後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「老境をすごく楽しくする具体的な4つの方法」

2021年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は老境の毎日を楽しくするために私が実行している方法を4つの方法をご紹介したいと思います。老境の良いことは自由に時間を趣味に使えることです。この特典を生かし老境を楽しく過ごすのです。それでは4つの具体的な方法を順にご説明いたします。 
    
(1)新鮮な発見と広い視野
新鮮な発見をすることは、いとも易しいことです。発見したらそれが新鮮だと自分で驚くことです。それだけではいけません。その発見を日本全国の様子と比較するのです。世界全体のことも少しだけ考えるのです。広い視野で考えると老境の日々がすごく楽しくなるのです。
実例を用いてご説明します。自分が住んでいる小金井市には崖線があるので坂道が多いのです。ある時、江戸時代からの坂道が十数本も残っていることを発見したことです。「念仏坂」「質屋坂」「むじな坂」「大尽の坂」「弁天坂」などなどです。
それらの坂道は江戸時代のままに細く、両側には巨木が生い茂り、ほの暗い坂道です。十数本の江戸時代の名前の残っている坂道から1本の坂道だけを写真でご紹介いたします。それは「白伝坊の坂」です。
1番目の写真は「白伝坊の坂」を坂下から見上げた写真です。
駅前に高層マンションが立ち並ぶ小金井市の一角にこんな古い道が残っていることに私は驚いたのです。私にとっては実に新鮮な発見なのです。
「白伝坊の坂」の傍の墓地には白伝という貧しい坊主が住み着いていました。近所の農家へ托鉢に行って食いつないでいたのです。人徳の高い坊さんだったらしく彼は死ぬまで墓地の守りをしていたそうです。のちに調べたら小さな白伝坊の記念碑が見つかったそうです。

このように考えると全国の江戸時代の小さな道には農民や商人の考えで名前が付けられていたのでしょう。幕府の整備した奥州街道や日光街道や甲州街道や東海道の間に網の目のように人々の作った小さな道が無数にあったのです。その名前を考えてみると心も楽しくなります。こうして老境の日々が楽しくなるのです。

(2)自然界に遊び、自然にとけ込む
老境では自然の中へ思っきり飛び込んで遊べます。するとやがて自分の心が自然と溶け合って、一体になったような気分になります。恍惚の世界です。これこそ老境の幸せです。一つだけ実例を説明致します。
私は甲斐駒岳の麓の山林の中に本当に小さな小屋を持っていました。1974年に完成したものです。今でも変わらず山林の中に建っています。
 
2番目の写真はその山林の中の小屋の写真です。
小屋の前にはイワナの登ってくる小川が清らかな音を立てて流れています。
兎に角、行けば自然がいっぱいで面白いのです。小屋の向こう側をサルの家族がこちらを窺いながら遊んでいます。
ストーブに使う薪を近くの雑木林の中に拾いに行きます。ストーブを燃やしてみると煙突のさきから香の良い青い煙が出てきます。老境には足繁く山小屋に通い、自然界の中で遊んだものです。
もう一つ自然にとけ込む趣味はヨットです。
3番目の写真は私が走らせているヨットの写真です。後ろの帆の下に私が一人で静かに座っています。帆に受ける風の強さを考えて走る方向を決めているところです。
このヨットの趣味は風まかせです。文字通り自然と一緒になって遊ぶのです。私は75歳までヨットの趣味を続けました。その後は「ヨットを眺める趣味」を続けています。

(3)インターネットを楽しむ趣味を持つ
私は2007年から毎日ブログに記事を書いています。数年前からはFace Book やSNSの趣味人倶楽部の2つのクラブの会員になって、そちらでも記事を掲載しています。老境は自由時間が沢山あるのでネット生活が楽しいのです。
昔のことを思い出していろいろ書くことは楽しいものです。多くの方々が読んで下さるのが嬉しいのです。その上、心温まるコメントを頂けるのです。
ネット生活は間違いなく老境を楽しくしてくれます。
しかしネット生活を楽しむために私自身が守ろうとしている鉄則があります。
それは掲載する文章を書いている時、これを読んで下さる方々を想像して感謝しながら書くことです。
こんな雑駁な文章を読んで下さり有難う御座いますと念じながら書くようにしています。
感謝していますと露骨に書かなくてもそれは行間に滲み出ると信じています。
さてこの鉄則はどこから育って来たのでしょうか。
若い頃、ルース・ベネディクトの「菊と刀」という本を読みました。
この本に次のような文章があったのです。
「世界中の民族文化には優劣は無い」という一節です。勿論、民族にも優劣などありません。
それ以来、「世界中の民族文化には優劣は無い」が私の座右の銘になりました。人生のいろいろな場面でこの文章を拡大解釈して使ってきました。
この拡大解釈の一つに、「私の文章を読んで下さる方々には優劣を付けずに平等に感謝すべし」という考えがあります。
そして、「送って下さるコメントには優劣はありません。平等に感謝すべし」ということになります。
これがネット生活を楽しむためのたった一つの鉄則なのです。
老境に至って社会と隔絶してしまうと、ネットを通して出来る人々との絆は私にとっては非常に大切なものです。貴重なものです。
ブラジルやフランスやスペインやドイツに住んでいる日本人と交流出来るのです。台湾や韓国や中国やタイ、インドネシア、シンガポール、などのアジアの国々の方々との交流も深い楽しみです。
とかく、老境になって視野が狭くなるのを逆に広げてくれるのです。老境をすごく楽しくしてくれるのはネット生活です。

