後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「北海道の圧倒的な釧路湿原のシラルトロ湖、塘路湖、達古武湖などの湖」

2024年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム
何が圧倒的かといえば、その広さと、湿地故に人間を寄せ付けない大自然そのままの景観が他に無いのです。少なくとも日本には無いのです。
北にある屈斜路湖から流れ出した釧路川が釧路に近い大平野でシラルトロ湖、塘路湖、達古武湖に注ぎ、その湖沼群一帯が巨大な湿原になっています。
人間が入れない湿地なので高い展望台から景観を眺めます。カヌーで湖沼を渡ったり釧路川を下ったりします。少しだけの距離の木道を歩きます。あるいは釧路・網走間の釧網本線の観光列車「ノロッコ号」に乗って車窓から湿原の景観を楽しみます。
ここは10年ほど前に2回訪れた曾遊の地です。川湯から釧路川に沿って、車で行きました。
北からシラルトロ湖、塘路湖、達古武湖の順番でご紹介いたします。
川湯から弟子屈町、標茶町と国道を南下するとまず広大なシラルトロ湖が右側に見えて来ます。

1番目の写真はシラルトロ湖です。
岸辺に駐車場があるのでしばし散歩をしながら写真を撮りました。
シラルトロ湖を過ぎて、しばらく走ると今度は左側に「塘路湖入口」という看板があります。見落とさないで車を入れます。すると塘路湖があります。

2番目の写真はと塘路湖です。
この湖はカヌーを漕ぎながら景観を楽しめます。今回は風が強すぎるので舟を出すことが出来ず乗れませんでしたが、大小さまざまなカヌーを見てその形状の美しさを楽しみました。

3番目の写真は大小さまざまなカヌーです。
塘路湖から再び国道に上がり、さらに南下すると「達古武湖キャンプ場入口」という看板が右手に見えます。そこを入り、2km位行くと達古武湖が広がっています。

4番目の写真は釧路湿原の看板です。
カヌーに乗る時間を充分とって置くことが重要であると気が付きます。
ここには立派なビジターセンターがあり釧路湿原の案内を丁寧にしてくれます。純朴そうな小父さんがこちらのスケジュールや時間的余裕を聞いた上で、細岡展望台へ行くのが一番と教えてくれました。
そしてそこへ行くのは途中から舗装道路でなく悪路になるが根気良く車を走らせなさいと教えてくれるのです。
教えられた通り悪路をゆっくり3kmほど行くと車に乗ったまま高い細岡展望台に行きつきました。生憎、霧がかかっていて写真はぼんやりしたものになりました。

5番目の写真は霧がかかった釧路湿原です。
この展望台の下には釧網本線の「ほそおか駅」がありノロッコ号も停まります。若者が一人ホームの隅でうずくまって待っていました。間もなく釧路湿原が乗っていきました。

6番目の写真はノロッコ号を待っていた若者です。

7番目の写真は出て行くノロッコ号です。大きな窓をご覧下さい。楽しそうですね。

そしてこの駅の近所にはカヌーを釧路川へ上げ下ろし出来るようにスロープがついています。折しも車で牽引した台車に積んだカヌーを引き揚げていました。
2002年と2003年に行ってときはサルボ展望台と細岡展望台から風景を楽しみ、丁寧にシラルウトロ湖、塘路湖、達古武湖を回れたので充実感がありました。

ご参考になればと少し長くご紹介致しました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「北海道の魅力、摩周湖、オンネトー、阿寒湖などの湖」

2024年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム
北海道の魅力の一つは摩周湖、オンネトー、阿寒湖などの静かな湖です。私は何故か北海道にある湖に憧れていました。白樺の樹々に囲まれた静かな湖というイメージが心に一生焼き付いているのです。そんな風景を求めて旅に出ると必ずのように湖を訪れます。
仕事を止めた後は北海道に魅せられてしまい何度も行きました。
特に北海道には美しい湖が沢山あります。訪れたところを書くと次のようなります。洞爺湖、摩周湖、知床五湖、オンネトー、阿寒湖、支笏湖、屈斜路湖、サロマ湖、網走湖、大沼、風蓮湖、塘路湖など。
今日は紅葉した摩周湖、オンネトー、阿寒湖の風景写真をお送りいたします。自分で撮った写真は下手なのでインターネットでいろいろ検索して美しい写真を探しました。
丁寧に探すとインターネットには鮮明で綺麗な写真があります。北国の湖の周囲は美しい紅葉の風景が広がっているのです。今日は摩周湖、オンネトー、阿寒湖だけの紅葉風景の写真をお送りします。

