ゴーン被告が昨日レバノンで記者会見を開いて日本の司法制度は人権を侵害し公平な裁判はとうてい期待出来ないと激しく批判しました。
私もそのように思います。なにせ106日も拘留し妻との接触を厳禁したのですから「人権を侵害された」というゴーン被告の言い方は正しいと思います。
この様に書くと直ぐに短絡的に私がゴーン被告を弁護していると誤解する人がいますが、私は弁護する心算は毛頭ありません。
ただ被告人の人権無視は日本の伝統文化であるという事実を書きたいだけです。その文化の善し悪しを判定することは致しません。
むしろ何処の国でも伝統文化は根強いものだという事を主張したいだけなのです。
被告人の人権無視の伝統を説明するために野村孤堂原作の「銭形平次」の中に出てくる十手持ちの平次と三ノ輪の万作の人権無視の態度を描きます。
それはさておき昨日のゴーン被告の記者会見の記事を見てみましょう。
「ゴーン被告が逃亡後初会見 日産の西川前社長ら6人を名指しで批判」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2020/01/post-92092.php
保釈中に不正にレバノンへ逃れた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告が8日、レバノンで記者会見し、自らの逮捕は検察と日産によって事前に仕組まれていたと主張した。
「逃亡は最も困難な決断」、
ゴーン被告は、追放されたのは日産から親会社の仏ルノーの影響を排除するためだったとし、「仏政府が3社連合に介入しようとしたことへの日本の反感もその一因だった」と述べた。逮捕されたことを日本軍が米軍を奇襲した真珠湾攻撃になぞらえた。
予告していた日本政府関係者の名前については「レバノン政府のため」として控えたが、「トップレベルが関わっていたとは思っていない」と語った。
自身の容疑については「根拠がなく、検察は誤った情報をリークして証拠を隠した」として「一連の容疑は事実ではない」とこれまでの主張を繰り返した。その上で、数週間以内に無実の証拠を明らかにする考えを示した。
ゴーン被告は「弁護士の同席なしに1日8時間にわたって尋問を受けた」、日本の有罪率は99%に達する国で、「外国人はおそらくもっと高い」と日本の司法制度を強く批判した。「自白しないと家族を追いかけることになると言われた」という。
弁護士からは判決が出るまで5年間は日本にいることになるだろうと言われたとし、逃亡は「私の人生で最も困難な決断だった」と語った。日本からの出国方法は支援者が明らかになるとして答えなかった。
・・・カルロス・ゴーン被告は自身を追放した人物として日産自動車の経営陣など6人を名指しで批判した。逮捕は検察と日産に仕組まれていたと主張し、自らの潔白をあらためて強調した。
指しで批判した6人とは西川広人前社長のほか、前副社長の川口均氏、前監査役の今津英敏氏、社外取締役の豊田正和氏、元秘書室長の大沼敏明氏、ハリ・ナダ専務執行役員の6人である。
豊田氏については日本の当局とつながっていたとも語り、「検察と日産の共謀が見えていなかったのは日本国民だけだ」と指摘した。
・・・
さて被告人の人権無視の伝統を説明するために野村堂胡原作の「銭形平次」の中に出てくる江戸時代の十手持ちの平次と三ノ輪の万作の人権無視の態度を描きます。
江戸時代は十手持ちが被疑者を捕まえたら牢に入れ取り調べをします。その制度では保釈も無く、弁護士もいません。
取り調べは拷問にかけ人権は無視します。
取り調べが終わったら罪人を白洲に引き出して大岡越前守のような立場の人が判決を言い渡して終了です。
テレビに出て来る「銭形平次」の写真をお送りします。
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この江戸時代の制度では被疑者を捕まえる十手持ちが一部の裁判権を持っています。
日頃品行の良い軽い犯罪人は十手持のお目こぼしで放免してしまいます。殺人罪でも情状が良ければ「江戸払い」になるようにします。
前科者には厳し過ぎるくらいの判決にします。殺人罪なら江戸引き回しの上処刑します。
すなわち十手持の感じかたが判決に影響するのです。この様に日本の伝統文化には人権は存在しなかったのです。
人権が重要というのはヨーロッパの思想なのです。
明治維新以後、ヨーロッパの思想が奔流のように日本に流れ込んで来ました。あるものは日本に根着きましたが定着し難いものもありました。人権が重要という思想は根着き難いものの一つです。
現在でも会社の中で人権無視の例が沢山あります。有給休暇取るとまずい。転勤命令には従う。上司の命令は絶対だ。
このような雰囲気があるのが日本の社会文化なのです。
ゴーン被告が記者会見を開いて、日本の司法制度は人権を侵害し公平な裁判はとうてい期待出来ないと激しく批判したのは当然です。
彼は逮捕される前に日本の社会文化を知っているべきだったのです。
それにしても日本の検察庁は愚かです。泥棒が逃げてから捕縄する縄を編んでいるのですから。
それにしても異文化の理解はお互いに難しいものです。
それはそれとして、今日は皆様のご健康と格調の高い老境をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