(4)住んでいる町の旧石器時代の歴史を調べる
老境を楽しくするには自分の町の歴史を調べることに取り組むのも良いと思います。
歴史と言っても縄文時代やその前の土器の無かった旧石器時代の歴史です。
私が現在住んでいる場所は東京都小金井市です。隣には小平市があり、国分寺市や府中市もあります。少し足を伸ばせば相模原市もあります。これらの町からは旧石器時代の石器や縄文時代の土器が沢山出てきます。大げさに言えば、ザクザク出て来たのです。
ですから関東平野には約4万年前の旧石器時代から人間が住んでいたのは明確な事実です。
小金井の中町には3万年前の旧石器時代の石器と4500年前の縄文時代中期の環状集落跡が出土した「中山谷遺跡」があります。
写真に相模川の遺跡から発見された石器時代の住居跡と旧石器時代の人々の生活の様子を示す絵の合計3枚の写真を示します。この3枚の写真は相模原市の特別な歴史園、田名向原展示館へ何度も通い、自分で撮った写真です。
4番目の写真は平らな土地に丸い印をつけた掘っ建て柱の跡が見える旧石器時代の住居跡です。そして竪穴式住居の周囲に置いた石もあります。黒く焦げた炉跡も見つかっています。これが日本で初めて発見された旧跡時代の住居跡の一つなのです。
年代測定は29000年前の九州の姶良(アイラ)大噴火の火山灰層の位置と炭素の同位体による年代測定から約20000年前と判りました。
この田名向原では2万年前の旧石器時代の住居跡と3000個の精巧な石器の他に5000年前の縄文時代の住居跡、そして1400年前の13基以上の古墳が発見されたのです。
5番目の写真は大ツノシカを旧石器時代の人が数人で囲んで倒している様子を示しています。相模原市の田名向原展示館に展示してあった絵画です。
6番目の写真は旧石器時代に日本に棲んでいた動物を示しています。田名向原展示館の絵です。 ナウマン象や大ツノシカやイノシシがよく食べられていたようです。野尻湖のナウマン象の化石が食べられていたことを証明しています。
なお旧石器時代からの歴史の詳細は、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama の2013年1月と2012年12月の次の関連した記事が掲載してあります。
「相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中」
「日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見」
「私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷」
「所沢市砂川遺跡と岩宿遺跡から出た旧石器時代の石器の写真と日本の旧石器時代」

今日は老境を楽しく過ごすため次の4つの具体的な方法を順にご説明いたしましたました。
(1)新鮮な発見と広い視野、
(2)自然界に遊び、自然にとけ込む
(3)インターネットを楽しむ趣味を持つ
(4)住んでいる町の旧石器時代の歴史を調べる

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「フランンスの市場の花の写真」

2021年09月02日 | 写真
写真の出典は、フランスのマルシェから、夏の花たち、http://www.hirokoendo.com/2015/08/flowers_marche_france/ です。

フランスといえば、マルシェ(市場)が楽しい!
庭がなくても、旅行中でも切り花を買って飾る楽しみがあります!
フランスのマルシェ、夏の花たち
ヴェルサイユ宮殿の近くの大きな広場には週3回マルシェ(市場)が立ちます。
八百屋や惣菜屋、魚屋、チーズ屋、ハチミツ屋、オリーブ屋、八百屋でもビオ(オーガニック)専門のところなど。
色とりどりの美味しそうなスタンドに混じって何軒かあったマルシェのお花屋さんからの写真です。
フローリストのショップとも違ってざっくりと色別に陳列されていることが多いです。