後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ユトリロを見た後はセザンヌとゴッホの絵を見ています」

2023年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム
師走で何となく忙しい気分になり心に潤いが無くなります。こんな気分の時、私は印象派の絵画を見ます。
私は先程からユトリロ見ていました。続いてセザンヌとゴッホの絵を見て豊かな気分になりました。その写真を10枚お送りします。始めの5枚がセザンヌの絵画で後の5枚がゴッホの絵画です。
1番目の写真はセザンヌの「サント=ヴィクトワール山と松の大木」です。
2番目の写真は「赤いチョッキの少年」です。
3番目の写真は「りんごとオレンジ」です。
4番目の写真は「カード遊びをする人々」です。
5番目の写真はセザンヌの「水浴する女」です。
続いてゴッホの絵をお送り致します。
6番目の写真はゴッホの「夜のカフェテラス」です。
7番目の写真は「アルルの跳ね橋」です。
8番目の写真は「カラスのいる麦畑」です。
9番目の写真は「星月夜」です。
10番目の写真は「ファン・ゴッホの寝室」です。

今更セザンヌとゴッホの絵の解説は不要と思います。しかしセザンヌとゴッホについて少しだけ書いておきます。
ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839年 - 1906年)が高く評価されたのは晩年になってからでした。特に没後その名声が高まったのです。
1839年に南フランスに生まれ、1861年、絵を志してパリに出ます。パリで、後の印象派を形作るピサロやモネ、ルノワールらと知り合います。サロンに応募したが落選を続けました。第1回と第3回の印象派展に出展しますが厳しい批評が多かったのです。しかし遂に1882年に1回サロンに入選したのです。その後徐々に評価が高まります。
1906年、制作中に発病した肺炎で死亡しました。享年67歳でした。
この様にセザンヌがようやく評価されるようになったのは晩年になってからだったのです。没後その名声が高まったのです。

一方、フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホは1853年に生まれ 1890年に37歳で亡くなりました。オランダのポスト印象派の画家です。ゴッホも生前は苦労の連続でした。生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だけでした。それでも弟テオドール(通称テオ)の援助でなんとか生活していたのです。そしてゴッホは油彩900点、素描1100点を遺しました。
傑作とされる作品はほとんどが晩年の約2年半(1888年2月から1890年7月)に制作されたものでした。
しかし彼の絵画は世界中で人々に感動を与えているのです。不思議です。私も彼の絵が大好きです。
好きという軽々しいものではなく魂がゆさぶられるのです。生きる勇気が猛然と湧いて来るのです。人間の素晴らしさを感じるのです。そして何と言っても美しいのです。
1989年、1990年にオハイオのコロンバス市に住んでいたときゴッホの絵があるシカゴ美術館やピッツバーグ美術館に何度も車を走らせたこともありました。
ゴッホの絵は世界の宝です。余計な解説は要りません。

今日はセザンヌとゴッホの絵の見てお楽しみ頂きました。明るい気分になり元気が出てきたと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)