昨日は初夏のような陽射しでした。近所にアジサイとアオイが美事に咲いています。
季節のうつろいは早いものですね。昨日撮って来た写真をお送りいたします。
この2種類の花は1250年前の万葉集の時代から、毎年初夏になると日本人を楽しませて来たのです。
そこで今日は万葉集にある歌をご紹介いたします。もっとも写真のタチアオイは万葉集のアオイと見かけは違います。しかし同種の植物なので勘弁してください。
(1)アジサイ(紫陽花)の歌
言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり (大伴家持、0773)
意味:
ものを言わない木でさえ、紫陽花(あじさい)のように移りやすいものがあります。(言葉をあやつる)諸弟(もろえ)たちの言葉にすっかりだまされてしまいました。
大伴家持が心変わりした女に送った歌です。なお諸弟(もろえ)は人名とも考えられていますが、はっきりとはしていないようです。
紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ (橘諸兄、4448)
意味:
紫陽花(あじさい)の花が八重に咲くように、いついつまでも栄えてください。あなた様を見仰ぎつつお慕いいたします。
アジサイ(紫陽花)の原種は日本に自生するガクアジサイです。花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれるそうです。
漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者 源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれています。
ガクアジサイは日本が原産地で房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆諸島、足摺岬、南硫黄島、北硫黄島に自生しています。
普通あるアジサイは18世紀にヨーロッパへと持ち込まれ、多くの園芸品種が作られたものです。
(2)万葉集のアオイの歌
梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の 後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く
(巻16-3834 作者未詳)
意味:
梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、時節が移っているのに、あの方に逢えません。
でも、延び続ける葛の先のように、「後々にでも逢うことが出来ますよ」と葵(あふひ)の花が咲いています。
これは言葉遊びの戯れ歌です。
葵は古代「あふひ」とよばれ、他の食用の植物と共に詠われているので「冬葵」(フユアオイ)とされていますが牧野富太郎博士は立葵(タチアオイ)と言っています。
タチアオイはトルコ原産種のようです。日本には古くから薬用として渡来したといわれています。
このように花の写真を撮りながら万葉集の出ているか調べるのが面白いのです。日本にもともと咲いていた花か外国からやって来た花か花の素性を知ると花々の美しさが一層身近に感じられます。その花への愛着が強くなります。
こんな私はマニュアック過ぎるのでしょう。花は単純に見て美しければ良いのでしょう。反省しています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
季節のうつろいは早いものですね。昨日撮って来た写真をお送りいたします。
この2種類の花は1250年前の万葉集の時代から、毎年初夏になると日本人を楽しませて来たのです。
そこで今日は万葉集にある歌をご紹介いたします。もっとも写真のタチアオイは万葉集のアオイと見かけは違います。しかし同種の植物なので勘弁してください。
(1)アジサイ(紫陽花)の歌
言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり (大伴家持、0773)
意味:
ものを言わない木でさえ、紫陽花(あじさい)のように移りやすいものがあります。(言葉をあやつる)諸弟(もろえ)たちの言葉にすっかりだまされてしまいました。
大伴家持が心変わりした女に送った歌です。なお諸弟(もろえ)は人名とも考えられていますが、はっきりとはしていないようです。
紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ (橘諸兄、4448)
意味:
紫陽花(あじさい)の花が八重に咲くように、いついつまでも栄えてください。あなた様を見仰ぎつつお慕いいたします。
アジサイ(紫陽花)の原種は日本に自生するガクアジサイです。花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれるそうです。
漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者 源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれています。
ガクアジサイは日本が原産地で房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆諸島、足摺岬、南硫黄島、北硫黄島に自生しています。
普通あるアジサイは18世紀にヨーロッパへと持ち込まれ、多くの園芸品種が作られたものです。
(2)万葉集のアオイの歌
梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の 後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く
(巻16-3834 作者未詳)
意味:
梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、時節が移っているのに、あの方に逢えません。
でも、延び続ける葛の先のように、「後々にでも逢うことが出来ますよ」と葵(あふひ)の花が咲いています。
これは言葉遊びの戯れ歌です。
葵は古代「あふひ」とよばれ、他の食用の植物と共に詠われているので「冬葵」(フユアオイ)とされていますが牧野富太郎博士は立葵(タチアオイ)と言っています。
タチアオイはトルコ原産種のようです。日本には古くから薬用として渡来したといわれています。
このように花の写真を撮りながら万葉集の出ているか調べるのが面白いのです。日本にもともと咲いていた花か外国からやって来た花か花の素性を知ると花々の美しさが一層身近に感じられます。その花への愛着が強くなります。
こんな私はマニュアック過ぎるのでしょう。花は単純に見て美しければ良いのでしょう。反省しています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)