後藤和弘のブログ

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「興味深い朝鮮の歴史と文化(4)ゆたかな文学作品」

2020年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム
朝鮮には古くから文学作品や歴史書があったのです。日本に古事記や日本書紀、万葉集があったのと同じです。
これを知れば日本人は韓国に親近感を感じるはずです。これこそ友好関係を築く第一歩です。
はじめに韓国の古典文学を概観してみます。萬葉集や源氏物語に相当する文学作品をご紹介します。そして最後に韓国人なら誰でも知っている「春香伝」や「帝釈本解」などの小説のあらすじなどを箇条書きにしてご紹介します。

(1)朝鮮の文学作品の概観とその時代区分
朝鮮の古典についていろいろ調べましたら次の研究論文が明快な概説だと感心しましたので、その概要を示します。
「文学からの接近:古典文学史:―― 時代区分とジャンルを中心に」、山田 恭子著(http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/nomahideki/edu_04_004_yamada_se4l.pdf )
この研究論文ではまず韓国古典文学史を考える上で重要な時代区分やジャンルについて言及し,韓国古典文学の全体像を把握することを目的としています。
そして時代区分を朝鮮の碑文学,漢文学,国文文学(ハングル文字)の関係から、以下のように6つの時代に別けています。
古代前期、後期,中世前期、後期,近世,近代の6 期に分けて考察しています。

碑文学は5世紀になって漢字や漢文学が入ってくるまでの口承文学です。この口承文学は後に「帝釈本解」へと発展します。
そして古代後期とは,建国神話の出現,漢字伝来と漢文学の成立,郷歌の形成に至るまでの時代をさすそうです。
郷歌とは,新羅の三国統一期である6 世紀頃から高麗中期である13 世紀まで存在した文学形式を意味します。しかし広義の郷歌とは紀元前からあった形式で中国漢詩に対する当時の朝鮮の歌謡を広くさす呼称でした。
そして百済、新羅、高句麗の三国時代には.『三国史記』や『三国遺事』が書かれたのです。
さて、中世文学の時代は、漢文学の時代です。科挙制度の前身ともいえる新羅の読書出身科が788 年に,本格的な科挙試験は958 年に実施されたことも漢文学の隆盛とつながったのです。しかし漢文学は訓民正音を用いた国文文学とも共存しました。
最初は漢字を利用した吏読 を通じて,次には朝鮮語を直接表記できる訓民正音とも併用されたのです。
私が想像しているのはこの訓民正音は日本の万葉仮名に相当するものと思います。
中世前期は郷歌と漢文学,特に漢詩が盛行したのです。
そして1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が、「訓民正音」を正式に公布し、公文書にも使用するようになったのです。それが現在のハングルです。朝鮮では日本と同様に教養のある人は現在でも漢字の読み書きが出来、漢詩も読んでいます。

(2)春香伝とは、そしてその粗筋
春香伝は李氏朝鮮時代の説話で、妓生の娘と貴族の両班の息子の身分を越えた恋愛を描いた物語です。
18世紀頃、民族音楽的語り物であるパンソリ、すなはち「春香歌」の演目「春香歌」として広まるとともに、小説化も行われました。韓国では現在も人気のある作品であり、映画化も何度か行われています。
あらすじは次のようなものです。
南原府使の息子の李夢龍と、妓生(キーセン)である月梅の娘の成春香は、広寒楼で出会い、愛を育みます。しかし、父の南原府使としての任期が終わり、李夢龍は都に帰ることになります。夢龍と春香は再会を誓い合って別れます。
新たに南原府に赴任した卞府使は、成春香の美貌を聞きつけて我が物としようとすます。
しかし成春香は李夢龍への貞節を守って従いません。激怒した卞府使は成春香を拷問し投獄します。
都に帰った李夢龍は科挙に合格して官吏となり南原に再び行きます。そして成夢龍は卞府使の悪事を暴いて彼を罰し成春香を救出し、二人は末永く幸せに暮らしたという話です。
韓国人なら誰でも知っている話です。
「沈清伝」や「薔花紅蓮伝」なども検索すると内容が出て来ます。
「沈清伝」;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E6%B8%85%E4%BC%9D
「薔花紅蓮伝」;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%8A%B1%E7%B4%85%E8%93%AE%E4%BC%9D

(3)「帝釈本解」のあらすじ
ある裕福な家に1 人の娘がいて,大切に扱われていました。ある日両親は娘を置いて出かけ、娘は一人家で留守番をしていたのです。
そのとき修行僧が尋ねてきて布施米を請います。娘は米を袋に入れるが,穴が開いていてなかなか米がたまらない。そうこうしているうちに夜遅くなり修行僧は娘の家に一晩泊まることになります。
そして修行僧が帰った後、両親が娘がはらんだことを知ったのです。両親は激怒し、娘を家から追い出します。
娘は修行僧を訪ねて行き,そのまま修行僧と一緒に住みつき3 人の息子を生みます。修行僧は全て自分の息子であることを確認するためにいろいろな試練を課し、しまいに父子関係を認めたのです。
このような内容は父母の承諾もなしに妊娠し追い出される点や,息子と父親との出会いと親子関係の確認が行われる点で、李圭報(1169-1241)の『東国李相国集』などに共通しています。

韓国にも高尚な古典文学だけでなく、こんな男女の愛のものがたりあるのです。それは高尚な万葉集の他に井原西鶴の人情話があるのと同じことです。

今日の挿絵代わりの写真は韓国の本、「春香伝」の表紙です。
写真の出店は、https://ja.wikipedia.org/wiki/春香伝 です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)