今から2500年位も前から旧約聖書は書かれてきました。
その始めは創世記です。こんなことが書いてあります。
「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。・・・以下省略 」
教会のミサでは旧約聖書と使徒行録と福音書の一部を朗読します。
今日の旧約聖書の朗読の部分は箴言の第 31 章からの抜粋でした。
その内容が男はどのような女性と結婚したら幸せになれか?という現在でも大切な問題を取り上げているので面白かったです。そこで以下に箴言の第 31 章からの抜粋を示します。
だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。
彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。
また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。
彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
現在これから結婚しようとする男性が妻にする女性を選ぶ時、重要なことが書いてあるのです。
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまであるから女性の心と能力を見て判断しなさいと教えているのです。賢い女性はよく家族のために働き、その夫のために良いことをして、悪いことをしないから夫を生涯幸せにするのです。
現在の多くの男性はこのようなことは百も承知しています。しかしどうしても女性のあでやかさや美しさに惑わされるのです。
箴言の第 31 章にわざわざ書いてあるのは、当時のユダヤの男性も女性のあでやかさや美しさに惑わされていたことを暗示しています。
当時は一旦結婚すると離婚は出来ませんでした。
現在はキリスト教徒でも離婚をします。
カトリックでは離婚は原則的には禁止ですが、現実には離婚も多いのが実態です。
しかし夫婦はお互いに我慢して添い遂げることも幸せになる知恵かも知れません。
しかし離婚によって幸せになれるなら、それも仕方がありません。この場合でも子供の幸せも深く考えるべきです。難しい問題です。正解の無い問題です。そんなことを考えながら、国立市の青柳北緑地の紅葉の写真を撮って来ました。
その始めは創世記です。こんなことが書いてあります。
「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。・・・以下省略 」
教会のミサでは旧約聖書と使徒行録と福音書の一部を朗読します。
今日の旧約聖書の朗読の部分は箴言の第 31 章からの抜粋でした。
その内容が男はどのような女性と結婚したら幸せになれか?という現在でも大切な問題を取り上げているので面白かったです。そこで以下に箴言の第 31 章からの抜粋を示します。
だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。
彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。
また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。
彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
現在これから結婚しようとする男性が妻にする女性を選ぶ時、重要なことが書いてあるのです。
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまであるから女性の心と能力を見て判断しなさいと教えているのです。賢い女性はよく家族のために働き、その夫のために良いことをして、悪いことをしないから夫を生涯幸せにするのです。
現在の多くの男性はこのようなことは百も承知しています。しかしどうしても女性のあでやかさや美しさに惑わされるのです。
箴言の第 31 章にわざわざ書いてあるのは、当時のユダヤの男性も女性のあでやかさや美しさに惑わされていたことを暗示しています。
当時は一旦結婚すると離婚は出来ませんでした。
現在はキリスト教徒でも離婚をします。
カトリックでは離婚は原則的には禁止ですが、現実には離婚も多いのが実態です。
しかし夫婦はお互いに我慢して添い遂げることも幸せになる知恵かも知れません。
しかし離婚によって幸せになれるなら、それも仕方がありません。この場合でも子供の幸せも深く考えるべきです。難しい問題です。正解の無い問題です。そんなことを考えながら、国立市の青柳北緑地の紅葉の写真を撮って来ました。