後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「勝手な呟きです・・読んで怒らないで下さい」

2021年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム
これは私の勝手な呟きです。読んで怒らないで下さい。離婚のことです。内容は離婚を否定する文章です。離婚した人は不愉快になり怒るかもわかりません。でもまあ読んでみてください。
離婚を気楽にする人が増えてきました。しかし離婚は悲劇です。子供へ悲しい思いを与える事まで考えると離婚をすべきではありません。
離婚の増える原因は女性の経済力の向上が大きな理由と言われています。離婚を罪悪視する風潮が無くなった事も大きな原因の一つです。少し上手く行かないと簡単に別れるという考え方が広がったのです。
一般に離婚の大きな原因は結婚を恋愛の延長と考えている事にあります。
恋愛中は相手のいろいろな側面が見えなくなっている状態なのです。そんな混乱状態で、お互いに自分に適切な相手を選べるわけはありません。
若い男女には一緒になった後の40年、50年の間に2人の生活がどのように変わるのか考えもしません。
ここで離婚の多い国のアメリカの場合を考えてみましょう。
アメリカは恐ろしい社会です。全ての物事は自分の判断で決定し、決定の失敗は自分で責任を取らされる社会なのです。それを拒否すると間扱いをされます。アメリカ文化の始末の悪い事には選択肢が多ければ幸せと思う傾向がある事実です。
ところがアメリカでも結婚相手を選ぶ能力は若い者にはあまりありません。
一緒に長い間暮らしてみて初めて発見する良い性格、悪い性格、家庭をマネージする能力、家事を手際よく済ませる技術、子供達を優しく、しかし厳しく育てる能力、近所付き合いや他人との円満な関係を維持する能力、そして知的な側面も輝いていることなどなど沢山の要素が複雑に関係しているのです。勿論互いに相手を尊重し、愛する気持ちが重要です。
そのような数多くの要素を、「恋愛中で動転している若者」に冷静に判定し、結婚相手を選ぶ能力など若者にある筈が無いと私は思っています。
年齢のいった大人の親戚たちが見合い話を進めるほうが安全です。それが厭なら、「結婚は奇蹟」と信じて、結婚してしまうのも良いと思います。私も見合い結婚をしました。結婚は奇蹟と信じていました。
戦争中、写真結婚をして外地にいる男の所へ単身でお嫁に行った人々を思い返しています。案外それが良い結果を生むのかも知れないのです。
中近東や欧米に広がっているイスラム教、ユダヤ教、キリスト教などの一神教では人々の生活を具体的に教える「戒律」が厳しく存在しています。イスラム教の女性は全身を服やベールで覆い、顔は夫や家族以外に絶対に見せません。家の外にも出ないので日常の買い物は男性の仕事です。それほど厳しく戒律を守っている国々もあります。
それに比べ日本は男女平等で女性も何でも出来ます。外で活躍する女性も多いのです。
しかしイスラム圏の女性の方が幸多い人生を送っているのではないかと考え込むことが時々あります。現実はわかりませんが。
キリスト教でもカトリックでは離婚を禁止しています。
その一方、国家の法律で離婚を認め、その仕方まで法律で決めている国が多くなってきました。
それなのに何故、ローマ法王は離婚を禁止するのでしょうか?進歩的な人物がローマ法王になればこの戒律は削除されるのでしょうか?
答えは明快に、「否」です。キリスト教は離婚を禁止しているからです。もし進歩的な人がローマ法王になってそれを許すとしたならば、その前に彼自身の手で離婚を禁じている旧約聖書の創世記の1-2章と新約聖書のマタイ福音書の19章の1-12節とマルコ福音書の10章1-12節を聖書から削除しなければいけません。
人間であるローマ法王が神に遣わされたイエス様の教えを勝手に変える事は許されない事です。そのように考えるのがカトリックの流儀なのです。
カトリックは古い教えをそのまま信じているので旧教と呼ばれます。
それに対してプロテスタン教会は聖書を一切変更しないで重要視する部分と軽く考える部分に分け、世の中の潮流に合わせて強調する考えを変化させていきます。ですから新教と呼ばれています。
時代の流れで世の中も変わり人々の考え方も変わります。宗教は人それぞれです。どちらかが好きになれば信じれば良いのです。どちらもバカバカしいから信じないというのも個人の自由です。
私は人生の複雑さや悲しみを知れば知る程、完全な結婚の難しさを理解しています。
全ての結婚が正しいとか厳守すべきだと強弁するつもりは全然ありません。ただ時々この教義を思い出して一人つぶやいています。
「離婚するくらいなら結婚をもっと慎重にした方が良いのでは?」「夫婦喧嘩をしても離婚だけは避けよう!」とか。
このように古い、古い教えでも現代的な意味があります。その建設的な効果は永遠にあると私は信じています。
離婚はしてはいけません。全ては運なのです。

それはそれとして、今日も皆様の安寧をお祈り申し上げます。後藤和弘

挿絵代わりの写真は3年前に撮った国立昭和記念公園のコスモスの花です。