後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

潮来のあやめ祭りものがたり

2017年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年、茨城県の潮来では『潮来あやめ祭り』を開催しています。それは色とりどりのアヤメが一面に咲く華やかな花まつりです。
花菖蒲もアヤメもカキツバタも見分けがつきません。でも潮来では昔から「あやめ祭り」と言っています。
この『潮来あやめ祭り』は以前から関東地方では有名です。そして昭和30年3月に美空ひばりさんの「娘船頭さん」のロケが水郷潮来で行われたのがきっかけとなり、その名は全国的にも知られるようになったのです。
美しい娘さんが船頭になった小さな船に観光客が乗り、水郷を巡りながらアヤメの花を楽しむのです。何かロマンチックで美しい風景です。
私も長い間、潮来につながる霞ヶ浦でヨットをしていたので一度行って見たいと思っていました。
そこでついに2008年の6月17日に行ったのです。それでは写真に従ってお話を進めて行きたいと思います。

1番目の写真は先程庭で撮った我が家の潮来から移住してきたアヤメです。まだ葉だけですが蕾が数個ついているので今年も咲くでしょう。

2番目の写真は2008年6月10日頃に妻が岸壁の上から私とヨットを取った写真です。
私がジブ・シートを手放してしまい、ヨットが傾いて怖い思いをしている場面です。こんな見っともない写真は珍しい光景なので忘れられません。

3番目の写真は妻をヨットに乗せ、霞ヶ浦の沖に出た時の風景です。はるか沖の東端の潮来までヨットで行けないかどうか調べるために沖へ沖へと走りました。湖の中央まで行くと東端の岸辺が見えます。なんとそこには低い橋がかかっているのです。
帆柱の高いヨットは到底通過出来ません。仕方がないので、その日はそのまま帰って来ました。
そして一週間後、今度は私が独りで土浦港から高速ジェットホイル船に乗って、霞ヶ浦を横断して潮来まで行きました。この観光船は何時もは霞ヶ浦を一周している遊覧船です。しかし『潮来あやめ祭り』の期間中だけ潮来と土浦港を直行で往復しているのです。

4番目の写真はとそれ以下の写真はこうして潮来に行って撮った写真です。
お祭りなので、あやめの咲いている周囲の路地には露天が沢山出ています。根のついた色々な色彩のアヤメの株も売っています。
数株買って来ました。それ以来、9年になりますが、毎年、毎年、我が家の庭に潮来のアヤメが咲いています。

このように花のある場所を訪れたら、根の着いた花の株を買うようににしています。
伊豆半島の下田の爪木岬では野生の日本水仙を買いました。それも毎年、春に花を咲かせています。

潮来では娘船頭さんの小舟で水郷巡りもしました。帰宅した私に妻が、「娘船頭さんは可愛かったでしょうか?」と聞きます。私は苦笑いをしながら、「美空ひばりさんの『娘船頭さん』という映画のあった50年前の可愛い娘さんがそのまま年を経て船頭さんをしてた。ご想像にまかせます」とだけ答えておきました。

こんな写真を撮ってから9年になります。月日の流れは早いですね。
年老いて体力も無くなり6年前にヨットも止めました。
皆様には花にまつわる楽しい思い出はございますでしょうか?ご投稿をお待ちしています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料====================
潮来市の観光の歴史;http://www.city.itako.lg.jp/index.php?code=1175

潮来市は、古くから水運陸路の要所として栄え、大化の改新のころ国府(現在の石岡市)から鹿島神宮ヘ通じる駅路「板来の駅」を設けたのがまちの始まりだと伝えられています。その昔は、地名を「伊多古」「伊多久」と称し、また常陸風土記には「板来」と書かれていたのを、元禄年間に徳川光圀公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改め、今日に至っていると云われています。
近世になると、奥州諸藩の物産を集めて江戸に向かう千石船が銚子河口から利根川にて潮来に至り、潮来で1~2反帆の高瀬舟に積み荷の積み替えを行い、前川は行き交う大小の船で賑わい、荷の揚げ降ろしの船付場(河岸)が続き中継港として大いに繁栄をしました。
しかし、潮来が大いに繁栄したのは、この江戸時代中期ころまでであり、元文年代(1736~1740年)の大洪水で利根川の本流が佐原地方に移ると、中継港としての機能を失ってしまいました。

さらに、明治に入って常磐線が開通し、陸運が盛んになってからは、水運は一挙に衰退し、それに歩調を合わせるかのようにして潮来も寂れてしまいました。
それ以来、この地方では、産業らしき産業もなかったことから、地元の若い娘の収入源として、観光客の案内を兼ねてサッパを操ったところ観光客に好評を博したことから“娘船頭さん”として知られるようになりました。
昭和30年3月には、美空ひばりさんの「娘船頭さん」のロケが水郷潮来で行われたのがきっかけとなり、その名は全国的に知られるようになりました。
この地方は、周囲を水に囲まれた水郷地帯であったことから、この地域一体には水路(江間)が縦横に張りめぐらされ、嫁入りする際に花嫁や嫁入り道具を運搬するときにもサッパ舟が使われており、昭和30年前半ごろまでは日常的に行われていました。
この嫁入舟が、全国的に知られるようになったのは、昭和31年10月に松竹映画「花嫁募集中」とタイアップし“ミス花嫁”を募集したことがきっかけとなり、花村菊江さんが歌った「潮来花嫁さん」の大ヒットによりさらに全国的に知られるようになりました。