私もそのように思います。なにせ106日も拘留し妻との接触を厳禁したのですから「人権を侵害された」というゴーン被告の言い方は正しいと思います。
この様に書くと直ぐに短絡的に私がゴーン被告を弁護していると誤解する人がいますが、私は弁護する心算は毛頭ありません。
ただ被告人の人権無視は日本の伝統文化であるという事実を書きたいだけです。その文化の善し悪しを判定することは致しません。
むしろ何処の国でも伝統文化は根強いものだという事を主張したいだけなのです。
被告人の人権無視の伝統を説明するために野村孤堂原作の「銭形平次」の中に出てくる十手持ちの平次と三ノ輪の万作の人権無視の態度を描きます。
それはさておき昨日のゴーン被告の記者会見の記事を見てみましょう。
「ゴーン被告が逃亡後初会見 日産の西川前社長ら6人を名指しで批判」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2020/01/post-92092.php
保釈中に不正にレバノンへ逃れた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告が8日、レバノンで記者会見し、自らの逮捕は検察と日産によって事前に仕組まれていたと主張した。
「逃亡は最も困難な決断」、
ゴーン被告は、追放されたのは日産から親会社の仏ルノーの影響を排除するためだったとし、「仏政府が3社連合に介入しようとしたことへの日本の反感もその一因だった」と述べた。逮捕されたことを日本軍が米軍を奇襲した真珠湾攻撃になぞらえた。
予告していた日本政府関係者の名前については「レバノン政府のため」として控えたが、「トップレベルが関わっていたとは思っていない」と語った。
自身の容疑については「根拠がなく、検察は誤った情報をリークして証拠を隠した」として「一連の容疑は事実ではない」とこれまでの主張を繰り返した。その上で、数週間以内に無実の証拠を明らかにする考えを示した。
ゴーン被告は「弁護士の同席なしに1日8時間にわたって尋問を受けた」、日本の有罪率は99%に達する国で、「外国人はおそらくもっと高い」と日本の司法制度を強く批判した。「自白しないと家族を追いかけることになると言われた」という。
弁護士からは判決が出るまで5年間は日本にいることになるだろうと言われたとし、逃亡は「私の人生で最も困難な決断だった」と語った。日本からの出国方法は支援者が明らかになるとして答えなかった。
・・・カルロス・ゴーン被告は自身を追放した人物として日産自動車の経営陣など6人を名指しで批判した。逮捕は検察と日産に仕組まれていたと主張し、自らの潔白をあらためて強調した。
指しで批判した6人とは西川広人前社長のほか、前副社長の川口均氏、前監査役の今津英敏氏、社外取締役の豊田正和氏、元秘書室長の大沼敏明氏、ハリ・ナダ専務執行役員の6人である。
豊田氏については日本の当局とつながっていたとも語り、「検察と日産の共謀が見えていなかったのは日本国民だけだ」と指摘した。
・・・
さて被告人の人権無視の伝統を説明するために野村堂胡原作の「銭形平次」の中に出てくる江戸時代の十手持ちの平次と三ノ輪の万作の人権無視の態度を描きます。
江戸時代は十手持ちが被疑者を捕まえたら牢に入れ取り調べをします。その制度では保釈も無く、弁護士もいません。
取り調べは拷問にかけ人権は無視します。
取り調べが終わったら罪人を白洲に引き出して大岡越前守のような立場の人が判決を言い渡して終了です。
テレビに出て来る「銭形平次」の写真をお送りします。
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この江戸時代の制度では被疑者を捕まえる十手持ちが一部の裁判権を持っています。
日頃品行の良い軽い犯罪人は十手持のお目こぼしで放免してしまいます。殺人罪でも情状が良ければ「江戸払い」になるようにします。
前科者には厳し過ぎるくらいの判決にします。殺人罪なら江戸引き回しの上処刑します。
すなわち十手持の感じかたが判決に影響するのです。この様に日本の伝統文化には人権は存在しなかったのです。
人権が重要というのはヨーロッパの思想なのです。
明治維新以後、ヨーロッパの思想が奔流のように日本に流れ込んで来ました。あるものは日本に根着きましたが定着し難いものもありました。人権が重要という思想は根着き難いものの一つです。
現在でも会社の中で人権無視の例が沢山あります。有給休暇取るとまずい。転勤命令には従う。上司の命令は絶対だ。
このような雰囲気があるのが日本の社会文化なのです。
ゴーン被告が記者会見を開いて、日本の司法制度は人権を侵害し公平な裁判はとうてい期待出来ないと激しく批判したのは当然です。
彼は逮捕される前に日本の社会文化を知っているべきだったのです。
それにしても日本の検察庁は愚かです。泥棒が逃げてから捕縄する縄を編んでいるのですから。
それにしても異文化の理解はお互いに難しいものです。
それはそれとして、今日は皆様のご健康と格調の高い老境をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)