後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、歯医者に行って、小平墓地の写真を撮りに行く」

2020年02月07日 | 日記
朝に「何故、外国人が日本を好きになるのか?」という記事を書きました。
今日は何故日本の評判が良いかの理由を虚心坦懐、客観的に考えてみました。
その結果、次の5つの理由によって日本の評判が良いと考えました。
(1)いろいろな差別が消え、完全に平等な国
(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った国
(3)人々が親切で何処へ行っても安全な国
(4)清潔で世界一豊かな食生活が楽しめる国
(5)75年間、平和が続いた平穏で風光明媚な四季のある国

記事を書いた後、家内と私は別々の歯医者さんへ行きました。
歯医者さんでは少し辛い思いをしました。
午後に家内と一緒に小平墓地の写真を撮りに行きました。静かに散策していたら薄紅色の梅の木を家内が見つけました。走って行って写真を撮ろうとしましたら、宮本百合子という文字が見えて驚いたそうです。簡素な美しいお墓でした。
宮本 百合子は有名な小説家で『伸子』1928年、『播州平野』1947年、『風知草』1947年などの傑作を出版しました。1899年生れで1951年に51歳で亡くなりました。
共産主義者で、宮本顕治の妻でした。
宮本 百合子の墓を偶然見つけたので昭和の時代のいろいろな出来事を想い出しました。
小平墓地の写真を撮ったあとで何時ものヤオコースーパーに寄り食料品を少し買いました。
墓地の写真をお送りします。

1番目と2番目の写真は小平墓地の風景です。



3番目の写真は宮本 百合子の墓です。分骨して他の二カ所にも墓があります。

4番目の写真は都立小平墓地にある児童養護施設で幼くして此の世を去った子供たちの慰霊碑です。昭和26年3月に東京都が建てたと書いてある石碑も傍に立っています。

5番目の写真は都立多摩墓地にある都内の無縁仏の合葬墓です。都立の「養育院」で亡くなった身寄りの無い人の墓です。養育院は窮民救済を目的とした施設で、江戸時代の基金である七分積金を引き継いだ東京都の組織です。

何故、外国人が日本を好きになるのか?

2020年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
世界にはいろいろな国々があります。人もいろいろです。日本という国が好きな人、嫌いな人、日本に関心が無い人。いろいろですね。
しかし最近テレビを見ていると外国から来た観光客にインタビューして日本の感想を聞く番組が多いことに気がつきました。そのような番組では彼等は日本を褒めているのです。絶賛している人もいます。
戦前生れ、戦後育ちの高齢者の私にとっては信じられない褒め方です。絶賛ぶりです。
私は戦前、戦後の食糧難を体験し戦災で焼き尽きされた街々の光景が脳裏に焼き付いています。到底、日本がそんなに良い国だとは思えません。人々の気持もすさんでいました。
しかし私は最近考えが変わりました。時代が変わったのです。その時代の変化に老人がついて行けなかっただけだったのです。
自分の頑迷さに愕然としました。
そこで今日は何故日本の評判が良いかの理由を虚心坦懐、客観的に考えてみました。

その結果、次の5つの理由によって日本の評判が良いと考えました。
(1)いろいろな差別が消え、完全に平等な国
(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った国
(3)人々が親切で何処へ行っても安全な国
(4)清潔で世界一豊かな食生活が楽しめる国
(5)75年間、平和が続いた平穏で風光明媚な四季のある国

さて上の5つの理由を日本といろいろな外国と比較しながら考えてみましょう。
外人観光客の6割、7割は台湾、中国、韓国などの東アジアから来ます。欧米人は遠方なのでアジア人よりも少なくなります。
従って上の5項目の評価は自国の台湾、中国、韓国、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどの国と日本を無意識的に比較して評価しています。すなわち無意識のうちに比較文化人類学的な視点で考えているのです。
共産党独裁の中国の社会と日本を比較して中国人観光客はインタビューに答えているのです。
台湾や韓国の民主国も同様に自国の社会と日本を無意識的に比較し、評価しているのです。
このようないろいろな国の社会問題をここで取り上げることは止めます。

