間もなく楽しいお正月がやって来ます。多くの日本人は家族と一緒に神社に行って初詣をします。心が明るくなります。心温まる日本人の年中行事です。
この日本固有の宗教の歴史はとても古く旧石器時代や縄文時代から自然崇拝から始まりました。この自然崇拝のための建物が神社の原型だと言われています。神社の原型は大きな柱や高い櫓のようなものでした。青森、三内丸山縄文遺跡からは巨大な六本柱の櫓の跡が発見されています。
その原型が弥生時代から古墳時代にかけて次第に現在の神社ような建物になったと考えられています。
日本列島に人が住み始めたのは3万年以上前のことです。ですから神道の原型の自然崇拝は3万年以上もあると考えられていかす。
したがって神道は日本人の民族宗教なのです。日本に仏教やキリスト教が入って来ても絶対に消滅しない日本人特有の宗教です。
今日はこの神社や神道の歴史をご紹介したいと思います。
3万年以上前の旧石器時代と続く縄文時代の生活の様子は長野県の井戸尻遺跡の研究によって明らかになっています。
井戸尻遺跡からは畑作農耕に使われた石器の刃の鍬や鎌などが多数発見されています。縄文時代に畑作農耕が普及していたのです。
そして青森、三内丸山縄文遺跡からは巨大な六本柱の櫓跡が発見されています。この建造物は縄文人の宗教行事に使用されたと言われています。
一方、山や大樹・大きな岩など自然のものに神が宿ると崇拝する神道の起源は縄文時代にあるという説もあります。そしてこの自然崇拝のための建物が弥生時代や古墳時代に現在の神社のようになったという説が広く認められています。
ですから日本には約2000年前の弥生時代に起源がある神社が沢山あります。
その一つの実例が東京都府中市にある大国魂神社です。大国魂神社の起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものであると言い伝えられています。
景行天皇は実在していませんから景行天皇41年は嘘です。しかし弥生時代の西暦111年頃には起源があったことは信用しても良いと私は思っています。さらに大国魂神社の2Kmくらい西に熊野神社古墳があるのです。
この府中市の近辺は弥生時代や古墳時代から武蔵野の中心として栄えた場所だったのは間違いの無い事です。
出雲臣天穂日命の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられ大国魂神社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれています。
その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、大化の改新(645)ののち、律令国家の武蔵国の国府をこの処に置くようになり国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられたのです。そして大国魂神社の東の隣に国衙が建設され武蔵国の首都になったのです。
そんな古い歴史のある神社なので地方史が趣味の私にとっては興味深い場所です。
以前撮った大国魂神社の写真をお送りします。
さてここで日本にある神社の全体を見てみましょう。
日本にある神社は東京都渋谷区代々木にある神社本庁によって統括されています。神社本庁は「庁」と称していますが政府の行政機関ではなく民間の宗教法人の一つです。
日本において「神道」という言葉が初めて出て来るのは『日本書紀』の用明天皇紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であると言われています。
神道は外来の宗教である仏教と日本固有の信仰を区別するため用いられた言葉ですがやがて神仏混交するのです。
日本国内には約85,000の神社が登録されています。その他に登録されていない小さな神社が無数にあるのです。この神社を敬う人は約1億600万人いると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるそうです。初詣の参拝者が多いのもうなずけます。
東京で初詣の多い神社・寺院は明治神宮、浅草寺、増上寺、神田明神、靖国神社、大國魂神社、深大寺、高幡不動などなどです。私の地元には小金井貫井弁天と稲穂神社あります。
以上のように神社や神道は日本人の心の故郷なのです。間もなく神社が賑わう楽しいお正月がやって来ます。初詣の神社を想うと心が暖かくなります。
今日は神社と縄文時代に出来た神道の原型のはなしを書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)