今回のコロナ感染拡大で「非常事態宣言」が出て耐乏生活を強いられています。
昭和11年生まれの私は少年の頃の太平洋戦争の時の耐乏生活を思い出し、つい比較して考えるのです。
一番強く思い出すのは、「欲しがりません勝つまでは!」という標語です。学校で何度も言わされてよく声を出して叫んでいました。
この標語の意味は鬼畜米英に勝つまでは贅沢品を欲しがりませんという意味です。耐乏生活をして全ての金属は供出されて兵器を作ったのです。
今回の「非常事態宣言」で日本の社会情勢は先の戦時中の耐乏生活に似ています。いや正確に言うと似てる部分と全く違う部分があります。
今日はその似ている部分と違う部分を箇条書きにして書いてみます。
(1)勝つまでは贅沢品を買うのは止めよう。
今回は日本政府は贅沢品を買うなと命令していません。しかし社会の自粛ムードで贅沢品を買う人が極端に少なくなりました。自家用車の購入が激減し自動車会社は生産停止に追い込まれています。
しかし戦時中と違う点は自粛はあくまでも自由意志に任せている点です。戦時中は「パーマネントは贅沢だから止めましょう!」ということまでして女性のお洒落まで禁止したのです。今回は3密禁止で美容院に行く女性がいなくなりましたが、「パーマネントは止めましょう!」というのではありません。
(2)自宅にとどまり不要不急の外出は禁止。
これは戦時中とは違います。戦時中は外出は特に禁止されませんでした。
しかし外でアメリカの艦載機が来襲したら、すぐに家の中や木の陰に隠れろと何度も教わりました。人が見えると艦載機は低空に下がってきて機銃掃射をするのです。そしてB29が来たら家から飛び出して防空壕に潜ることを繰り返していました。
今回の外出禁止は命の危険はありません。それだけで有難いと思っています。
(3)食料品の買い出しは戦時中と似て来た。
スーパ-は便利ですがお客が密集するので使わないようにしています。
肉は肉屋、野菜は八百屋、ビールは酒屋、パンはパン屋というふうに個人商店で買います。個人商店にはお客がほとんどいません。
この状態はまさしく戦時中の買い物の仕方と似ています。しかし戦時中も戦後も米は配給制度で自由には買えませんでした。ですから外食券食堂では配給の米の切符を持って行かないと食事が出来ませんでした。旅館に泊まる時は米を持って行ったのです。肉も魚も野菜果物も生産者が出征してしまい、国内の輸送機関も途絶えがちで僅かな量が配給されるだけでした。
今回のコロナ戦争では外出自粛ですが食料を買いに行くのは自由です。その上、食料はどの店にでも豊富にあるのです。まったく感謝に堪えません。
(4)帰宅待機でもテレビもインターネットもある現在、昔はラジオだけでした。
戦時中はラジオと新聞だけでした。現在は加えてテレビもインターネットもあるのです。これは雲泥の差です。
特にインターネットではテレワークが可能です。仕事だけではありません。会社の同僚とインターネットを使って飲み会も出来ます。
映画も楽しめます。インターネットを使えば教会に行かなくてもミサに与かれます。
それに比べて戦時中のラジオはマグネチック・スピーカーで音も悪かったのです。そんなラジオから、「大本営発表・・・・」という軍人の声が何度も聞こえていたのです。有難い世の中になったのです。
(5)家族は皆無事な現在、ある家族は戦場にいた昔。
今回の「非常事態宣言」で家族そろって皆家に留まっています。しかし戦時中は家族の中のある人は戦場で生死の境をさまよっていたのです。灯火管制の暗い家の中で戦場にいる家族の無事を祈っていたのです。
こんなことを想へば今回の「非常事態宣言」は楽なものです。
このように戦時中の状態と現在のコロナ問題を比較して考えると心に余裕が出るのです。気楽に自粛生活が過ごせるのです。
戦時中の耐乏生活の経験が役に立つとは思いもよりませんでした。戦争を知らない世代には辛い生活と思いますが。
今日の挿し絵代わりの写真は あきる野市にある広徳寺の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
