北海道には明治32年から平成9年、1997年まで北海道土民保護法という法律が存在していました。法律の名前だけを見るとアイヌ民族の保護を目的にした大変良い法律のように見えますが実態はアイヌ民族の収奪に使われた法律でした。
アイヌの財産を収奪し日本の帝国主義に従った同化政策のための法律でした。
具体的には 次のことを実行するための法的根拠だったのです。
1、アイヌの土地の没収
2、アイヌの収入源である漁業・狩猟の禁止
3、アイヌ固有の習慣風習の禁止
4、日本語使用の義務
5、日本風氏名への改名による戸籍への編入
この法律は 北海道開拓の犠牲となり疲弊したアイヌ民族に対し、和人の立場から見た保護を目的とした法律でした。
アイヌ民族の同化と農耕化を前提に,一戸あたり最大1万5000坪(約5ha)の土地の給付,生活保護,小学校の設置などを主な内容とする立派そうな内容でした。
しかし給付地の全面積は9061haで,アイヌ民族の生活圏だった北海道の全面積の約0.1%にすぎず、その土地の多くは耕作不適地であったのです。
その後、農地改革で多くの土地が没収されます。そして土地給付条項などはその後の改正で削除されます。
1997年5月の〈アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律〉(略称,アイヌ文化振興法)の成立にともない廃止となりました。しかし北海道土民保護法は長い間、アイヌ民族の人権を蹂躙しアイヌ民族の財産を収奪して来たのです。1997年の廃止は遅すぎました。
今日はアイヌ民族の写真を示し彼等の暮らし方を簡単にご紹介したいと思います。
ここに示す写真は大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースが130年前に撮ったものです。
小学館の「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集から転写しました。
これらの写真が示すように明治時代のアイヌは伝統的な服装と家に住み純然たるアイヌ文化を維持していたのです。一緒に写っている白人はクラーク博士でアイヌにも興味があったそうです。これらの写真は彼がアイヌ人を集めて撮影したと思われます。
北海道のアイヌ人は明治以後は日本の小学校に行くようになり次第に伝統的なアイヌ民族の文化が消えて行きました。北海道開拓のために入植した日本人によって土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも禁じられたのです。アイヌの村落は貧しい生活を強いられていました。
しかし、第二次大戦中までは北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。
そして、昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには現在は民族博物館があります。アイヌ村落を復元した展示もあります。
以前、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人が個人的に経営しているアイヌ文化の博物館もあります。敗戦後の仙台の郊外で付き合ってアイヌ人一家のことを懐かしく思いながら感慨深く見て回りました。
明治時代まではアイヌは誇り高い民族だったのです。その民族の名誉を後世に伝えた4人の人を以下に示します。
民族の名誉を守ったアイヌ人、知里幸恵さん、知里真志保さん、川村カネトさん、萱野茂さん。みんなアイヌ民族の豊かな文化を日本人へ伝えたのです。
幸恵さんの事は有名ですが、弟の真志保さんは秀才で旧制一高、東大を卒業し、言語学者になり、後に北海道大学教授になった人です。金田一京助さんの指導でアイヌ語を学問的に研究し、特に日本の多くの地名がアイヌ語に依ることを立証した研究も彼の業績です。
萱野茂さんは二風谷に民族博物館を作り、アイヌ民族文化の復権運動を広く、精力的に勧めたことで有名な人です。後に参議院議員に当選し、国会でアイヌ語で質問、論戦をし、日本にはアイヌ民族が現存していることを示しました。
この中で川村カネトさんは少し変わった経歴です。北海道に陸蒸気(汽車)が走っているのを見て、鉄道建設の技師になった人です。鉄道敷設に先立って行う測量技師です。そして東海道線と中央線を結ぶ飯田線開設の為の困難な測量を完遂したのです。アイヌ人だけで編成した測量隊を北海道から引き連れて行って、天龍山峡の難所を突破して飯田線の線路の路線を決定したのです。国鉄の技術史に残る大きな功績です。その後、彼は出身地の旭川へ帰り、民族博物館を作りアイヌ文化を保存に努めました。
彼の業績に感動した日本人が少年、少女むけに物語を書きました。沢田猛著、こさか しげる絵、「カネトー炎のアイヌ魂」という本です。子供向けの本ですが私は興味深く読みました。感心してこの本の出版元へ電話をしてみました。浜名湖の弁天島にある地方の出版社で、「ひくまの出版」という会社です。この本は1983年2月が初版ですが版を重ねて、現在も売っています。一冊1570円だそうです。「ひくまの出版」のホームページから注文出来ます。この出版社は「ひくまのノンフィクションシリーズ(小学校中・高学年以上向)」という真面目な本を何冊も出版している会社です。良い本を出せば本屋さんはいつまでも存続出来るとことが分かりました。インターネットがいくら栄えても、本の重要性は変わらないと感心したので少し紹介しました。
