後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老境の平々凡々な暮らしを格調高く生きる3つの方法

2020年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
老境になり自分の人生を振り返ってみると非常に恥の多いものだったと思います。
ですから晩年はせめて恥ずかしくない日々を送ろうと思っています。
年をとると平々凡々な暮らしでも清々しく生きることが出来るのです。
それでは格調高く生きることとはどういうことなのでしょうか?
日常の生活のなかで私の心が俗世間から離れ、ある高いところを考えながら暮らしていくことです。
此の世の低俗な欲を離れ美しいものや崇高なものを考えて生きるのです。
しかし人間は四六時中このようには生きて行けません。私は毎日、1時間いや10分だけでもこう過ごそうと考えています。10分だけなら出来るものです。

今日は老境を穏やかに格調高く生きるための具体的な3つの方法を書きたいと思います。いずれも私が実行しているつもりです。
(1)花々や自然の風景を愛し、いつも心の中で思い出している。
美しい花々や自然の風景を心の中で思い出している間は俗世間のことを完全に忘れています。心が無意識に格調高くなっています。
例えばこの季節は梅より先にロウバイが咲き出します。今年は咲き出すのが遅く小金井公園のロウバイも昨日やっと咲き出しました。
そして今日この頃心に浮かぶのは府中市の郷土の森公園の満開になったロウバイの花の風景です。
一昨年撮った写真をお送りします。





これらの写真を眺めているあなたの心は俗世間から離れ、ある高いところに遊んでいます。
あなたは格調の高い時間を過ごしているのです。
このように美しい花は季節が巡るといろいろな所に咲くのです。豊かに満開になるのです。
私達が住んでいるこの地球という星にはこんなにも美しいものがあるのです。そこに生まれた私達です。その生命は奇跡のようなものです。そんなことを想って時を過ごします。

(2)全ての人々に感謝して毎日を暮らす。
自分を生んで育てれくれた親は勿論です。自分を可愛がってくれた親類や幼な友達も思い出して感謝します。
職場で自分を助けてくれた上司や仕事仲間の顔や声を思い出して感謝します。
勿論、温かい家庭を作ってくた妻に感謝します。子供や孫にも感謝します。
人間は感謝している間は此の世の低俗な欲を忘れるものです。その間は心が高いところにあります。格調の高い境地にあるのです。
このように書いて行くと上の(1)と(2)は誰にでも実行出来ます。人々は無意識のうちに行っていることです。そこでもう一つのことを考えてみましょう。

(3)老境になったら神や仏のことを少し考える
新年になったら神社に初詣に行きます。暮れには寺へ行き、墓掃除をし線香と花を供えます。
無宗教の人々も難しく考えないで日本の習慣に従うだけで良いのです。
すると神社の神々は自分の家族を守ってくれるのです。
お寺に行けばお釈迦様の教えを思い出します。すると此の世の低俗な欲を忘れるものです。
考えてみると不思議です。日本には古来から神道があります。そこへ、はるか2500年前にインドのお釈迦さまが説いた仏教も伝来しました。2000年前のユダヤの地に生まれたキリスト教も伝来しまた。インドから佛教を持って来たのは玄奘三蔵法師です。日本へキリスト教を伝えたのはイエズス会のザビエルでした。
そんなことに想いを馳せている間は心が高いところにあります。格調の高い境地にあるのです。
こんなことを思い出している間は此の世の低俗な欲を忘れるものです。
このようにして老境を穏やかにそして格調高く生きることが出来るのです。

私は毎日10分だけでもこの様に格調高く生きています。残りの23時間50分はテレビの低俗な娯楽番組を見たりスーパーに美味しいものを探しに行きます。時々はレベルの低い夫婦喧嘩もします。しかし大体は妻を尊敬しています。
しかし毎日10分だけでも上に書いた(1)、(2)、(3)を実行しています。それは若い頃想像も出来なかった生き方です。
老境の幸せとはこんなところにあるのです。

それにしても世の中には偉い人がいるものです。若い時から上に書いた(1)、(2)、(3)を実行している人もいます。尊敬すべき人々です。

それはそれとして、今日は皆様のご健康と格調の高い老境をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)