昨日、夏になると南の国から渡って来るオオルリとキビタキの美しい姿の写真をご紹介いたしました。その時冬になると渡って来るいろいろな渡り鳥のことを思い出しました。
夏の間はシベリアのアムール河付近で繁殖する白鳥や何種類もの鴨たちが冬に日本に飛んで来るのです。
1番目の写真は10年位前に私が霞ヶ浦で撮った写真です。ハクチョウの列の向こうに黒っぽいカモ類が泳ぎ、その向こうに白いカモメがが列を作って泳いでいるのが見えます。カモメも渡り鳥なのです。
これはほんの一部でカモ類は湖面を埋め尽くすように一面に泳いでいます。
2番目の写真は湖岸で休んでいる白鳥と鴨たちです。白鳥やカモ類は人を恐れません。私の手が届くくらい近づいても少し動いて私の手を避けます。一方カモメは神経質で近づくと一斉に飛び立ってしまいます。
私は霞ヶ浦にヨットを係留していたので25年間冬になると白鳥やカモ達やカモメの姿を見て楽しんでいました。
そうしたら2羽の白鳥が夏になっても岸辺の草原に棲みついてアムール河沿岸に帰らないのを発見しました。それは2007年の夏のことでした。
3番目の写真は2007年の晩秋に撮った夫婦の白鳥です。この岸辺の草を食べていました。この写真に草原の向こうに黒っぽい堤防のようなものが写っていますが、そこは浮島になっています。夫婦の白鳥は夜になると寝る浮島です。野犬や野良猫の行けない安全なねぐらです。
その翌年見たらこの夫婦に2羽の子供が生まれていました。その翌年も2羽の子供が生まれていました。
4番目の写真は2009年に撮った写真です。4羽の白鳥一家が私のヨットの係留場所近くに遊びに来たのです。ヨットの舷側からいろいろと話しかけました。夫婦の白鳥は小首をかしげて日本語は分かりませんと言います。しかし私と家内の友情は感じ取っていたのです。
その日の夜、ヨットに泊まっていたらこの4羽の白鳥一家が再び遊びに来てくれたのです。
5番目の写真は遊びに来てくれた4羽の白鳥一家です。家内が手を伸ばしてパンを食べさせています。
キャビンの中で作った夕食を食べた後で、後ろの甲板で夜景を楽しんでいたら来たのです。いろいろ話しかけると分かったように首を振ります。それでつい話し込んで1時間以上も一緒に居ました。
私は2011年、75歳の時ヨットを止めました。霞ヶ浦へも行かなくなりました。
しかしあの4羽の白鳥一家が気がかりで2013年11月に車で霞ヶ浦に行きました。
そうして白鳥一家が巣にしていた浮島の傍に行ったのです。
何と草原に4羽の白鳥一家が居るではありませんか。子供は毎年親を離れてシベリアに飛んで行きます。夫婦の白鳥だけが残って毎年2羽づつ子供を育ていたのです。4羽の白鳥一家に近づくとただ小首をかしげてくれるだけです。それが久しぶりに会った私への挨拶なのです。
こうして見るとこの夫婦は毎年のように春に2羽の子供を産み、育てていたようです。そして子供の白鳥は1年後の春にはシベリアに飛んで行くのでしょう。白鳥の夫婦は離婚なしで一生そいとげるそうです。
あの白鳥の夫婦に最後に会ったのは2013年です。もう6年の月日が流れました。
昨日、渡り鳥のオオルリとキビタキのことを書いたので昔つきあった白鳥一家のことを思い出しました。彼らの幸せを祈ります。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
夏の間はシベリアのアムール河付近で繁殖する白鳥や何種類もの鴨たちが冬に日本に飛んで来るのです。
1番目の写真は10年位前に私が霞ヶ浦で撮った写真です。ハクチョウの列の向こうに黒っぽいカモ類が泳ぎ、その向こうに白いカモメがが列を作って泳いでいるのが見えます。カモメも渡り鳥なのです。
これはほんの一部でカモ類は湖面を埋め尽くすように一面に泳いでいます。
2番目の写真は湖岸で休んでいる白鳥と鴨たちです。白鳥やカモ類は人を恐れません。私の手が届くくらい近づいても少し動いて私の手を避けます。一方カモメは神経質で近づくと一斉に飛び立ってしまいます。
私は霞ヶ浦にヨットを係留していたので25年間冬になると白鳥やカモ達やカモメの姿を見て楽しんでいました。
そうしたら2羽の白鳥が夏になっても岸辺の草原に棲みついてアムール河沿岸に帰らないのを発見しました。それは2007年の夏のことでした。
3番目の写真は2007年の晩秋に撮った夫婦の白鳥です。この岸辺の草を食べていました。この写真に草原の向こうに黒っぽい堤防のようなものが写っていますが、そこは浮島になっています。夫婦の白鳥は夜になると寝る浮島です。野犬や野良猫の行けない安全なねぐらです。
その翌年見たらこの夫婦に2羽の子供が生まれていました。その翌年も2羽の子供が生まれていました。
4番目の写真は2009年に撮った写真です。4羽の白鳥一家が私のヨットの係留場所近くに遊びに来たのです。ヨットの舷側からいろいろと話しかけました。夫婦の白鳥は小首をかしげて日本語は分かりませんと言います。しかし私と家内の友情は感じ取っていたのです。
その日の夜、ヨットに泊まっていたらこの4羽の白鳥一家が再び遊びに来てくれたのです。
5番目の写真は遊びに来てくれた4羽の白鳥一家です。家内が手を伸ばしてパンを食べさせています。
キャビンの中で作った夕食を食べた後で、後ろの甲板で夜景を楽しんでいたら来たのです。いろいろ話しかけると分かったように首を振ります。それでつい話し込んで1時間以上も一緒に居ました。
私は2011年、75歳の時ヨットを止めました。霞ヶ浦へも行かなくなりました。
しかしあの4羽の白鳥一家が気がかりで2013年11月に車で霞ヶ浦に行きました。
そうして白鳥一家が巣にしていた浮島の傍に行ったのです。
何と草原に4羽の白鳥一家が居るではありませんか。子供は毎年親を離れてシベリアに飛んで行きます。夫婦の白鳥だけが残って毎年2羽づつ子供を育ていたのです。4羽の白鳥一家に近づくとただ小首をかしげてくれるだけです。それが久しぶりに会った私への挨拶なのです。
こうして見るとこの夫婦は毎年のように春に2羽の子供を産み、育てていたようです。そして子供の白鳥は1年後の春にはシベリアに飛んで行くのでしょう。白鳥の夫婦は離婚なしで一生そいとげるそうです。
あの白鳥の夫婦に最後に会ったのは2013年です。もう6年の月日が流れました。
昨日、渡り鳥のオオルリとキビタキのことを書いたので昔つきあった白鳥一家のことを思い出しました。彼らの幸せを祈ります。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)