後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「美しい蓮の花と行田への旅」

2024年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム
何故か分りませんが私は蓮の花が大好きです。色合いが心を誘い大輪の花が初夏の風に揺れている光景は幻想的です。一面に広がる蓮田の中に花が咲いています。大きな葉が揺らぎ涼しい香が漂って来ます。
そんな風景は埼玉県の行田の「古代蓮の里公園」でも見ることが出来ます。
今日は「古代蓮の里公園」の美しい蓮の花の写真をお送りいたします。写真は小生と家内が2008年の6月に写したものです。
「古代蓮の里公園」では10万株も植えてありその上、世界中の蓮の花を集めています。以前に3,4度訪れたことがあります。
1番目の写真は行田にある「古代蓮の里公園」です。
2番目の写真は「古代蓮の里公園」に咲いていた蓮の花です。
さて蓮の花には数種の色合いがあります。それらの花の写真を示します。
写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292 です。
3番目の写真は薄いピンク色の花です。
4番目の写真は白い蓮の花です。
5番目の写真は薄いピンク色の花を横から撮った写真です。
 
古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。
この「古代蓮の里公園」では蓮の花だけでなく、広大な芝生と高い展望台も楽しめます。
都内の公園とは異なり、展望台は建物に取り囲まれていません。ですから周りの水田が見渡せ、その先には日光連山まで見えます。
行田市は東京から日帰りで観光旅行に丁度良い所と思います。東京の人は行田にあまり観光に行きませんが隠れた観光名所名所です。大きな無料駐車場もあります。
 
今日は埼玉県の「古代蓮の里公園」の美しい蓮の花をご紹介致しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏の風物詩、あちこちに蓮の花が咲く風景」

2024年07月23日 | 写真

蓮の花の咲く景色は夏の風物詩です。お寺の境内、各地の城のお堀や一面に広がる蓮根畑に咲いています。
夏の陽に輝く白い花が風に揺れている光景は心に刻み込まれています。私は霞ヶ浦でヨットをしていたので周囲に広がる蓮根畑の白い花が忘れられません。そして同級生の大泉君と一緒に見た小田原城の堀に咲く花は背景の天守閣の風景とともに忘れません。
その上家内と一緒に行った行田の蓮の公園に一面に咲いていた蓮の花には感動したものです。
そこで今日はこれら3ケ所の蓮の花の写真をお送り致します。

1番目の写真は霞ヶ浦の蓮根畑の写真です。2008年の夏に撮ったものです。

2番目の写真は小田原城の堀に咲く蓮の花です。観賞用の花なので種々の色の花が咲いています。出典は、https://www.jalan.net/kankou/spt_14206ac2102085649/ です。

3番目の写真も小田原城の堀に咲く蓮の花です。花の背景には白壁の小田原城がありピンク色の蓮の花を引き立てています。出典は、https://www.jalan.net/kankou/spt_14206ac2102085649/ です。

4番目の写真は行田の蓮の公園に一面に咲いていた蓮の花です。出典は、https://www.go2park.net/photo/kodaihasu_flower.html です。


観賞用の蓮は美しいピンクなのです。そして蓮根畑の蓮の花は純白なのです。
それはさておき蓮は何故お寺の境内にあるのでしょうか?明快な説明は次の本にあります。
稲垣栄洋著「なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 」、幻冬舎の新書、2015年出版、(https://www.gentosha.jp/article/3402/ )
それによると、ハスは不浄である泥の中から茎を伸ばし清浄な花を咲かせるので仏教が理想とする在り方なのです。極楽浄土に最もふさわしい花なのです。

蓮の臺(ウテナ)という言葉もあります。ですから仏像はハスの花の上に座っているのです。
その上この本では仏教のさまざまな教義が植物に喩えて説かれ、寺や墓のまわりも仏教が尊ぶ植物で溢れている理由を分かり易く説明してあります。
例えば『法華経』というお経があります。これは「華の法の経」と書きます。蓮華にたとえられる経典という意味です。つまり、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という教義を中心にしたお経とも言えるのです。
稲垣栄洋著「なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 」の本は興味深い内容なのです。
この本は大乗仏教を分かり易く説明した優れた入門書なのです。稲垣 栄洋さんは1968年生まれの植物学者で静岡大学教授です。是非、ご覧下さい。