昭和11年生まれの私は少年の頃の太平洋戦争の時の耐乏生活を思い出し、つい比較して考えるのです。
一番強く思い出すのは、「欲しがりません勝つまでは!」という標語です。学校で何度も言わされてよく声を出して叫んでいました。
この標語の意味は鬼畜米英に勝つまでは贅沢品を欲しがりませんという意味です。耐乏生活をして全ての金属は供出されて兵器を作ったのです。
今回の「非常事態宣言」で日本の社会情勢は先の戦時中の耐乏生活に似ています。いや正確に言うと似てる部分と全く違う部分があります。
今日はその似ている部分と違う部分を箇条書きにして書いてみます。
(1)勝つまでは贅沢品を買うのは止めよう。
今回は日本政府は贅沢品を買うなと命令していません。しかし社会の自粛ムードで贅沢品を買う人が極端に少なくなりました。自家用車の購入が激減し自動車会社は生産停止に追い込まれています。
しかし戦時中と違う点は自粛はあくまでも自由意志に任せている点です。戦時中は「パーマネントは贅沢だから止めましょう!」ということまでして女性のお洒落まで禁止したのです。今回は3密禁止で美容院に行く女性がいなくなりましたが、「パーマネントは止めましょう!」というのではありません。
(2)自宅にとどまり不要不急の外出は禁止。
これは戦時中とは違います。戦時中は外出は特に禁止されませんでした。
しかし外でアメリカの艦載機が来襲したら、すぐに家の中や木の陰に隠れろと何度も教わりました。人が見えると艦載機は低空に下がってきて機銃掃射をするのです。そしてB29が来たら家から飛び出して防空壕に潜ることを繰り返していました。
今回の外出禁止は命の危険はありません。それだけで有難いと思っています。
(3)食料品の買い出しは戦時中と似て来た。
スーパ-は便利ですがお客が密集するので使わないようにしています。
肉は肉屋、野菜は八百屋、ビールは酒屋、パンはパン屋というふうに個人商店で買います。個人商店にはお客がほとんどいません。
この状態はまさしく戦時中の買い物の仕方と似ています。しかし戦時中も戦後も米は配給制度で自由には買えませんでした。ですから外食券食堂では配給の米の切符を持って行かないと食事が出来ませんでした。旅館に泊まる時は米を持って行ったのです。肉も魚も野菜果物も生産者が出征してしまい、国内の輸送機関も途絶えがちで僅かな量が配給されるだけでした。
今回のコロナ戦争では外出自粛ですが食料を買いに行くのは自由です。その上、食料はどの店にでも豊富にあるのです。まったく感謝に堪えません。
(4)帰宅待機でもテレビもインターネットもある現在、昔はラジオだけでした。
戦時中はラジオと新聞だけでした。現在は加えてテレビもインターネットもあるのです。これは雲泥の差です。
特にインターネットではテレワークが可能です。仕事だけではありません。会社の同僚とインターネットを使って飲み会も出来ます。
映画も楽しめます。インターネットを使えば教会に行かなくてもミサに与かれます。
それに比べて戦時中のラジオはマグネチック・スピーカーで音も悪かったのです。そんなラジオから、「大本営発表・・・・」という軍人の声が何度も聞こえていたのです。有難い世の中になったのです。
(5)家族は皆無事な現在、ある家族は戦場にいた昔。
今回の「非常事態宣言」で家族そろって皆家に留まっています。しかし戦時中は家族の中のある人は戦場で生死の境をさまよっていたのです。灯火管制の暗い家の中で戦場にいる家族の無事を祈っていたのです。
こんなことを想へば今回の「非常事態宣言」は楽なものです。
このように戦時中の状態と現在のコロナ問題を比較して考えると心に余裕が出るのです。気楽に自粛生活が過ごせるのです。
戦時中の耐乏生活の経験が役に立つとは思いもよりませんでした。戦争を知らない世代には辛い生活と思いますが。
今日の挿し絵代わりの写真は あきる野市にある広徳寺の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)