1番目の写真は摩周湖の紅葉です。摩周湖は絶景なので四季折々何度も行きました。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25488016070 です。


2番目の写真はオンネトーの紅葉です。オネントーとは不思議な名前です。多分アイヌ語なのでしょう。オンネトー写真の出典は、https://hokkaido-koyo.blog.ss-blog.jp/onneto です。


3番目の写真もオンネトーの紅葉です。オンネトーは小さい湖ですが神秘的な美しさがあります。写真の出典は、https://photoin.exblog.jp/19121491/ です。


4番目の写真は広い阿寒湖の一部の紅葉風景です。写真の出典は、https://www.tabido.jp/ja/article/1159/ です。

阿寒湖の岸にはアイヌ部落が再現してあり土産物の店も多いので何度も行きました。懐かしい大きな湖です。


5番目の写真は大沼国定公園の紅葉と駒ケ岳です。ここもよく行きました。
写真の出典は、https://www.tabido.jp/ja/article/1159/ です。


6番目の写真は屈斜路湖の紅葉です。屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖です。この近くの川湯に何日が連泊して野付半島にも行きました。写真の出典は、https://tripeditor.com/359970 です。

7番目の写真は支笏湖の紅葉です。
写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/35312/ です。

今日は北海道の湖の周辺の美しい紅葉の風景写真をお送り致しました。皆様も紅葉の北海道に旅をしたことがあるかと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「北海道の日本一、秋サケの遡る川」

2024年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム
その川は北海道の東海岸にある標津川です。毎年30万匹の鮭や鱒が遡上することで有名です。中標津町という町に流れているあまり大きくない平凡な川です。
しかしサケやマスの遡上する量は日本一と言われています。
下にその標津川の河口の写真を示します。写真の上の方にはるかに太平洋が写っています。
この写真は2012年9月に撮りました。

上の写真は「サーモン科学館」の高い塔の頂上から撮ったものです。
標津町は鮭漁からの収入で立派な「サーモン科学館」を作りました。
そこには遡上する鮭や鱒を観光客へそのまま見せる魚道があります。標津川から魚道を「サーモン科学館」の中へ導き、そしてその側面をガラスにした施設です。下にその魚道の側面の写真を示します。

お客はその日に海から標津川へ遡上してした鮭や鱒をガラスの向こうに見ることが出来るのです。いろいろな種類の鮭や鱒が大小混じって遡ってくるのです。前日の雨で魚道を流れ下る水が濁っていました。大きな鮭や鱒が勢い良く登ってくる姿には感動しました。
魚道は標津川に直接つながっていて、サーモン科学館の館内へ導き入れてあるのです。河口からその日に遡って来た鮭や鱒がその魚道を通って下の写真のように館内で見ることが出来ます。

よく見ると樺太マスや青サケや鼻曲がり鮭などいろいろな種類の魚が混じっているようです
館内には巨大な水槽があり、鮭や鱒、そしてイトウやチョウザメなどを飼って、展示しています。
下は北海道の湿原にいるマボロシの魚のイトウです。2メートルにもなるそうです。

なおサーモン科学館の庭は広い公園になっていて池には白鳥も遊んでいます。
そして館内には取れたての鮭を売っていて、全国へ発送してくれます。
また館内には立派な和食処があり海鮮を中心にした食事も出来ます。
東北海道に行ったら是非寄るべきスポットとしてお薦めの場所です。
詳しい情報は下のHPに出ています。
~人・サケ・自然の共存を目指した「標津サーモンパーク」~(http://www.shibetsutown.jp/town/machi-3.htmlより)
サケの全てがわかる「サーモン科学館」は平成3年9月にオープンされました。
標津川から人工魚道によりサケを館内に誘導し、上からではなく横から遡上の様子を観察できるほか、ビデオやスライド、模型などによりサケに関するすべてを展示しています。また、ふ化実習室や学習室も充実しており、サケ学習を行うこともできます。
下はこのサーモン科学館の全景です。2012年9月に撮った写真です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「北海道の広い平原と緑の牧場」

