後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「岡 鹿之助の『雪の発電所』と『パンジーの花』の絵」

2024年07月26日 | アート・文化
岡 鹿之助の『雪の発電所』は私の好きな絵なのでお送り致します。堅固な建造物が纏うはだら雪の柔らかさが静謐な雰囲気を醸し出しています。またパンジーの思索深い表情は画家の精神性の高さや穏やかな人柄を表しているように思えるのです。
岡 鹿之助は1898年(明治31年)に生まれ 1978年(昭和53年)に没しました。昭和時代に活躍した洋画家で文化勲章受章者です。
1956年には『雪の発電所』が現代美術日本展最優秀賞を受けます。また1957年には毎日美術賞も受けました。
なお小松 裕文さんの感想文を読むとこの絵が描かれた場所が分かります。https://www.danube4seasons.com/search/013/01.html
それにパンジーの絵を3枚つけます。

「中村彝のアトリエ」

2024年07月26日 | 写真

東京都新宿区下落合にあった中村彝のアトリエを1988年に茨城県近代美術館の敷地内に新築復元しました。
アトリエでは大正期に活躍した茨城県水戸市出身の洋画家、中村彝の遺品や資料を展示してあります。
中村彝は1887年にまれ192年に没しました。
3番目の写真は絵を描く中村彝です。


「30歳でパリに客死した佐伯祐三の油彩画」

2024年07月26日 | アート・文化

佐伯祐三の原画の数十枚をまとめて見たことが一度だけあります。2008年、横浜そごうデパートでの特別展でした。
油彩画の原画には絵の具が盛り上がり、画家の熱い息づかいが感じられるのです。30歳で客死した佐伯祐三の情熱が直接伝わって来るのです。
彼はパリに魅せられ狂ったように絵を描き続けました。最後は文字通り狂って彼の地の精神病院で息を引き取りました。たった10年間ほどの画歴でした。
粛然とした想いで佐伯祐三の油彩画の写真をお送りいたします。

1番目の写真は「パリ街景」です。原画の大きさは38.1×45.4cm です。

2番目の写真も「パリ街景」です。1927年作で大きさは65×81cm です。

3番目の写真は「郵便配達夫」です。1928年の作品です。原寸は80.8×65.0cm です。

4番目の写真は「ラ・クロッシュ」です。1927(昭和2)の作品で原寸は、52.5×64.0cm です。

5番目の写真は「広告“ヴェルダン” 」です。1927年作で大きさは54.0x65.0cmです。

6番目の写真は「靴屋(コルドヌリ)」です。1925年作で原寸は,72.5x59.0cmです。

絵画の写真について解説は不要です。命を削るようにして描いた作品群の前では、どんな美辞賛辞も空々しくなります。
2008年、横浜そごうデパートでの特別展で一番感動した絵は3番目の写真の「郵便配達夫」でした。パリの自宅に来た郵便配達夫をモデルに80.8×65.0cm の大きな油彩画にしたのです。彼の描いた人物画の最後になりました。彼の死後奥さんの米子が手を加えて完成したと言います。何故感動したのか分かりませんがこの大きな絵にグイグイ引きつけられたことが忘れられません。

さて佐伯祐三は1898年4月28日 に生まれ 1928年8月16日にパリで没しました。
佐伯は大阪府西成郡中津村にある光徳寺の男4人女3人の兄弟の次男として生まれました。1917年(大正6年)東京の小石川にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事します。
旧制北野中学を卒業した後、1918年(大正7年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し1923年(大正12年)に卒業します。
東京美術学校の在学中に結婚した佐伯の妻・佐伯米子(旧姓・池田)も絵を描き二科展などにも入選していたのです。
佐伯はその後満30歳で死去するまでの6年足らずの画家生活の間、2回パリに滞在し代表作の多くはパリで描かれたの絵です。
第1回のパリ渡航は1924年(大正13年)1月から1926年1月までで、約2年の滞在であった。この第一次滞仏時の作品の多くはパリの街頭風景を描いたもので、ヴラマンクとともにユトリロの影響が明らかです。
佐伯はパリに長く滞在することを望んでいたが佐伯の健康を案じた家族らの説得に応じ1926年にいったん日本へ帰国します。
2度目の滞仏はそれから間もない1927年(昭和2年)8月からであり、佐伯はその後ふたたび日本の土を踏むことはなかったのです。
1928年3月頃より持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となります。
「黄色いレストラン」が屋外で描いた最後の作品で「描ききった」と家族に説明していたといいます。屋内では偶然訪れた郵便配達夫をモデルに油絵2点、グワッシュ1点を描きました。
自殺未遂を経てセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院します。
一切の食事を拒み、同年8月16日衰弱死しました。墓所は生家である大阪市の光徳寺と東京都千代田区の心法寺にあります。
現在、佐伯の作品は大阪中之島美術館準備室50点、和歌山県立近代美術館14点など、日本各地の34か所に所蔵されているそうです。

今日は30歳でパリに客死した佐伯祐三の油彩画をご紹介いたしますした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)