暮れの12月30日にゴーン被告が日本から逃亡しレバノンに落ち着きました。この大胆な逃亡劇はゴーン被告の生まれたフランスの旧植民地だったレバノンの文化の影響があると考えられます。
ゴーン被告はレバノンで生まれ南米のブラジルで育ちました。レバノンの旧宗主国のフランスのエリート大学を卒業し、ルノー社の社長として業績を上げその後日産の会長として日産の業績回復と再建に辣腕を振るいました。
日産でいろいろな不当に個人的な収入を得た理由で、日本で拘留され起訴されました。その後保釈金15億円を支払い保釈中でした。
保釈の条件に日本国内に留まることがあったのですが、彼はこの条件に違反してレバノンへ逃亡してしまったのです。
このゴーン被告の行動は日本、レバノン、フランスの社会の習慣や文化を考えるとかなり自然な行動であると理解出来ます。
今日はゴーン被告逃亡にまつわる日本、レバノン、フランスの社会の習慣や文化を比較しながら、彼の行動の謎解きをしたいと思います。
少し複雑な逃亡劇なのでそれにまつわる背景を3つほど個条書きで説明します。
(1)何故ゴーン被告はルノーでなく大きな不正を日産で行ったか?
ルノー社でも少し不正を働きました。ベルサイユ宮殿での自分の結婚披露宴の費用をルノー社の公金を使って支払いました。
しかしその他も含めてルノー社の損害は軽微でした。
その一方日産自動車へ与えた損害は少なくとも数十億以上と莫大でした。損害額はやがて開かれる予定の公判で明らかになる筈でした。
ゴーン被告はフランスでは大きな不正を働かず日本では巨額な不正を働き、その経済事件で日本で拘留され起訴されたのです。
この事実は2つのことを意味しています。
1、フランスでは会社の経営に関する法律や規制が厳しくてゴーン被告は不正を働くのが困難であった。
2、旧植民国レバノンで生まれたゴーン被告はフランスを尊敬しその法律をまもったが、日本は軽んじていた。したい放題のことをしてもまさか拘留され起訴されるとは思っていなかった。根底には欧米尊重アジア蔑視の思想があったのかも知れません。
(2)それでは地中海に面した中東のレバノンとはどういう国か?
レバノンは1918年のフランスに占領されました。
第一次世界大戦後の1919年、パリ講和会議でサイクス・ピコ協定に基づきフランスの委任統治下になったのです。
フランス委任統治領時代のレバノンはキリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすかったのです。
正教会と、ローマ・カトリック、プロテスタントを合計したキリスト教徒の割合が40%を越え、残りはイスラム教のシーア派とスンニ派などでした。
レバノンは1941年に独立しますが現在でもフランスとの緊密な関係を維持しています。
レバノンは中東の一国なので社会は汚職や収賄に比較的に寛大な社会文化を持っています。少なくてもアメリカの公正な競争による資本主義が根づいていません。それはゴーン被告の中東国での不正行為を見れば明らかです。この社会の文化は彼のフランスを尊敬し日本は軽んじる行動に拍車をかけたのでしょう。
(3)プライベート・ジェット機で逃亡を防げなかった日本の甘さ
欧米では特にアメリカでは自家用飛行機が普及しておりプライベート・ジェット機は社会の常識として活用されています。
それに反して日本では自家用飛行機が普及していません。プライベート・ジェット機で外国に行く人は珍しい位の少数です。
当然プライベート・ジェット機で外国に行く人の出国審査はおざなりになりがちです。
ゴーン被告は木箱に入ってプライベート・ジェット機に乗りトルコ経由でレバノンへ逃亡したと言います。
彼の悪知恵もさることながら日本の検察庁の甘さには驚きです。なにせゴーン被告は日本に来るときプライベート・ジェット機を使っていたのですから検察庁はプライベート・ジェット機の運航の監視を厳重にすべきでした。この甘さも日本の社会の特徴の一つです。
今日はゴーン被告逃亡にまつわる日本、レバノン、フランスの社会や文化の違いを書いてみました。
今日の挿絵代わの写真は冬の猪苗代湖と白鳥の写真です。
出典は、https://www.kutsurogijuku.jp/blog/2019/01/31/2019winter_hakucho/ です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)
ゴーン被告はレバノンで生まれ南米のブラジルで育ちました。レバノンの旧宗主国のフランスのエリート大学を卒業し、ルノー社の社長として業績を上げその後日産の会長として日産の業績回復と再建に辣腕を振るいました。
日産でいろいろな不当に個人的な収入を得た理由で、日本で拘留され起訴されました。その後保釈金15億円を支払い保釈中でした。
保釈の条件に日本国内に留まることがあったのですが、彼はこの条件に違反してレバノンへ逃亡してしまったのです。
このゴーン被告の行動は日本、レバノン、フランスの社会の習慣や文化を考えるとかなり自然な行動であると理解出来ます。
今日はゴーン被告逃亡にまつわる日本、レバノン、フランスの社会の習慣や文化を比較しながら、彼の行動の謎解きをしたいと思います。
少し複雑な逃亡劇なのでそれにまつわる背景を3つほど個条書きで説明します。
(1)何故ゴーン被告はルノーでなく大きな不正を日産で行ったか?
