後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日は日曜日なので宗教に関することを書きます」

2023年12月03日 | うんちく・小ネタ
全ての宗教には優劣がありません。原始宗教や高等宗教も同じように重要なのです。
全ての宗教は平等に重要であり、どんな宗教や宗派にも優劣が無いと私は信じています。
しかし私は古いキリスト教が好きです。宗教改革の前から受けたつがれて来たカトリックやロシア正教が好きです。マルチン・ルターの宗教改革のおかげで、カトリックの悪習や政治権力との融合が無くなり随分と改良されました。それも含めて、私は何故か古いものに魅力を感じます。
とくにカトリックは1549年にザビエルによって日本へもたらされました。他のキリスト教の全ての宗派は江戸末期か明治時代になってから日本へやって来ました。
今日は私の個人的な好みに従ってカトリックからはヨハネ・パウロ2世とロシア正教からはニコライのことを紹介したいと存じます。

====傑出していたローマ法王、ヨハネ・パウロ2世のこと===
ヨハネ・パウロ2世が2011年に福者に列せられるという決定が、ローマ法王、ベネディクト16世から正式に発表されました。福者とはカトリックの聖者の次の名誉称号であり、いずれ聖者になる可能性が大きいのです。
ヨハネ・パウロ2世が死後6年足らずで福者に列せられるのは異例のことで、如何に傑出した法王だったかの証です。
彼の偉大な功績は、法王なのに巡礼のように世界中を隅々まで旅をして、各地の言葉でミサをたて、洗礼式や叙階式をした事です。日本へも1981年に来て、長崎へも巡礼の旅に行きました。これほどローマ法王が身近に感じ、親しく感じた事はありません。
ポーランドの連帯代表のワルサさんに会いに行き、ポーランドの自由化を支援した事も忘れられません。

====神田のニコライ堂を建てたあるロシア人のニコライの物語=====
ロシア正教は他の東方教会とともにマルチン・ルターの宗教改革の洗礼を直接は受けませんでした。ですから本当に古いタイプの宗派です。
ニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の7年前の1860年、24歳の時日本へ宣教のために行く決心をします。そして翌年、函館に着いてから終生日本に居ました。もっとも短期間、2度、祖国へ帰ったことはありましたが。
 函館に着いた1861年はまだ江戸時代です。それから51年後の1912年、75歳で永眠し、谷中の墓地に葬られ日本の土になりました。
ニコライの日本を愛する心は強く、数々の感動的なエピソードが残っています。その中から一つをご紹介します。
1904年、1905年は日露戦争でした。戦争勃発と共に在日ロシア人は一斉に帰国して行きます。ロシア公使のローゼン男爵もニコライに帰国するように薦めます。ニコライは静かに断ったそうです。そして言うのです、「私はロシアに仕える者ではない。主ハリスト(主キリスト)に仕える者である。」と。
ニコライは日本人信徒の一人一人を強く愛していたのです。ロシアへ逃げ帰るなど考える筈がありません。
1912年、持病の心臓病が悪化し、聖路加病院で天に帰りました。駿河台のニコライ堂から谷中の墓地まで、葬列を見送る人垣が沿道の両側を埋め尽くしました。明治天皇からの「恩賜の花輪」を抱きかかえた人が葬列の中に見えます。(葬列の写真10枚ほどを見ながら書いています) 
お茶の水のニコライ堂のそばを通るこいとがあったら上の話を思い出して下さい。

それはそれとして、今日も皆様の健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日のカトリック関口教会の待降節第1主日のミサの風景」

2023年12月03日 | 写真
今日のカトリック関口教会のミサの風景です。
今日はインターネットでカトリック関口教会のミサにあずかりました。写真は今日のミサの風景です。

関口教会は1900年に正式に小教区として設立されました。1918年に大司教館が移転し、1920年に築地教会から関口教会に東京の司教座聖堂(カテドラル)が変更となり現在に至ります。

第2次世界大戦時の東京大空襲で聖堂は消失してしまいます。戦後、ドイツ・ケルン教区の多大な支援により1964年12月8日には、丹下健三氏の設計による東京カテドラル聖マリア大聖堂が献堂されました。無原罪の聖母に捧げられた関口教会は100年を超えた歴史を刻んでいます。
 


「今日のカトリック関口教会の待降節第1主日のミサの動画配信」

2023年12月03日 | 日記
12月3日10:00時


12月3日10:00時
司式 タルチシオ菊地功大司教様S.V.D

入祭 典301 天よ露をしたたらせ
いつくしみの賛歌 610
答唱詩編 典80①⑤⑥ 神よわたしに目を注ぎ
アレルヤ唱 典255 待降節第1主日
奉納  典184 わたしは静かに神を待つ
感謝・平和の賛歌 典613・614
拝領  カ典3 荒れ地のかわき果てた土のように
閉祭  カ聖105 来ませ救い主 

写真はバチカン市国です。
バチカン市国はイタリアの首都ローマの中にある世界一小さな都市国家です。国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。
約820人がこの小さな国に住んでいます。国民のほとんどは聖職者と修道士・修道女です。面積は0.44㎢。これは皇居の半分の以下の広さで、東京ディズニーシーとほぼ同じ大きさです。