると感じました。
そして砂子間正貫さんが書いています。『北朝鮮がヤバイ国なのは知っているが、出会った彼らまでは嫌いになれない……偏った思想に違和感を覚えることはあったが「カラオケの時に必死に高音を出そうとする姿」などは、正直私たちと何も変わらないとも思った。彼らは今も元気に暮らしているのだろうか……どのような人生を送っているのだろうか? 北朝鮮の人々がもっともっと平和な生活ができることを願っている。』

(2)北朝鮮は何故アメリカを憎悪しているのか?

戦後に北朝鮮と韓国の2つが建国されましたが、南北の軍事バランスは北朝鮮が優勢だったのです。朝鮮戦争の初戦は北朝鮮が優勢で、韓国、アメリカ軍を釜山まで追い詰め、完全勝利の状況に至ります。これで朝鮮半島の全土が北朝鮮の共産党の支配下になる筈でした。
ところがアメリ軍が突然、朝鮮半島の北部にある仁川に奇襲上陸し、北朝鮮軍の補給路を完全に分断します。
その結果、北朝鮮軍は一旦、壊滅したのです。
仁川上陸で勢いのついた米韓軍は38度線を越え、中国との国境の鴨緑江まで進撃したのです。この事態を受け、中国人民義勇軍が人海戦術で米韓軍を押し返したのです。そのおかげで朝鮮半島の北半分を北朝鮮が確保できたのです。
アメリカさえ参戦しなかったら朝鮮半島の全土が北朝鮮のものになったのです。そのアメリカへ対する怨念が現在まで続いているのです。
朝鮮戦争が停戦したのが1953年です。それから64年経過してもこの怨念が消えないのは北朝鮮が金一族の世襲による独裁政治のためなのです。その考察は今日は省略します。

(3)北朝鮮が核兵器、長距離ミサイルの開発をする理由

北朝鮮はアメリカの武力行使を恐れています。一旦アメリカが攻撃してきたら北朝鮮は壊滅する可能性があります。それを防止する唯一つの方法は核兵器を実戦配備し、長距離ミサイルでアメリカ本土を攻撃することです。
長年の盟友だったソ連が崩壊し、残る中国も最近は北朝鮮から離れようとしています。北朝鮮は孤立無援になりつつあるのです。
このような状況では核兵器、長距離ミサイルの開発を急がなければなりません。
アメリカが脅すなら核兵器の開発を秘密裡に静かに実行するだけです。
平壌市の地下鉄の駅を地下90mに作り、アメリカとの核戦争の準備は出来ています。北朝鮮は必ず核武装してアメリカに対抗します。
以上が彼等の外交方針なのです。外交交渉によらずに自国を守ろうとしているのです。

北朝鮮は勝手に日本人を拉致しました。許すわけにはいきません。
しかし彼等は日本統治時代に日本が朝鮮人を勝手に連行したという誤解を真実と信じているのかも知れません。
このようにグローバル化した地球上でこれほど孤立した国家が存在しているのです。今日は彼等の言い分を想像して書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今年もジャーマンアイリスの花が咲きました

2017年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム
今年もジャーマンアイリスの花が庭に咲きました。
もう何年も以前に近所の上品な老婦人に頂いた花です。

ある秋の日に近所の数寄屋風の家の前を通りかかるとナナカマドが見事に紅葉しています。庭にいたご夫婦に挨拶し写真を撮らせて頂きました。その後家内が数枚の写真をお届けしてお話を伺ったそうです。間もなくご主人が亡くなり、残ったご婦人と家内が文学の会で随分と長いお付き合いをしていました。旅に出ると、かならずお土産を届けてくれるのです。
何というか貴婦人のような方なのです。綺麗な声音で言葉が美しくて、何時も姿勢が良いのです。かなりの高齢でしたが顔が美しく輝いているのです。
音楽や絵画のご趣味が豊かで、何にでも好奇心を持っていらっしゃると家内はとても尊敬しておりました。
私は家内ととても仲の良い友人になってくれたことに感謝していました。時々会うたびに、こういう女性を貴婦人と言うのだなと思っていたのです。
その方が亡くなっててから、もう7年近くなるでしょうか。頂いたジャーマンアイリスが今年も庭に咲きました。
亡くなったあの方があの世から我々に微笑んでいるようです。

1番目の写真がそのご婦人から頂いたジャーマンアイリスです。

2番目のこのような花が年々歳々,10輪ほど咲きます。

このような色のアイリスだけでは淋しいと思われる方がいるかも知れません。そこで毎年写真を撮りに行くアイリスの畑の写真もお送りいたします。

3番目の写真は白いアイリスの花です。

4番目の濃い紫と白色が美しいアイリスの花です。

5番目の花はその花畑に初めて植えてあった珍しいクレマチスという花です。

このように庭にはいろいろな思い出に繋がった花が幾つかあります。
庭は良いものですが、一方では雑草を取ったり庭木の枝を切ったりの労働が次第に出来なくなります。
皆様の庭にはそのような花がありますでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)