後藤和弘のブログ

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竹内義信著、「イタリアの魅力と大学の専門教育」

2019年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム
竹内義信君は私の仙台の大学時代の友人です。数年前からこのブログにハイラルでの小学校の思い出やイタリア駐在時代の記事を寄稿してくれました。
しかし仙台の大学時代の思い出を書いたものが無かったので先般それをお願いしました。
頂いた原稿にイタリアでの思い出を組み合わせて編集しました。
竹内義信君は化学会社の帝人から派遣されて1974年からイタリアのミラノに4年間、家族とともに住んでいました。そしてイタリアの地方色豊かな文化にすっかり魅了されたのです。
竹内義信君は竹を割ったような清々しい性格です。文章も淡々として雑味の無いものです。
この竹内君の文章を読むとイタリア社会の実態や魅力が活き活きと書いてあります。そしてそのイタリアには世界で一番古いボローニャ大学もあるのです。そこで仙台の大学での専門教育を思い出してその教育内容を書いています。

今日は先日の竹内義信著「イタリアの魅力と大学の専門教育」をお送りいたします。先日の竹内義信著「遥かなるハイラルと仙台の大学生活」の続編です。
これは化学会社の一技師によるイタリアと日本のささやかな比較文化論です。
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竹内義信著、「イタリアの魅力と大学の専門教育」

(1)イタリアの大きな魅力
 イタリアくらい毀誉褒貶の激しい国はないと思います。「イタ公」と言う侮蔑した呼称があり、イタリアはいい加減な人間の集まりで国としても頼りにならないと言うマイナスの面がある一方で、イタリアの素晴らしさを礼賛する人達もいます。しかしそこに住んでいた私はイタリアはヨーロッパ文明の源泉と思うようになったのです。
ヨーロッパ文明の源泉はローマ文明です。「すべての道はローマに通ず」といわれ、当時のヨーロッパのあらゆる意味での中心だったのです。
そうしてルネッサンスもありました。ルネッサンスは14世紀から16世紀にかけて、イタリアを中心に近代文明の先駆けとなりました。文化、美術、学術の伝統が現在まで、イタリアに脈々と生き続けています。
 また、イタリアの地理的環境の素晴らしさです。スイスに接する北イタリアはアルプスの山々と湖に囲まれ、中部イタリアのなだらかな丘陵に展開するブドウ、オリーブさらに穀物の実るトスカーナ地方に代表されます。さらに南に行けばナポリとその近くのソレント、アマルフィとカプリ島の青い空と海、どこを見てもBRAVO !です。どんよりとしたヨーロッパからアルプスを越えてイタリアに入れば、青い空と輝く太陽、まさに「君よ知るや南の国」なのです。夏にはヨーロッパからどっと観光客がイタリアに押し寄せます。

これだけの景観と気候が揃えば、観光地としては文句なく最高ですが、さらにイタリアはローマ時代の遺跡、中世の教会、古城、ルネッサンス時代の絵画、彫刻、建物がどこかしこにあり、簡単には見切れません。
次に、イタリア観光に欠かせないのが、イタリア料理とイタリアワインです。それからショッピングをする人には、イタリアファッションがあります。
ミラノは世界のファッションの発信地です。
 イタリアには音楽もあります。カンツオーネとオペラです。世界で公演されるオペラの70%はイタリアオペラと言われています。ミラノのスカラ座もいいのですが、夏のローマのカラカラ浴場とか、ヴェローナのアレーナ(円形劇場)での野外オペラの素晴らしさは忘れられません。
 もう一つイタリアで忘れられないのは自動車でスポーツカー、AlfaRomeo, Ferrari, Lancia, Massellattiと枚挙に暇がないくらいです。私はFIATの1800ccのセダンに乗っていました。私の働いていた会社の低利融資の恩恵を受けあまり負担なく4年近く乗りました。日本からのお客様も満足して乗ってくれましたし、4人家族で休暇に旅行するには丁度いい大きさでした。先ほど列挙しましたイタリア列島の北から南までは勿論、リヴィエラ海岸を通ってイベリア半島、フェリーに乗せてシシリー島まで出掛けました。

こんな魅力溢れるイタリアに更に世界で一番古いボローニャ大学もあるのです。日本の大学の祖先にあたる大学です。そこで次にこのボローニャ大学を簡単にご紹介いたします。

(2)イタリアのボローニア大学は日本の大学の祖先
ボローニャ大学はイタリアのボローニャに現在もある大規模な総合大学です。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ボローニャ大学 )
ボローニャ大学はヨーロッパ最古の総合大学であり、11世紀に設立されました。
現在規模においてはイタリア国内第2位の大学です。世界の近代型大学の原点と言われています。
明治維新以後日本の大学はイギリス、フランス、ドイツの大学を手本として作られました。その西洋諸国の近代の大学の元祖がボローニャ大学なのです。
正確な創立年は1088年と言われています。
現在ではエミリア=ロマーニャ各地を拠点にして23もの学部があり、10万人を超える学生がいる巨大な大学です。
学部は次のようものが含まれています。農学部、芸術学部、経済学部、教育学部、工学部、その他、化学、法律、哲学、数学・物理・自然科学、獣医学、医学、政治科学、心理学、統計学、薬学などの分野の学部がそろっているのです。
そこで次の部分では仙台の東北大学で私が受けた専門教育をご紹介したいと思います。
その前に少し長文になったのでイタリアの風景写真をお送りします。始めの写真は有名なミラノ大聖堂です。続く2枚は北イタリアの海辺の風景写真です。






