後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、武蔵野で野生にかえった梅の花の写真を撮りに行く」

2020年02月19日 | 日記
梅は剪定しないと枝が伸び伸びと成長し野生の梅の木のようになります。
埼玉県の所沢の農村地帯には剪定しないで放置されている梅の木が沢山あります。
農家の人が高齢化して農業を止め、梅の木も剪定しなくなったのです。
そんな梅の花を見ると野生の梅はこんなにも 活力があるんだと感動します。
その感動が忘れられず今日の午後も野生にかえった梅の花の写真を撮って来ました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









老いの日々故郷のことを思い出す、わがふるさと仙台

2020年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
人はみな年老いると故郷のことを懐かしく思い出します。楽しかったこと、悲しかったこと、鮮明に昨日のように思います。
私のふるさとは仙台です。昭和11年に生まれ24歳で離れる迄住んでいました。
今日はふるさと仙台にまつわるエピソードを思いつくままに幾つか書いてみます。お気軽に読流して下さい。

(1)ベーブ・ルースが来て、日本にプロ野球が出来たエピソード
昭和9年11月9日にベーブ・ルースやルース・ゲーリックをまじえた米大リーグ選抜チームが仙台に来ました。仙台の青葉城の後に広がる八木山球場で全日本チームと試合をしたのです。
ルースは日本に来て初めて2本のホームランを打ったほか、ゲーリックなどもホームランを打ちました。試合は7対0でアメリカチームの勝です。
この年、日本の野球界にとっては画期的な事が起きました。年末に我が国初めてのプロ野球チーム、大日本東京野球倶楽部(巨人軍の前身)が創立されたのです。投手の沢村栄治、スタルヒン、内野手の三原脩、水原茂などの19名です。そして翌年6つの球団が生まれたのです。
それから茫々70有余年、プロ野球チームの楽天ゴールデン・イーグルスが来たのです。仙台の市民は戦前にベーブ・ルースが八木山球場で2本のホームランを打ったことを語り継いでいます。そして楽天ゴールデン・イーグルスを応援しているのです。
少年の頃、私はしばしば八木山球場へ遊びに行きました。戦争一色で放置され荒れ放題です。スタンドの盛り土が崩れ、内野席の前にあった鉄製の網は供出され、崩れた白いコンクリートの台座だけが広がっていました。
ベーブルースがホームランを打った八木山球場があった場所は現在、仙台市立動物園になっています。

(2)仙臺味噌と四代目八木久兵衛のエピソード
仙台味噌は米麹と大豆を使い風味豊かな赤味噌です。
江戸時代には仙台藩の御用で製造していましたが現在は宮城県いちえんで製造され、東京のスーパーでも簡単に入手出来ます。私の家は仙台味噌を使い続けています。
そもそも仙台味噌は、仙台藩の味噌御用を勤めていた真壁屋市衛門が寛永3年(1626年)に現在の仙台市の国分町に、「仙台味噌」の看板を上げたのが始まりと言われています。
明治政府によって仙台藩は解体され、仙台味噌も消えて行く運命にありました。それを救ってくれたのが八木久兵衛という人でした。
この八木久兵衛のお陰で仙台味噌は現在に至るまで醸造が続きます。
八木久兵衛は明治時代の仙台の代表的な財界人で、仙台市の八木山の所有主として町の発展に大きな貢献をした人です。

(3)仙台が見知らぬ町になってしまったエピソード
仙台は伊達政宗が1600年前後に築いた城下町です。青葉城の大手門から真っ直ぐ東へ伸びる通りは広瀬川の大橋を渡ったところから、東端の現在の仙台駅までを大町通りと言います。
その大町通りの途中を直角に奥州街道が横切っていて、その四つ角を「芭蕉の辻」といいます。賑やかな商店街でした。
しかし、大正、昭和と時が流れるに従って「東一番丁」が繁華街となったのです。
そんな理由で「東一番丁」に三越百貨店と藤崎百貨店が出来、仙台一の商店街になりました。
私の育った頃はこの「東一番丁」とそれと交叉する「大町通り」へよく遊びに行ったものです。「芭蕉の辻」や「国分町」へも足をのばし意味も無く歩きまわったものです。
仙台を出て東京に暮らすようになって60年。甘い追憶の中のふるさと、仙台を探す旅に度々行きました。
仙台では、思い出をたどりながら町々を歩き回りました。
しかし仙台は見知らぬ白い街になっていました。以前は同級生や知り合いに、二人三人と、偶然会ったものでした。みんな何処かへ行ってしまったようです。
茫々60年。私の追憶の中のふるさと、仙台は見知らぬ白い街になってしまいました。

皆様のふるさとは変わったでしょうか?どのようなふるさとでしょうか?

さて今日の挿し絵代わりの写真は毎年8月行われるに七夕祭りの風景です。こんな紙飾りの下を幾度も歩いたことを懐かしく思い出します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)