昨日、「見えない障害のために転職を繰り返す人とその周りの方に贈る書」という記事を掲載しました。
この記事では子供達の脳の種々の機能の発達障害を知らないで、精神の問題と間違ってしまう場合が多いと指摘しました。その結果、間違った対応をして不幸を招くことが多いのです。すなはち脳の発達にハンディキャップがあるのに精神の問題だと間違うのです。
昨日の記事の目的は脳の機能の発達障害としての自閉症スペクトグラムの症状を正しく理解して貰い、不必要な不幸を絶対に避けることを目的にしていました。
昨日の記事は非常に重要な問題を取り上げているので、再び考えてみたいと思います。
昨日の記事では以下のような文章があります。
・・・この障害は精神の障害と思われがちですが、実際には脳の機能障害だそうです。障害という言葉を使うことには迷いがありますが、持って生まれた特質や、傾向が社会の中で生きていくのに困難となる場合(社会参加ができない場合)、障害と呼ばれます。発達障害の種類については現在の分類は私にはよく分かりません。20年前に広汎性発達障害とか、アスペルガー症候群と呼ばれていたものを最近は自閉症スペクトラムと呼ぶようです。これらが自閉症の連続の中にあると分かってきたからでしょう。・・・
・・・症状ですが、集団になじめないことこそが端的にアスペルガー症候群の特徴のようでした。アスペルガー症候群または自閉症スペクトラムとひとくくりに言っても、ひとりひとりは実に様々な人間像を持っていて、共通項は何かというと、はっきりしているのは、人間関係の困難を抱えていること、こだわりが強い(こだわりの対象は個々違うのですが)ことの2つのような気がします。体力も、能力も、性格も様々で、その辺に共通項はないように思いますが、ただこだわりが強い分、神経質で、好みの許容範囲が狭い気がしますし、神経が耐えない場面では疲れやすく苛立ちやすいように見えます。2つの特徴以外にもこの障害の特徴とされることはいくつもありますが、現れ方に違いや差があって分かりづらいこともあるので専門家でない私が説明をすることはできません。・・・
簡単に言ってしまえば家族以外の他人と良い関係が作れない。知的に優れている場合には「こだわり」が強いので仕事を任せれば立派な成果を上げることがある。
こんな人を見つけたらつい説教したくなるものです。
「もっと社交的に振る舞え!」とか「この世では協調性が重要なのだよ。協調性は相手の考えを想像すれば自然に生まれるものだ! 努力が足りなのだ!」とか「努力が出来ないのは意志薄弱なのだ」というような説教をする人が多いのです。特に学校の先生や職場の上司はこのような指導をします。
このような説教を、自閉症スペクトラムの生徒や部下にしても、それを行う脳の機能が無いので絶対無理なのです。無理なことを強要する先生や上司は悪魔のように見えます。人間関係が最悪になります。その結果、不登校や転職をすることになります。本人も周囲の人もみんな不幸になるのです。
説教は禁物だとしたらどのような対応が良いのでしょうか?