(3)私が東北大学で受けた応用化学の専門教育
 応用化学科進学予定者は二学年の後期から無機及び物理化学、応用有機化学と分析化学の講義が応用化学科の教室で始まりました。
教室も立派なものに変わり、教養課程とは違う専門性が高まったと言う印象でした。
特に、有機化学の三井教授の講義は従来の記述有機化学に加えて、最新の電子論と立体化学で理論付けされたもので、時折先生のお口から出る「ザイテンケッテ(側鎖)」と言うドイツ語と共に正に学問の香りを感じさせるものでした。
有機化学の教科書は丸善から復刻版の出ていたFieser &FieserのTextbook of Organic Chemistryでした。油井助教授の無機及び物理化学では参考書としてGlasstoneのElements of Physical Chemistryで、加藤教授の分析化学はTreadwellのAnalytical Chemistryでした。
 三学年になる前に二年間お世話になった早坂医院から新しい下宿を探して移ることにして、学生課で紹介して貰った角五郎丁の下宿に引っ越しました。
 昭和25年(1950年)6月に勃発した朝鮮動乱による特需景気がきっかけで昭和29年暮れから神武景気が昭和32年半ばまで続きました。
化学産業も高度成長しつつあり教授達の講義にも熱が入っているように感じました。
 三学年からは専門科目として、八田教授の化学工学、堀教授の無機工業化学、村上教授の窯業工学、徳久教授の有機工業化学第3(石油工業)の授業が一斉に開始され、応用化学科の核心に触れる思いででした。
また化学工業と関連する他学科の通論も開始された。機械工業通論は三人が分担されたが、精密機械工学について、成瀬教授が講義された。「歯車の成瀬」と呼ばれた看板教授で非常に面白かった。
 三学年になると、午前は上述の講義があり、午後は分析化学の実験であった。重金属イオンを沈殿させるための硫化水素が充満する実験室で未知検体の同定に励んだ。後期には有機化学の実験でニトロ化や有機物の蒸留を行った。

(4)楽しかった工場見学旅行
 三学年から四学年に進級する春休み中に二週間程の工場見学旅行があった。クラスを二つに分け約20名ずつの二組に別れて関西方面に出掛けた。
四日市のコンビナートなどが目新しかった。どの会社の工場に行っても、学科の先輩がおられ夜には歓迎会を開いて貰い先輩達の活躍に感銘を受けた。
授業では分からない実際の工場の装置に驚いたのが正直なところだった。例えば、屋外にあるセメントのロータリーキルンについて、クラスメートの一人が雨が降っても運転できるのかと質問すると雨の中でも機関車が走るだろうと言われ妙に納得しました。
 旅館で夕食が済むと、飲める連中は街に飲みに出掛けたが、飲めない四五人が残っていると、そのうちの一人が外から赤玉ポートワインを一本買って来て皆で舐めるように試飲しました。
 四学年になると、卒業研究のための研究室への振り分けがあった。はっきり言って就職に有利な研究室、例えば八田研は希望者が多かった。三年生の時から三井研に入ることを三井先生の内諾を取ってあったので、問題なく石川君、元木君、山田君と一緒に四人が三井研に配属された。
 四学年の新学期にアメリカのヨシ・エス・クノ奨学賞を受けた。入学式で訓示をされた高橋里美学長から賞状を手渡され緊張したが嬉しかった。ヨシ・エス・クノ氏はアメリカで成功した日系人です。
このご縁もあり後に帝人から派遣されてアメリカでPh.D の学位も取りました。
また6月頃には三井先生に呼ばれて、帝人奨学金の試験を受けないかと言われました。一年上級の中鉢純雄さんが帝人奨学金で大学院に進んでおられたので受けることにしました。
この縁で後に帝人に就職することなったのです。しかし私は大学院にはいったので、帝人に入社したのは2年後の工学修士の学位をとってからでした。

(5)東北大学卒業後の同級会のこと
 卒業直後は全員が多忙でクラス会も開けなかったが、卒業10年も経つころから少しずつ集まりようになりました。
いろいろな会社の社員寮を使わせて貰いました。平石君の日赤寮、伊藤君の住化の寮、斎藤君の三菱重工の寮などをよく使わせてもらいました。
 石油化学工業の勃興期で石油会社に入社したものが多かった。日東化学に入社した桜庭君が一
念発起して公務員試験を受け通産省に入省して石油関連の部署に就いたのその頃です。
卒業50周年を記念して2008年5月13,14日に、仙台郊外の泉が岳温泉「やまぼうし」で、神武会50周年記念クラス会を開催しました。参加者は19名と夫人2名でした。
13日の午後1時に仙台駅に集合し、タクシーに分乗して片平キャンパスに移動して午後2時まで構内を散策しました。
北門から迎えのバスに乗って泉が丘温泉に向かいました。宴会は同級生40名のうち亡くなった12名の級友に黙祷を捧げて始まりました。宴会の後も幹事の部屋に集まって団欒しました。朝食後も談笑して、記念写真の撮影後、仙台駅に向かい再会を約して別れました。
卒業60周年記念のクラス会を2018年5月に秋保温泉で開催する計画を立てましたが、参加者が10名を切り残念ながら開催されませんでした。最近では2019年(平成31年)5月に新宿東口の美々卯でクラス会を開いて7名の参加でした。これからも集まれるものだけでも集まって会を続けたいと思っています。(終り)

あとがき;                              
これで竹内義信著、「イタリアの魅力と日本の大学の専門教育」の終りとします。
イタリアの魅力や世界最古のボローニャ大学のことに合わせて仙台の東北大の専門教育を紹介する記事でした。少し長くなって恐縮です。
それにしても1950年代の日本の大学の専門教育は随分充実していたものです。そんな時代もはるか昔になってしまいました。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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