「美しい蓮の花と施餓鬼供養のはなし」

2024年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

毎年、毎年、7月になると小金井市の真蔵院の蓮の花が美しく咲きます。ピンクや白い大輪の花が本堂の周りを埋めています。金色の蕊が風に揺れています。もう何十年もここに来て蓮の花の写真を撮り続けています。
それでは自分が撮った写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。





毎年、7月に感謝しながら蓮の花の写真を撮っています。
このお寺の住職さんとはお会いしたことがありません。しかし、どうぞ花の写真を撮って下さいと歓迎しているようです。山門の前に駐車場も用意し、境内も掃き清めてあり静かな場所です。本堂の裏には小金井公園の見事な雑木林が続き借景になっています。
本堂前には、何時も真言宗豊山派の広報誌の「光明」という冊子が置いてあります。毎回持ち帰り読むことにしています。
このお寺の住職さんは座禅会などもしていて真面目に、静かにお釈迦さまの教えを弘めようとしています。秘かに尊敬したくなるような僧侶に違いありません。
今回頂いてきた「光明」に毎年お盆のころにお寺で行う施餓鬼会について簡単な説明があったのでご紹介します。
飢えた鬼たちに食べ物を与えるのが何故仏教と関係があるのでしょうか ?

「光明」の説明によると、施餓鬼会では先祖様や亡くなった方を供養をします。塔婆を立てたり墓参りをします。
信徒たちもお坊さんと一緒に飢えた鬼たちが食べ物が得られるように祈ります。鬼に施しをする儀式なのです。
餓鬼に施すと功徳を積んだ積んだことになります。この功徳が亡くなった方へめぐり(回向)、供養するのです。
簡単に言うと、餓鬼に食べ物を与えるー功徳を積むー回向するーそれが先祖の供養になるという考えなのです。
この施餓鬼はお釈迦様の弟子の一人の阿難と餓鬼との会話がもとになってます。

・・・ある夜、阿難尊者が座禅をしていると、それはそれは恐ろしい形相の餓鬼が現れ、こう言いました。「お前の命はあと三日でなくなる。死後はお前も私と同じ餓鬼道に墜ちて悶え苦しむだろう。そうなりたくなければ、三日以内にすべての餓鬼の飢えを癒しなさい。」

餓鬼の数は無限にいます。困り果てた阿難尊者はお釈迦様に相談されました。するとお釈迦様は陀羅尼というお経を阿難尊者に授け、「この陀羅尼を唱えながら、ひとつまみの食べ物を施すと、それが無量の食べ物となり、無数の餓鬼を施すことになります。そうすれば、その功徳によってあなたも救われますよ。」と教えられました。そして、そのお教えのとおりに供養すると、数多の食べ物で多くの餓鬼を救うことができ、阿難尊者の寿命も延びたといわれています。

これが施餓鬼会の由来です。・・・

昨日は、夏風に吹かれながら蓮の花の構図をあれこれ考えながらゆっくり写真を撮りました。そしてはるか幼い頃に見た祖父の姿や施餓鬼会の光景を懐かしく思い出していました。鳴り物の響きがよみがえって来ます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=======================
真言宗豊山派寺院の真蔵院は、慈眼山普門寺と号します。真蔵院の創建年代は不詳ながら、御嶽山世尊寺の塔頭だったといいます。関野新田を開発した勘左衛門の父甚五左衛門(享保16年1731年没、法名真蔵院勇寛義鋭)を開基として、延享2年(1745)当地へ移転、秀典(宝暦12年1762年寂)が開山したといいます。多摩八十八ヶ所霊場31番です。(http://www.tesshow.jp/tama/koganeikokbunji/temple_koganei_shinzo.html)