昨日の記事の以下の分部がその答えです。
・・・・息子に「この障害を持つ子供に対して親や家族は何ができるかしら」と聞いてみたことがあります。返ってきた言葉は「愛すること」でした。親や家族の愛情が伝わって、安心して子供が育つことの大切さを親は強く自覚しなければと思います。障害のあるなしにかかわらずですが… 発達障害などを抱えている子どもは、独特の生理的感覚、感じ方や考え方を持っていて、悪意はないのですが、振舞いが普通とは違い、他の人との距離感が分からずに行動することが多いので、子どもの頃から叱られたり、非難されたり、苛められることが多くなりがちです。そういう状況が長く続くと、自分は不出来な人間だと思い込み、追い詰められ、意欲を失うことにつながります。そのまま成人すると社会参加が難しくなります。
息子にさらに「愛するってどういうこと?」と聞くと「信じて待つこと」という答えでした。社会性の発達の遅い彼等ですが、彼等はゆっくり考え、学び、成長しているのです。その成長を信じて待つことが大切だと思いました。息子は、「当人の基準と普通と言われる基準との差があるために、違いを理解するのに時間が必要になる。普通との違いから人間関係が不通になり、人間関係を学ぶ機会が少なくなる。結果として社会における在り方、社会性の習得が遅くなる。」と分析しています。
私は愛され、信頼された人間が、愛され、信頼される人間に、そして人を愛し、信じる人間になるのだと思っています。どの親も成人する前に、社会に出ていく最低限の力をつけてやりたいと思うのですが、思い通りになるとは限りません。そんな時も、親は世間の常識の方を向くのでなく、子どもが自分らしく生きることを時間をかけて応援してやりたいものです。
職場の対処はどうでしょうか。対処の仕方によって、社会参加の成否が決まることは確かです。今では受け入れ態勢の整った会社ではジョブコーチを置いて、発達障害の特徴をわかったうえで指導しているところもあるようです。ただ、皆が恵まれた環境で働けるわけではないし、どんなに善意で指導しても、うまく行く場合と、そうでない場合はあるでしょう。障害者の指導をするのも大事ですが、一般の人達にこのような障害があること、どのような弱点があり、どのような長所があるという説明(職場教育)をすること、そして許容性のある職場づくりをすることが効果的ではないかと私は思います。障害者がいるいないにかかわらず、日本の社会は学校も職場も許容性という意味では狭い社会のような気がします。・・・
以上を要約します。
家族は発達障害の子供を強く気長に愛することです。母親の愛情が状況を良い方向へ変えるのです。
職場ではその人の才能を信じ、仕事をまかせ、仕事の仕方に干渉しないことです。職場での団結や協調性の強要は絶対に禁物なのです。
昨日の記事にはもっと他にも重要な点がありますが、今日はこの位にしておきます。
今日のさしえ代わりの写真は近所のナンジャモンジャの並木の花の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
この記事では子供達の脳の種々の機能の発達障害を知らないで、精神の問題と間違ってしまう場合が多いと指摘しました。その結果、間違った対応をして不幸を招くことが多いのです。すなはち脳の発達にハンディキャップがあるのに精神の問題だと間違うのです。
昨日の記事の目的は脳の機能の発達障害としての自閉症スペクトグラムの症状を正しく理解して貰い、不必要な不幸を絶対に避けることを目的にしていました。
昨日の記事は非常に重要な問題を取り上げているので、再び考えてみたいと思います。
昨日の記事では以下のような文章があります。
・・・この障害は精神の障害と思われがちですが、実際には脳の機能障害だそうです。障害という言葉を使うことには迷いがありますが、持って生まれた特質や、傾向が社会の中で生きていくのに困難となる場合(社会参加ができない場合)、障害と呼ばれます。発達障害の種類については現在の分類は私にはよく分かりません。20年前に広汎性発達障害とか、アスペルガー症候群と呼ばれていたものを最近は自閉症スペクトラムと呼ぶようです。これらが自閉症の連続の中にあると分かってきたからでしょう。・・・
・・・症状ですが、集団になじめないことこそが端的にアスペルガー症候群の特徴のようでした。アスペルガー症候群または自閉症スペクトラムとひとくくりに言っても、ひとりひとりは実に様々な人間像を持っていて、共通項は何かというと、はっきりしているのは、人間関係の困難を抱えていること、こだわりが強い(こだわりの対象は個々違うのですが)ことの2つのような気がします。体力も、能力も、性格も様々で、その辺に共通項はないように思いますが、ただこだわりが強い分、神経質で、好みの許容範囲が狭い気がしますし、神経が耐えない場面では疲れやすく苛立ちやすいように見えます。2つの特徴以外にもこの障害の特徴とされることはいくつもありますが、現れ方に違いや差があって分かりづらいこともあるので専門家でない私が説明をすることはできません。・・・
簡単に言ってしまえば家族以外の他人と良い関係が作れない。知的に優れている場合には「こだわり」が強いので仕事を任せれば立派な成果を上げることがある。
こんな人を見つけたらつい説教したくなるものです。
「もっと社交的に振る舞え!」とか「この世では協調性が重要なのだよ。協調性は相手の考えを想像すれば自然に生まれるものだ! 努力が足りなのだ!」とか「努力が出来ないのは意志薄弱なのだ」というような説教をする人が多いのです。特に学校の先生や職場の上司はこのような指導をします。
このような説教を、自閉症スペクトラムの生徒や部下にしても、それを行う脳の機能が無いので絶対無理なのです。無理なことを強要する先生や上司は悪魔のように見えます。人間関係が最悪になります。その結果、不登校や転職をすることになります。本人も周囲の人もみんな不幸になるのです。
説教は禁物だとしたらどのような対応が良いのでしょうか?
