後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教の簡単な説明(2)水を葡萄酒に変えたイエス

2017年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は読んで楽しい話と見てたのしい絵をご紹介いたします。お気軽にお楽しみ下さい。
お話は新約聖書に書いてあるキリストが水を葡萄酒に変えてみんなに振る舞ったという話です。
「カナの婚姻」という有名な話です。
結婚の宴席で葡萄酒が足りなくなりました。客として招待されていたイエスが6個の甕の水を葡萄酒に変えたのです。人々はそれを飲んでさらに楽しい宴席になったのです。非常に明快な個所なので以下に聖書の文をそのまま示します。

・・・それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。
すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、・・しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。・・彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」(ヨハネ2:1ー10 )・・・

この話の面白いところは宴席で酔いが回ったら悪い葡萄酒を出すという当時の知恵です。これは現在でも通用します。私は以前はまず上等なスコッチを一杯飲みます。少し酔ったら国産のウイスキーにしました。少し酔った後は何を飲んでも美味しいのです。
そのことをイエスさまも知っていたので、逆に上等な葡萄酒にしたのでしょう。親近感が湧きます。
それにしても自分の母であるマリアへ「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。・・・」と言ったことはイエスが不孝者だったことの証明です。そしてやがて十字架の刑で死んでしまうのです。母の目の前で息子が死刑になるのです。これほど不孝な話はありません。この悲劇を暗示している文章が、・・・わたしの時はまだ来ていません。」 ではないでしょうか。
それはそれとして、世話役が「・・・あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」という場面には思わずニヤリとします。

このように「カナの婚姻」は面白い話なので多くの画家が絵に描いていましす。
そこでここでは、パオロ・ヴェロネーゼの「カナの婚礼」の巨大な油彩画と、「ムッシューP」さんがお書きになった簡明な解説を引用します。
ムッシューPさんの解説は、http://t-jikkosan.jugem.jp/?eid=59 にございます。
今回の作品は、ルネサンス、ヴェネツィア派の巨匠パオロ・ヴェロネーゼの大作「カナの婚礼」です。 パリのルーヴル美術館にあるこの絵は、あまりにも大きな画面に、たくさんの人びとが描かれていて、それだけでも圧倒され、記憶に残る作品です。

1番目の写真はパオロ・ヴェロネーゼ作 「カナの婚礼」1562-63/パリ・ルーヴル美術館、です。
なんと、縦666cm、横990cmの大画面です。大作で有名な、あのダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」より大きく、ルーヴル美術館で最大の絵画だそうです。描かれた人物は、100人以上、130人といわれています。犬や猫も、いきいきと描かれています。

2番目の写真は「カナの婚礼」中央下部分です。
祝宴の主座には、キリストが正面を向いて坐っています。聖母マリアが隣に、ほかに弟子たちが同席していますが、この絵の風俗画的な特徴として、注文主の要望に沿い、各国の国王や女王、多くの著名人が加わっていることです。

3番目の写真は「カナの婚礼」左下部分です。
さて、この婚礼祝宴の花婿と花嫁はというと、どうやらいちばん左端に坐っているカップルが、そうのようです。とくに彼らの絢爛豪華な服装が目立ちます。花婿が手を伸ばして、受け取ろうとしているぶどう酒が、すでに奇跡によって、水から上等のぶどう酒になったものと思われます。

4番目の写真は「カナの婚礼」右下部分です。
水甕から、奇跡のワインが酒瓶に注ぎこまれています。味見をした後、グラスのぶどう酒を凝視して、感嘆しているのは、サン・ジョルジュ・マッジョーレ修道院の当時の院長、ジローラモ・スクロケットだそうです。手前の水甕にじゃれ付いている猫がいます。まだキリストが起こした奇跡に、誰も気付かず、無邪気に祝宴を楽しんでいる様子を表しているのでしょう。

さてこの大作はイタリアのルネンサッス(文芸復興)期に描かれました。それまでの西洋の宗教画の暗さに比較すると、活き活きと人生を楽しんでいる人々が描き出されています。それはギリシャ時代の人間賛歌への回帰です。文芸復興とはギリシャ文化への回帰、すなわち復興なのだと学校で習ったことを思い出しました。
ところでカナの婚姻ではイエスさまが水を葡萄酒に変える奇跡を行ったのです。
私はこの事実は信じています。科学的に不可能なことを私はよく理解しています。しかし私は聖書に書きてある全ての奇跡を文字通り、そのまま信じています。それがキリスト教です。
でも他人には信じなさいとは絶対に薦めません。そのことが一番重要なことだと思っているからです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)