東京の銀座に日動画廊があります。この画廊の1階は売る絵を展示してあります。そして地下室では企画展をしてるのです。10年以上前にある企画展があり見に行きました。そうしたら三輪修画伯の穏やかな静物画もありました。三輪修さんとは以前からネットの上の友人だったのです。
三輪修さんの絵は家内も私も好きな絵でした。
そこでその後の名古屋日動画廊での三輪修画伯の個展を見に行くことにしたのです。
その個展に展示してあった油彩画の写真をお送りします。
1番目の写真はパリのセーヌ河と橋を描いた油絵です。写真ではありません。水面のかすかな波が静かな流れを表しています。丁寧に仕上げたパリの風景画です。
2番目の写真は、ある女の存在の証明を示す洋服の裾が時の流れとともに次第に消えて行く油彩画です。
3番目の写真は過ぎ去った時を感じさせるヨーロッパの村の風景画です。シーンとした静かな絵です。
4番目の写真もヨーロッパの村の橋の風景画です。
さて 名古屋日動画廊で三輪修さんに直接聞いた話です。
何を描こうとしているのかと聞きました。
「存在を丁寧に、あるがままに描きます。存在そのものに感謝して描きます。そうすると存在の向こうにあるものが見えて来ます」と言います。
これが 三輪修さんの作品を哲学や宗教と別次元の深い精神性を持った絵画にしているようです。
聞くと彼はキリスト教の聖公会の洗礼を受けた信者でした。しかし安易な宗教的な絵は描きません。宗教画のつまらさを感じている私の気持ちからも納得できます。
存在を丁寧に描く。生易しい仕事ではありません。ある色を塗ったら、それが完全に乾くまで何日も待ってから次の色を塗るのです。一枚の油絵を完成するのに何カ月も何年もかかるそうです。
彼の絵は何故か淋しい雰囲気を持っています。孤独感が存在の向こうに弱弱しく漂っています。彼が人生のはかなさを感じているのです。しかし時々何故か歓喜の高揚感を感じているに違いありません。
1番目の写真で示したセーヌ河の橋の下を流れる水面は、その存在を丁寧に何年もかけて描いていって完成したそうです。写真のように見えますが油絵です。水の存在感の向こうに何が見えるでしょうか?
画家、三輪修さんの世界とはそういう世界なのです。
それはさておき、私が三輪修さんの絵をネットではじめて見て感動した絵をご紹介いたします。
5番目の写真は木曽川の風景を描いたものです。何故か魂を強く打たれて私はジッと数十秒息をつめてこの墨絵のような油彩画を見つめてしまいました。
次にこの絵を描いた時の三輪修さんの気持ちを書いた下記の小文をお読み下さい。
・・・先日、行きつけの画材屋さんへ絵具を買いに行った帰り、急に私の生まれ育った場所に行きたくなり、車を走らせました。私が生まれ育った所は、木曽川の近くの尾西市という街で、昔は織物業が盛んで、織機の音が一日中聞こえていました。車が目的地の近くになった時、幼い頃見た風景とはまるで違った建物や看板が目立ちはじめ、がっかりして車を路肩に止めました。
しかし、ふと傍らに目をやると、見覚えのある小川があり嬉しくなりました。ここでいつも四手網を川下に置き、竹竿で川底をつついて、鮒、泥鰌、ザリガニなどを追い込むと、網も破れんばかりに捕れたものでした。その時の嬉しかった事、友達の笑い声、光の暖かさ、魚の匂いなどが、ピンホールカメラの写真のようにぼんやりと目の前に現れ、幼い日の楽しかった日々がおぼろげに甦ってきました。 大人になってからは、こういった感動は、普段あまりないのですが、それでも旅をした時などは、新鮮な驚きや感動を覚えます。家に帰って日常に戻っても、その余韻はぼんやりと心に拡がり、子供の時に覚えたような、ある種のノスタルジーとして記憶されます。
ところで、私の絵は、そういった過ぎ去った時と未来との間で、私の中で熟成された、時間、空間、温度、他に目に見えない何かを現わすことが出来たらと願っています。(みわおさむ)・・・
三輪修さんの絵のメインテーマは常に失われた時と甦る記憶との間なのです。
彼のブログの名前にもなっています。
「洋画家 三輪修 甦る記憶との間で・・・」、https://ameblo.jp/miwa-art/
彼の原画は次の美術展に出ている筈です。
2019一宮美術作家協会展
会期 7月20日(土)~8月4日(日)
9時30分~午後5時(入館は午後4時30分迄)
休館日 毎週月曜日ただし8月12日は開館)、8月13日(火)
観覧料 一般200円/高校、大学生100円/小・中学生50円
開催場所 一宮市博物館
2階ギャラリーにて会員小品展同時開催
当番日 7月20日(土)9時30分~12時00分
〃 26日(金) 〃
