後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「クリスマスの季節の美しいイルミネーション」

2023年12月08日 | 写真
クリスマスの季節の美しいイルミネーションをお送り致します。
写真は軽井沢高原教会の 星降る森のクリスマスのイルミネーションなどです。写真の出典は、https://illumi.walkerplus.com/detail/ar0420e395421/image1.html です。

「師走になると昭和時代の侘しい生活を思い出す」

2023年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム
師走になると何故か過ぎし昔のことを思い出します。一年の終わりなので自然にそんな気分になるのです。そんな訳で今日は自分が生まれ育った昭和時代の生活を書いてみたいと思います。
昭和11年生まれの私は昭和時代の侘しい生活を体験しています。日本が高度成長する前の貧しい暮らしです。
まず昭和時代の生活を伝える写真をお送り致します。
1番目の写真は私が若い頃よく見た地方の町の風景です。日本の地方の町々はこのようでした。こんな町は現在でも地方には残っています。
2番目の写真は昭和時代の家の茶の間です。テレビが写っているので昭和35年頃の写真です。
3番目の写真は路面電車のある都会の花電車です。集まっている人々は服装が現在と比べるときちんとしています。花電車の広告に「テレビはナショナル」とありますからテレビが普及しつつある昭和35年頃の風景です。
これらの写真が示すように高度成長前の日本の暮らしは貧しかったのです。その貧しさが懐かしいです。こんな貧しい時代には家庭でクリスマスでを祝うことはあまり一般的ではなかったのです。
一方、昭和時代の農村ではどんな生活だったのでしょうか。農村へは疎開したので当時の農村の生活を知っています。
1945年7月10日に100機のB29の焼夷弾空襲で住んでいた仙台市が完全に焼け野原になりました。
焼け野原になった10日後に小学3年生だった私は弟2人と共に3人だけで宮城県北部の農村に疎開しました。都会からいきなり農村に行ってみると生活条件が非常に違うので驚き悲しい思いをしました。
昭和時代の農村の風景写真を示します。

4番目の写真は私が疎開した農村によく似た農村の風景です。写真の出典は、

5番目の写真は昭和時代の農家の風景です。大八車の左にある箱型の装置は脱穀した米と籾殻を風で分ける装置です。重い米粒だけ下から出てきます。
写真の出典は、https://kodaira-tourism.com/spot/1284/ です。

6番目の写真は昭和21年に撮影された田植えの風景です。一人の男だけ兵隊服を着ています。復員して来た直後のようです。
肥料は人糞を使っていました。占領軍はショックを受け日本の農産品を絶対に食べませんでした。野菜は全てアメリカから運び込んでいました。しばらくすると独自に清浄栽培していました。

7番目の写真は子供達と一緒に農作業をしている長閑な風景です。
さて疎開生活の思い出で印象深かったことは囲炉裏の大鍋で一家の夕食を作ることでした。大鍋へ 畑から採って来た野菜をいれ味噌を加えて煮ます。そこへ小麦粉をこねて親指の形にした塊を次から次へと放り込むのです。これを囲炉裏の回りに座った一家と疎開者の我々が椀によそって貰ってフーフー言って食べるのです。毎日、毎日、夕食はこの「すいとん」でした。
米は朝に一回だけ大きな釜で炊き上げます。朝食はご飯と囲炉裏で煮た味噌汁と漬物でした。昼は朝に焚いたご飯で弁当を作り当時通っていた田舎の小学校へ持っていきました。おかずは漬物だけでした。
時折父母が仙台から疎開先にやって来てお土産としてクジラのベーコンを持って来ました。それが驚くほど美味しかったのです。
最近店でクジラのベーコンを売っているのを見つけました。驚喜して買ってたべました。ところが不味いのです。生臭くてとても食べられません。あの美味しかったクジラのベーコンは幻のように消えてしまったのです。
疎開生活の思い出はいろいろありますが今日はこれぐらいにしておきます。

嗚呼。あれから約80年です。戦争に負けた日本も豊かになったものです。それにしても毎日囲炉裏の大鍋で煮た「すいとん」が懐かしいです。家内は鎌倉から群馬県の下仁田へ一家で疎開したので、生活条件は良かったようです。疎開の思い出は山の生活が珍しかったようでいつも楽しそうに話します。最近まで年に一度下仁田 小学校のクラス会に出席していました。

今日は昭和時代の侘しい生活を思い出すままに書いてみました。それは現在の生活と比べると実に貧しい生活でした。老境になるとそんな貧しい時代が無性に懐かしくなります。不思議です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)