後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

八王子の多摩御陵への道のイチョウの黄葉

2017年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
今年は多摩御陵へ続く甲州街道のイチョウ並木の黄葉が、例年より早く始まると思い昨日行ってみました。
そうしたら黄葉が始まっていました。例年より2週間ほど早い黄葉です。
ちなみに今年の「八王子いちょう祭り」は以下のように開催されます。
本年のテーマ
『市制100周年記念事業』『東日本大震災復興応援事業』
<Say YES! Smile together! ~みんな 笑顔で!~>
開催日時;
2017年11月18日(土)9:00〜17:00
2017年11月19日(日)9:00〜16:30
会場;
八王子市甲州街道(国道20号)追分町交差点〜小仏関跡・陵南公園本園・陵南公園分園・陵南いちょう会館跡地・旧免許更新所駐車場・長房市民センター・浅川市民センター・原児童遊園・原宿ふれあい広場・横山事務所・八王子市立中央図書館・東浅川公園・交通公園ほか
主催;八王子いちょう祭り祭典委員会

それはそれとして昨日、撮って来た写真をお送りいたします。
場所は多摩御陵に近い甲州街道です。
お楽しみ頂けましたなら嬉しく思います。













4000年前の三星堆遺跡からの出土品と少数民族、彝族との関係は?

2017年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
趣味にはいろいろあります。私の趣味は若い頃から比較文化人類学でした。素人の趣味ですから間違った予測や結論になりますが楽しい趣味です。
最近のテーマは、「4000年ほど前にあった古蜀という国を作った民族と現在の中国南部の雲南省の険しい山々に住む彝(イ)族との関係」を調べることです。なお古蜀とは三国志の蜀のあった場所に存在していた古代の蜀の呼び名です。
何故、これが面白いテーマなのでしょう。それは古蜀という国を作った民族が忽然と消えてしまったからです。
しかしその一方、現在生存している彝(イ)族が、消えた古蜀の人々の子孫だという仮説があるのです。
根拠は古蜀文化の三星堆遺跡からの出土品の文字が現在の彝族の使っている文字に似ているからです。
彝族文字は漢字とまったく違います。写真をご覧下さい。

1番目の写真は現在の彝語で書かれた四川省涼山イ族自治州人民政府の北京事務所の看板です。
写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25058012538&GroupCD=0&no= です。
写真の上の方にあるのが現在の彝族の文字なのです。
このように奇妙な字を見ると私の好奇心の血が騒ぐのです。
彝(イ)族が古蜀の人々の子孫だという仮説はまだ仮説であって学界の結論ではありません。
そこで今日は三星堆遺跡からの出土品と少数民族、彝(イ)族の両方についてご紹介したいと思います。

さて三星堆遺跡の説明から始めます。
紀元前2000年頃以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものです。
この三星堆遺跡からは、異様な造形が特徴な青銅製の仮面や巨大な人物像が多数出土しています。
三星堆の遺跡および文物の発見は 3、4千年前の中国の長江文明の古蜀王国の存在と中華文明起源の多元性を有力に証明していると考えられているのです。
上記の説明文と以下に示す写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%9F%E5%A0%86%E9%81%BA%E8%B7%A1 です。

2番目の写真は青銅神樹です。
三星堆遺跡の二号祭祀杭から1986年8月に出土した青銅製の扶桑樹です。「青銅神樹」と呼ばれています。
殷代晩期のもので、全高396cm、像高(樹高)384cm。3階層になっている幹の各層に3枝ずつが張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっています。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っています。

3番目の写真は青銅立人像です。
世界最大の青銅製人物立像で、直線的な造形をした高さ約260cmの像です。殷代晩期のもので、全高261cm、像高172cm、総重量180kg。1986年に二号祭祀杭より出土しました。丈の長い衣裳を身にまとった祭司の姿であり、巨大な両手で何かを抱え持っていたと思われるが、その何かは欠損しています。他の出土物から推定して、儀杖であった可能性が高いです。

4番目の写真は青銅人頭像です。
青銅製の頭部および頸部で構成された人頭像は、様々に異なる造形物が数多く出土しています。

5番目の写真は青銅戴冠縦目仮面です。
大きな耳と突出した眼を具えた神の頭部をかたどった仮面で、額から真上に向けて伸張する長大な額飾り(冠)を有します。日本語名は「青銅戴冠縦目仮面」です。殷代晩期のもので、幅78cm、高さ82.5cm。1986年に二号祭祀杭より出土しました。

6番目の写真は青銅大鳥頭です。
鷲の頭部をかたどった高さ40.3cmの祭具です。

写真では分かりませんが、これらの出土品には少数ながら彝族の文字に似た記号のような文字が刻まれているのです。

7番目の写真は現在の彝族が用いている祈祷書の文字です。、
この彝族の文字の写真の出典は、
https://blogs.yahoo.co.jp/masaki1234512345/64566442.html です。

さて彝族(イ族)とはどういう民族なのでしょうか?
彝族は中国の少数民族の一つです。2010年の第6次全国人口統計では人口は871万人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多いそうです。以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E6%97%8F からの抜粋です。

8番目の写真は民族衣裳を纏ったイ族女性です。
イ族(彝族)は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住しています。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われています。
精霊信仰を行い、ビモという司祭が先導すます。
雲南省にはイスラム教を信仰するイ族の集団もいますが、それらは、イスラム教を信仰するイ族なのか、イ語を話しイ族の文化に属する回族なのかは、明確には分別できていません。
雲南北西部と四川に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられています。
使用言語は彝語ですが、彝文字(ロロ文字)と呼ばれる表音文字を持っています。
現在の中国では彝族の自治州が雲南省に沢山あり、四川省や貴州省の各地にもあります。

さて冒頭に書いた4000年ほど前にあった古蜀という国と現在のイ族(彝族)の関係ですが、私の想像では古蜀が他の国に滅ぼされた時、古蜀人の一部が険しい山中に逃げ、そこに定住して彝族の一部になったということです。
いきなり話が飛びますが日本でも平家の落人が山間の村落に住み着いたのと同じような事情があったのでしょう。

これは趣味ですからこれから古蜀人と現在の彝族の関係をいろいろ調べ楽しんでいきたいと思っています。
もっと確かなことが分りましたなら又ご報告しようと思います。
雑な想像ですが、中国の南部の雲南省や西部の四川省の僻地にいる少数民族の一部は滅亡した数多くの中国の王朝の避難民の一部だったとも想像出来ます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)