上の 当番日に行けば三輪修さんにお会い出来ると思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
三輪修さんの絵は家内も私も好きな絵でした。
そこでその後の名古屋日動画廊での三輪修画伯の個展を見に行くことにしたのです。
その個展に展示してあった油彩画の写真をお送りします。
1番目の写真はパリのセーヌ河と橋を描いた油絵です。写真ではありません。水面のかすかな波が静かな流れを表しています。丁寧に仕上げたパリの風景画です。
2番目の写真は、ある女の存在の証明を示す洋服の裾が時の流れとともに次第に消えて行く油彩画です。
3番目の写真は過ぎ去った時を感じさせるヨーロッパの村の風景画です。シーンとした静かな絵です。
4番目の写真もヨーロッパの村の橋の風景画です。
さて 名古屋日動画廊で三輪修さんに直接聞いた話です。
何を描こうとしているのかと聞きました。
「存在を丁寧に、あるがままに描きます。存在そのものに感謝して描きます。そうすると存在の向こうにあるものが見えて来ます」と言います。
これが 三輪修さんの作品を哲学や宗教と別次元の深い精神性を持った絵画にしているようです。
聞くと彼はキリスト教の聖公会の洗礼を受けた信者でした。しかし安易な宗教的な絵は描きません。宗教画のつまらさを感じている私の気持ちからも納得できます。
存在を丁寧に描く。生易しい仕事ではありません。ある色を塗ったら、それが完全に乾くまで何日も待ってから次の色を塗るのです。一枚の油絵を完成するのに何カ月も何年もかかるそうです。
彼の絵は何故か淋しい雰囲気を持っています。孤独感が存在の向こうに弱弱しく漂っています。彼が人生のはかなさを感じているのです。しかし時々何故か歓喜の高揚感を感じているに違いありません。
1番目の写真で示したセーヌ河の橋の下を流れる水面は、その存在を丁寧に何年もかけて描いていって完成したそうです。写真のように見えますが油絵です。水の存在感の向こうに何が見えるでしょうか?
画家、三輪修さんの世界とはそういう世界なのです。
それはさておき、私が三輪修さんの絵をネットではじめて見て感動した絵をご紹介いたします。
5番目の写真は木曽川の風景を描いたものです。何故か魂を強く打たれて私はジッと数十秒息をつめてこの墨絵のような油彩画を見つめてしまいました。
次にこの絵を描いた時の三輪修さんの気持ちを書いた下記の小文をお読み下さい。
・・・先日、行きつけの画材屋さんへ絵具を買いに行った帰り、急に私の生まれ育った場所に行きたくなり、車を走らせました。私が生まれ育った所は、木曽川の近くの尾西市という街で、昔は織物業が盛んで、織機の音が一日中聞こえていました。車が目的地の近くになった時、幼い頃見た風景とはまるで違った建物や看板が目立ちはじめ、がっかりして車を路肩に止めました。
しかし、ふと傍らに目をやると、見覚えのある小川があり嬉しくなりました。ここでいつも四手網を川下に置き、竹竿で川底をつついて、鮒、泥鰌、ザリガニなどを追い込むと、網も破れんばかりに捕れたものでした。その時の嬉しかった事、友達の笑い声、光の暖かさ、魚の匂いなどが、ピンホールカメラの写真のようにぼんやりと目の前に現れ、幼い日の楽しかった日々がおぼろげに甦ってきました。 大人になってからは、こういった感動は、普段あまりないのですが、それでも旅をした時などは、新鮮な驚きや感動を覚えます。家に帰って日常に戻っても、その余韻はぼんやりと心に拡がり、子供の時に覚えたような、ある種のノスタルジーとして記憶されます。
ところで、私の絵は、そういった過ぎ去った時と未来との間で、私の中で熟成された、時間、空間、温度、他に目に見えない何かを現わすことが出来たらと願っています。(みわおさむ)・・・
三輪修さんの絵のメインテーマは常に失われた時と甦る記憶との間なのです。
彼のブログの名前にもなっています。
「洋画家 三輪修 甦る記憶との間で・・・」、https://ameblo.jp/miwa-art/
彼の原画は次の美術展に出ている筈です。
2019一宮美術作家協会展
会期 7月20日(土)~8月4日(日)
9時30分~午後5時(入館は午後4時30分迄)
休館日 毎週月曜日ただし8月12日は開館)、8月13日(火)
観覧料 一般200円/高校、大学生100円/小・中学生50円
開催場所 一宮市博物館
2階ギャラリーにて会員小品展同時開催
当番日 7月20日(土)9時30分~12時00分
〃 26日(金) 〃
上の 当番日に行けば三輪修さんにお会い出来ると思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)