後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「戦争で私はこんな農家へ疎開した」

2023年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム
それは1945年のことでした。B29 による空襲で仙台市が焼野原になってから宮城県の北部の農村に疎開しました。
疎開先の農家にそっくり似た農家が小金井公園にあったので写真を撮って来ました。 

1番目の写真は私の疎開先の農家にそっくり似た農家です。家の右の入り口を入ると大きな土間になっています。台所です。右奥に竈(カマド)があります。左には大きな囲炉裏があります.。囲炉裏の奥は座敷になっています。
2番目の写真は囲炉裏の奥は座敷です。
3番目の写真は土間の右奥にあるかまど・へっついです。
4番目の写真はかまど越しに見た家の中です。」
私は中国の農家も見ましたが構造はよく似ていました。入り口を入ると大きな土間になっています。奥にかまどがあります。
そんなことを思い出しながら写真を撮って来ました。

「明治、大正、昭和時代の農家、商店の実物の感動的な展示」

2023年12月16日 | 写真
明治、大正、昭和時代の農家、商店の実物を見ると感動します。その頃の日本人の息づかいが感じられます。昔の人々の声も聞こえるようです。
明治、大正、昭和時代の農家、商店の実物が小金井公園にあるのです。
私は旧懐の情に駆られて何度も訪れました。
そこでは昔の農家や味噌醤油店や居酒屋などが丁寧に移築され展示されています。そして嬉しいことに商店の内部の商品までも復元し展示されています。そんな商店に入ると昔の空気が身を包み少年の頃の自分になってしまうのです。展示のある所は「江戸・東京たてもの園」という小金井公園の一画です。
今日は移築された昔の農家や商店の写真を少しだけ示したいと思います。興味のある方は是非小金井公園に来て、数十もある実物をご覧下さい。数多くの移築された商店は時が止まったようです。昔の日本を思い出させます。
1番目の写真は農家です。終戦の年に私はこんな農家に疎開しました。その農家はもう少し小さく貧し気でした。写真の農家は天明家です。江戸時代に、鵜(う)ノ木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた旧家です。
2番目の写真は味噌醤油店です。味噌醬油の他に酒類も売っていました。建築年代は1933年(昭和8)です。大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。終戦の前後に私が住んでいた仙台の近所にこれとそっくりの店がありまあいた。
3番目の写真は味噌醤油店の内部の商品です。懐かしいサントリーのダルマ瓶が並んでいます。ダルマ瓶は高級でなかなか買えませんでした。味噌や醤油は ”はかり売り” でした。入れ物を持って買いに行きました。
4番目の写真は居酒屋です。大学生の頃によく行った居酒屋に似ています。この居酒屋は鍵屋です。台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3)に建てられたと伝えられています。
5番目の写真は居酒屋の店内です。酒樽に坐って熱燗を飲みます。すぐ陶然となります。建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。店に入ると酒の臭いがするような気分になります。
6番目の写真は文房具店です。小学生の頃は文房具が好きで文房具店に見るだけでよく行ったものです。
明治初期に創業した文具店の武居三省堂です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わったそうです。
7番目の写真は武居三省堂の店の商品です。当時の文房具は貧弱でした。建物は震災後に建てられて前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。
8番目の写真は花屋さんです。花市生花店(はないちせいかてん)です。
昭和初期に建てられた「看板建築」の花屋です。建物の前面は花屋らしくデザインされています。
9番目の写真は花屋さんの内部の花々です。店内は昭和30年代の花屋を再現しています。

今日は移築された昔の農家や商店の写真を少しだけ示しました。興味のある方は是非小金井公園に来て多くの実物をご覧下さい。数多くの移築された商店は時が止まったようです。「江戸・東京たてもの園」には数十もの懐かしい建物が移築され一般公開されているのです。
詳しくは、https://www.tatemonoen.jp/ をご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)