後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「天高く馬肥える秋」

2021年09月09日 | 写真
「天高く馬肥える秋」とは、「秋の素晴らしさ」を表現した言葉です。「天高く」とは、空が晴れて澄み渡っている様子を表し、「馬肥える」とは、馬の食欲が増してたくましく太ることを表現しています。
手紙の時候の挨拶として使われることが多く、「秋の素晴らしい季節になりましたね」という気持ちを表現した言葉です。
しかし「天高く馬肥える秋」は、元々は「秋の素晴らしい季節」を表現したものではなく、「警戒しろ」と注意を促す言葉でした。騎馬民族が毎年秋に、馬に乗って襲ってきたことから、使われた言葉です。
馬と紅葉の写真をお送り致します。出典は、「天高く馬肥える秋」の元々の意味は怖い?由来と使い方の例文 | TRANS.Biz (trans-suite.jp)  です。




「遥か兵庫県の田舎のお寺の思い出」

2021年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
私の祖父は兵庫県の曹洞宗の正林寺の住職でした。叔父も祖父の後を継ぎ住職を長く務めていました。
そのお寺は兵庫県にありました。祖父は和尚でしたが父は仙台の大学に勤めていました。
毎年夏のお盆になると一家揃って兵庫へ里帰りするのが習わしでした。
蒸気機関車で東北本線で上野まで行き電車の東海道線に乗り換えて大阪駅まで長い汽車の旅でした。
大阪・梅田から阪急電車です。能勢口で能勢電鉄へ乗り換え山下駅で降り、あとはタクシーという旅でした。
私は昭和11年生まれですが、記憶に残っているのは4,5歳の頃からと思います。
お寺は山合いの内馬場という集落の端にありました。高い石垣を積み、小さな本堂、鐘楼、庫裏、客間の離れ、白壁の蔵が、狭い敷地にまとまって建っています。
石垣の上の白壁の塀の上からは集落全体が箱庭のように見下ろせます。

お寺の生活は子供心に珍しく、いろいろ思い出があります。
夏のお盆には施餓鬼法要という儀式があります。
近隣のお寺の住職が10人くらい集まり、本堂で、お経を読み、鐘やシンバルを鳴らして輪になって廻るのです。
この儀式では集落の人々の先祖の供養と施餓鬼供養をします。
本堂の左右の客間には集落の人が合掌して座っています。そして人々は供える野菜や果物を祭壇に溢れるほど持ってくるのです。
その施餓鬼法要が終わると叔父の住職は私と弟に子供用の墨染めの衣を着せて集落へ降りて行きます。
一軒一軒全ての家を廻って、仏壇へ向かって、お経を唱えるのです。
お経が終わると、どの家でも冷やしソーメンと果物を出してくます。少し食べて帰ろうとすると、お布施の袋を3つ出してくれます。
小坊主には小さな袋でくれます。これが小坊主にとって一番嬉しいのです。夏の小遣いが溜まるだけでなく、小さなお布施袋を貰うのが嬉しいのです。一人前の坊主になった気分で嬉しいのです。

祖父が住職をしていたお寺は貧乏なお寺で現金収入が一切無かったそうです。
お寺には位牌だけがあり墓地の面倒を見ていません。寺の本堂の須弥壇のお釈迦様の像の後ろの段の上に集落全部の位牌をならんでいました。
そうして祖父や叔父の住職は毎朝、釈迦如来像と多くの位牌へお経を詠んで死者の冥福を祈りまました。
毎年、檀家の人々が米を一年分寄進して蔵の中に蓄えてくれるのです。
檀家の畑に野菜が出来れば、毎日のように少しずつ寺へ持ってきます。味噌、醤油も檀家の人が届けてくれます。
寺には昔から寺領の畑や田があり最小限の自給自足が出来るようになっているのです。住職の仕事は読経と、田畑の世話の両方をすることなのです。
田舎のお寺の裏側にはいつも生活の苦労がつきまとっていたのです。しかしそれも修行です。

戦前の農村におけるお寺と檀家の関係にはこの様に支え合う緊密な信頼関係があったのです。私は戦前のお寺と檀家の親密な関係を懐かしく思って居ます。貧乏な檀家と貧乏な寺でしたが、その関係は心温まるものだったのです。

挿絵代わりの写真は兵庫県の正林寺と山梨県の真言宗善勝寺 の写真2枚です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




「秋晴れ、菊と秋の七草の花々の写真」

2021年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はもう9月の9日、重陽の節句です。旧暦の「重陽」は菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだりして、不老長寿を願う日です。
例年ですと空高く晴れ上がった秋の日になりますが今年は長雨と秋冷の日が続いています。

今日はせめて気分だけでも晴れ上がった秋の日を想うように秋晴れと菊と秋の七草の花々の写真をお送り致します。
秋が来るとと毎年、「小さい秋見つけた」という歌がラジオやテレビから流れて来ます。そして昔は路地に子供達の歌声がしました。そんな「小さい秋見つけた」を口ずさみながら以下の写真をご覧ください。気分爽快になります。(https://www.youtube.com/watch?v=FwCGwrqtBAU )
1番目の写真は相模湖の上の秋の空の写真です。以前自分で撮りました。
2番目の写真は奥多摩湖の上の秋の空の写真です。
3番目の写真は黄色の菊でし。神代植物公園で撮りました。
4番目の写真は清々しい白い菊です。
下にある秋の七草の花々の写真も神代植物公園で撮ったものです。
正門を入った所に、萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、をみなへし 藤袴、朝顔の花(キキョウ)が一カ所に寄せ植えになったいました。
5番目の写真は秋の七草の花々 が寄せ植えになっている様子を示す写真です。
6番目の写真はオミナエシです。
7番目の写真はキキョウの花です。
8番目の写真はナデシコの花です。
9番目の写真は白い萩の花の写真です。
秋の七草は万葉集に歌われています。
日本に万葉集時代から咲いている花々は現在でも変わらず美しく咲いています。心がおだやかに静まります。
そして9月は秋のお彼岸の季節です。間もなく墓参りに行きます。この長雨がやんで青空になるように祈っています。

今日は秋晴れと菊と秋の七草の花々の写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考までに========================
重陽の節句は、五節句の一つであり、七草粥の節句、雛祭りとの桃の節句、子どもの日の端午の節句、七夕の節句と並び江戸時代では重要な祝日で
した。
重陽の節句の主役といえば「菊」です。
菊の花には昔から寿命を延ばす力が宿っていると考えられており、観賞用だけではなく薬草や食用としても人々から愛されてきました。
重陽の節句では、この菊を使った行事がたくさん行われます。数例を示します。
菊湯。
端午の節句で菖蒲を浮かべたお湯に入るように重陽の節句でも菊の花を浮かべたお湯に入り体を清める風習があります。
菊合わせ。
菊合わせは現代でいう菊のコンクールのようなもので個人個人で菊を持ち寄ってその美しさを競う大会が開かれます。
また、菊まつりや菊人形展なども開催されます。
被せ綿(きせわた)。
重陽の節句で一番有名な行事が「被せ綿」です。9月9日の前日に菊の花の上にシルクの綿を被せておきます。
そうすると菊の朝露が豊潤な香りとともに綿に移るのです。その露を含んだ綿で9日9日の朝に体を拭いてお清めをするのです。
古来から菊は霊力を持った植物と考えられており、菊の露で体を清めることで菊の霊力に加護され若返ることができると言い伝えられています。