昨日の記事の以下の分部がその答えです。
・・・・息子に「この障害を持つ子供に対して親や家族は何ができるかしら」と聞いてみたことがあります。返ってきた言葉は「愛すること」でした。親や家族の愛情が伝わって、安心して子供が育つことの大切さを親は強く自覚しなければと思います。障害のあるなしにかかわらずですが… 発達障害などを抱えている子どもは、独特の生理的感覚、感じ方や考え方を持っていて、悪意はないのですが、振舞いが普通とは違い、他の人との距離感が分からずに行動することが多いので、子どもの頃から叱られたり、非難されたり、苛められることが多くなりがちです。そういう状況が長く続くと、自分は不出来な人間だと思い込み、追い詰められ、意欲を失うことにつながります。そのまま成人すると社会参加が難しくなります。
息子にさらに「愛するってどういうこと?」と聞くと「信じて待つこと」という答えでした。社会性の発達の遅い彼等ですが、彼等はゆっくり考え、学び、成長しているのです。その成長を信じて待つことが大切だと思いました。息子は、「当人の基準と普通と言われる基準との差があるために、違いを理解するのに時間が必要になる。普通との違いから人間関係が不通になり、人間関係を学ぶ機会が少なくなる。結果として社会における在り方、社会性の習得が遅くなる。」と分析しています。
私は愛され、信頼された人間が、愛され、信頼される人間に、そして人を愛し、信じる人間になるのだと思っています。どの親も成人する前に、社会に出ていく最低限の力をつけてやりたいと思うのですが、思い通りになるとは限りません。そんな時も、親は世間の常識の方を向くのでなく、子どもが自分らしく生きることを時間をかけて応援してやりたいものです。
職場の対処はどうでしょうか。対処の仕方によって、社会参加の成否が決まることは確かです。今では受け入れ態勢の整った会社ではジョブコーチを置いて、発達障害の特徴をわかったうえで指導しているところもあるようです。ただ、皆が恵まれた環境で働けるわけではないし、どんなに善意で指導しても、うまく行く場合と、そうでない場合はあるでしょう。障害者の指導をするのも大事ですが、一般の人達にこのような障害があること、どのような弱点があり、どのような長所があるという説明(職場教育)をすること、そして許容性のある職場づくりをすることが効果的ではないかと私は思います。障害者がいるいないにかかわらず、日本の社会は学校も職場も許容性という意味では狭い社会のような気がします。・・・
以上を要約します。
家族は発達障害の子供を強く気長に愛することです。母親の愛情が状況を良い方向へ変えるのです。
職場ではその人の才能を信じ、仕事をまかせ、仕事の仕方に干渉しないことです。職場での団結や協調性の強要は絶対に禁物なのです。
昨日の記事にはもっと他にも重要な点がありますが、今日はこの位にしておきます。
今日のさしえ代わりの写真は近所のナンジャモンジャの並木の花の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)