それよりも外国人観光客の評判が良い一番本質的な理由は何でしょうか?
それは、「(1)差別が消え、完全に平等な国」だと私は思います。もう少し詳しく説明します。
昔はアジアからの観光客は欧米人より大切にされなかったのです。昔は外人と言えば欧米人を意味していました。
しかし現在は日本人の差別感が無くなったので、外人と言えば、欧米人、中国人、韓国人、インドネシア人、全てを意味するようになったのです。
アジアから来る観光客はこのことに敏感です。かつて欧米の植民地だっただけに一層敏感です。
テレビのインタビューではこのような深層の大切な理由は言えません。人が親切だったと差しさわりの無い表現で答えます。
このように日本から差別が消え、個人が平等になったのは一朝一夕でなったのではありません。
それには敗戦後の苦しみに満ちた歴史があったのです。

敗戦の後でマッカーサーが乗り込んできて、「日本を民主化し、アメリカのように自由で平等な社会にする」と言って、大きな改革を命じたのです。
日本政府は唯々諾々と命令に従い民主化のための種々の制度改革をしました。そして学校では民主化教育をします。個人の自由と平等の重要性を強く教えました。私も先生方が何度も自由と平等が大切だと言っていたことを忘れていません。女性の権利も確立されました。
しかしそれが本当に分かり身に着くのに「戦後75年」もかかったと言えば嘘になるでしょうか。
江戸時代から続く封建制度が身に沁みていた人々は、生まれた家の格式や自分の身分を無意識のうちに考えていたのです。
その上、明治維新以後の軍隊の強化で軍隊内の階級制度が世の中全体に深い影響を与えていたのです。

放浪画家で有名な山下清さんは戦後ずいぶんたってからも全ての人を、「兵隊の位でいうとどの位の人」と言っていました。
そして民間会社の中でも重役は将官、部長は佐官、課長は尉官、平社員は兵隊のような処遇を受けていたのです。要するに社会のいろいろな組織の中では役職や階級による差別が当然として受け入れらていたのです。少なくとも経済の高度成長期までは。
組織の中で働いていた人々は上役の理不尽な職務命令で、時々、悲しい思いをしたのです。
このような精神的風土の社会では学歴差別、職業差別、男女差別、そして身体障害者への差別は当然のようにあったのです。
私自身も間違いなくいろいろな差別をしていました。恥ずかしい限りですがそんな時代だったのです。
このいろいろな差別が消えたのは経済の高度成長期の終り頃から、それに続くバブル経済の崩壊の時代と考えられます。
それまでは大会社が多くの子会社を隷属し、独裁的に振舞っていたのです。その経済界の差別体制が一挙に崩壊したのです。子会社は親会社から独立し自由になったのです。平等になったのです。もう子会社だからといって差別されなくなったのです。

そしてその頃、アメリカから「差別用語廃絶の思想」が日本へ上陸して来たのです。
この頃から日本の社会からいろいろな差別が急速に消えて行ったのです。
人々は差別が消えると幸せな気分になることに気がついたのです。
差別されない社会。差別しない自分。これこそが本当の幸福だと日本人が信じるようになったのです。
ですから観光客が何処の国から来たかによって日本人は差別しません。何処の国から来ても平等に接したのです。
外国からの観光客が日本に来て居心良く、楽しく日本の各地へ旅が出来るのは差別されないで大切にされるからです。平等に愛されるからです。この理由が一番重要な理由ではないでしょうか?

上に二番目の理由として、「(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った国」を書きました。このことに高齢者は違和感を感じるでしょう。しかし日本のアニメ番組は世界中の国々のテレビで放映されているのです。世界の子供達の人気番組なのです。上の二番目の理由は当然なのです。
皆様は世界の国々の人が「良い国だ」と言う日本に住んでいるのです。その一方、他国を褒める人は幸せな人です。尊敬すべき人です。もっと多くの観光客が外国から来るように願っております。

今日の挿し絵代わりお写真は近所の園芸店で撮った花の写真です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)