話はそれましたが今日はアイヌ民族の写真を示し彼等の暮らし方を簡単にご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
アイヌの財産を収奪し日本の帝国主義に従った同化政策のための法律でした。
具体的には 次のことを実行するための法的根拠だったのです。
1、アイヌの土地の没収
2、アイヌの収入源である漁業・狩猟の禁止
3、アイヌ固有の習慣風習の禁止
4、日本語使用の義務
5、日本風氏名への改名による戸籍への編入
この法律は 北海道開拓の犠牲となり疲弊したアイヌ民族に対し、和人の立場から見た保護を目的とした法律でした。
アイヌ民族の同化と農耕化を前提に,一戸あたり最大1万5000坪(約5ha)の土地の給付,生活保護,小学校の設置などを主な内容とする立派そうな内容でした。
しかし給付地の全面積は9061haで,アイヌ民族の生活圏だった北海道の全面積の約0.1%にすぎず、その土地の多くは耕作不適地であったのです。
その後、農地改革で多くの土地が没収されます。そして土地給付条項などはその後の改正で削除されます。
1997年5月の〈アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律〉(略称,アイヌ文化振興法)の成立にともない廃止となりました。しかし北海道土民保護法は長い間、アイヌ民族の人権を蹂躙しアイヌ民族の財産を収奪して来たのです。1997年の廃止は遅すぎました。
今日はアイヌ民族の写真を示し彼等の暮らし方を簡単にご紹介したいと思います。
ここに示す写真は大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースが130年前に撮ったものです。
小学館の「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集から転写しました。
これらの写真が示すように明治時代のアイヌは伝統的な服装と家に住み純然たるアイヌ文化を維持していたのです。一緒に写っている白人はクラーク博士でアイヌにも興味があったそうです。これらの写真は彼がアイヌ人を集めて撮影したと思われます。
北海道のアイヌ人は明治以後は日本の小学校に行くようになり次第に伝統的なアイヌ民族の文化が消えて行きました。北海道開拓のために入植した日本人によって土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも禁じられたのです。アイヌの村落は貧しい生活を強いられていました。
しかし、第二次大戦中までは北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。
そして、昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには現在は民族博物館があります。アイヌ村落を復元した展示もあります。
以前、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人が個人的に経営しているアイヌ文化の博物館もあります。敗戦後の仙台の郊外で付き合ってアイヌ人一家のことを懐かしく思いながら感慨深く見て回りました。
明治時代まではアイヌは誇り高い民族だったのです。その民族の名誉を後世に伝えた4人の人を以下に示します。
民族の名誉を守ったアイヌ人、知里幸恵さん、知里真志保さん、川村カネトさん、萱野茂さん。みんなアイヌ民族の豊かな文化を日本人へ伝えたのです。
幸恵さんの事は有名ですが、弟の真志保さんは秀才で旧制一高、東大を卒業し、言語学者になり、後に北海道大学教授になった人です。金田一京助さんの指導でアイヌ語を学問的に研究し、特に日本の多くの地名がアイヌ語に依ることを立証した研究も彼の業績です。
萱野茂さんは二風谷に民族博物館を作り、アイヌ民族文化の復権運動を広く、精力的に勧めたことで有名な人です。後に参議院議員に当選し、国会でアイヌ語で質問、論戦をし、日本にはアイヌ民族が現存していることを示しました。
この中で川村カネトさんは少し変わった経歴です。北海道に陸蒸気(汽車)が走っているのを見て、鉄道建設の技師になった人です。鉄道敷設に先立って行う測量技師です。そして東海道線と中央線を結ぶ飯田線開設の為の困難な測量を完遂したのです。アイヌ人だけで編成した測量隊を北海道から引き連れて行って、天龍山峡の難所を突破して飯田線の線路の路線を決定したのです。国鉄の技術史に残る大きな功績です。その後、彼は出身地の旭川へ帰り、民族博物館を作りアイヌ文化を保存に努めました。
彼の業績に感動した日本人が少年、少女むけに物語を書きました。沢田猛著、こさか しげる絵、「カネトー炎のアイヌ魂」という本です。子供向けの本ですが私は興味深く読みました。感心してこの本の出版元へ電話をしてみました。浜名湖の弁天島にある地方の出版社で、「ひくまの出版」という会社です。この本は1983年2月が初版ですが版を重ねて、現在も売っています。一冊1570円だそうです。「ひくまの出版」のホームページから注文出来ます。この出版社は「ひくまのノンフィクションシリーズ(小学校中・高学年以上向)」という真面目な本を何冊も出版している会社です。良い本を出せば本屋さんはいつまでも存続出来るとことが分かりました。インターネットがいくら栄えても、本の重要性は変わらないと感心したので少し紹介しました。
話はそれましたが今日はアイヌ民族の写真を示し彼等の暮らし方を簡単にご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)