ルノー社でも少し不正を働きました。ベルサイユ宮殿での自分の結婚披露宴の費用をルノー社の公金を使って支払いました。
しかしその他も含めてルノー社の損害は軽微でした。
その一方日産自動車へ与えた損害は少なくとも数十億以上と莫大でした。損害額はやがて開かれる予定の公判で明らかになる筈でした。
ゴーン被告はフランスでは大きな不正を働かず日本では巨額な不正を働き、その経済事件で日本で拘留され起訴されたのです。
この事実は2つのことを意味しています。
1、フランスでは会社の経営に関する法律や規制が厳しくてゴーン被告は不正を働くのが困難であった。
2、旧植民国レバノンで生まれたゴーン被告はフランスを尊敬しその法律をまもったが、日本は軽んじていた。したい放題のことをしてもまさか拘留され起訴されるとは思っていなかった。根底には欧米尊重アジア蔑視の思想があったのかも知れません。
(2)それでは地中海に面した中東のレバノンとはどういう国か?
レバノンは1918年のフランスに占領されました。
第一次世界大戦後の1919年、パリ講和会議でサイクス・ピコ協定に基づきフランスの委任統治下になったのです。
フランス委任統治領時代のレバノンはキリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすかったのです。
正教会と、ローマ・カトリック、プロテスタントを合計したキリスト教徒の割合が40%を越え、残りはイスラム教のシーア派とスンニ派などでした。
レバノンは1941年に独立しますが現在でもフランスとの緊密な関係を維持しています。
レバノンは中東の一国なので社会は汚職や収賄に比較的に寛大な社会文化を持っています。少なくてもアメリカの公正な競争による資本主義が根づいていません。それはゴーン被告の中東国での不正行為を見れば明らかです。この社会の文化は彼のフランスを尊敬し日本は軽んじる行動に拍車をかけたのでしょう。
(3)プライベート・ジェット機で逃亡を防げなかった日本の甘さ
欧米では特にアメリカでは自家用飛行機が普及しておりプライベート・ジェット機は社会の常識として活用されています。
それに反して日本では自家用飛行機が普及していません。プライベート・ジェット機で外国に行く人は珍しい位の少数です。
当然プライベート・ジェット機で外国に行く人の出国審査はおざなりになりがちです。
ゴーン被告は木箱に入ってプライベート・ジェット機に乗りトルコ経由でレバノンへ逃亡したと言います。
彼の悪知恵もさることながら日本の検察庁の甘さには驚きです。なにせゴーン被告は日本に来るときプライベート・ジェット機を使っていたのですから検察庁はプライベート・ジェット機の運航の監視を厳重にすべきでした。この甘さも日本の社会の特徴の一つです。
今日はゴーン被告逃亡にまつわる日本、レバノン、フランスの社会や文化の違いを書いてみました。
今日の挿絵代わの写真は冬の猪苗代湖と白鳥の写真です。
出典は、https://www.kutsurogijuku.jp/blog/2019/01/31/2019winter_hakucho/ です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)