2024年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム
北海道の魅力は本州に無い広々とした平原の風景です。緑の牧場です。そこで今日はそんな風景をご紹介したいと思います。まず写真をお送り致します。1番目の写真は長万部町の静狩の牧草地の平原の風景です。丸加高原を入り口付近から見た風景です。ここの平原には「牛」「馬」「羊」が放牧されているそうです。写真の出典は、http://15.pro.tok2.com/~satoubin/index.htm です。2番目の写真は北海道の稲作地の平原です。北海道は現在日本一の米の産地です。水田の背景に平原が美しく広がっています。写真の出典は、http://15.pro.tok2.com/~satoubin/index.htm です。  3番目の写真は北海道の牧場です。ホルシュタイン種の牛がのんびりと草を食んでいます。4番目の写真は平原に咲いていたルピナスやマーガレットの花です。私が2016年に撮った写真です。5番目の写真は平原の道端に咲いていたアヤメです。同じく2016年5月に撮った写真です。

北海道の野原では5月頃からルピナスやマーガレットやアヤメの花などが咲きだして美しい平原が広がっています。そして街の中も街路樹のアカシアも咲き出します。本州では季節ごとにずれて咲く花々が5月や6月に一斉に開くのです。白樺や楡の木やブナノキの若葉が萌え、北海道の風景は急に華やかになります。富良野の富田ファームのラベンダー畑も一面に咲きます。北海道には梅雨が無いのです。梅雨前線が北海道迄北上して行かないからです。北海道は四季折々すべて爽快な天気なのです。北海道に梅雨の季節がないのは羨ましいです。このような北海道の風景に魅了され何度も行きました。北海道の写真を見ていると憂鬱な気分が吹き飛んでしまいます。

今日は広々とした平原の風景と緑の牧場の風景をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)

「ロマンティックな風景の札幌の素晴らしさ」

2024年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム
仕事をやめてから観光旅行で日本の各地をいろいろ訪れました。それぞれの地方には違う歴史がありいろいろな魅力があります。妻も一緒に旅を楽しんでいました。

まず初めに北海道に行きました。札幌を訪れました。札幌はロマンティックな風景に富んだ北の都です。名所が沢山あり感動的な街です。

今日はロマンあふれる札幌をご紹介したいと思います。

札幌の街の真ん中に広大な大通り公園があります。そして観光名所がたくさんあるのです。明治期の道庁の建物、美しい時計台、北海道大学のポプラ並木と植物園、広い開拓村、手稲山のジャンプ台、サッポロビール園、そしてアイヌ文化の博物館などなどです。

何度か札幌へ行ってこれらの所を丁寧に見てまわりました。 まず北海道大学 のポプラ並木の写真と大通り公園のイルミネーションの写真を示しす。その後であまり人の行かない開拓村のことを詳しくご紹介したいと思います。そして北海道の原住民のアイヌ民族の明治期以後の苦難の運命も書きたいと思います。

1番目の写真は有名な北海道大学のポプラ並木です。ここに示す写真は「北海道大学 ポプラ並木」を検索して綺麗に写っている写真を選んでお借り致しました。

2番目の写真は大通り公園の冬のイルミネーションです。2014年12月8日に家内が撮った写真です。

さて札幌の郊外にある北海道開拓村をご紹介したいと思います。明治の北海道開拓時代の札幌の街並みや北海道各地の古い建物が移築され展示してあります。政府が建てた役所は堂々として立派ですが一般の民家は木造の小さな家です。冬の北海道は寒く貧しく厳しい生活だったろうと思い暗い気持ちになったものです。それが北海道の現実です。

写真の出典は、岩見沢市にお住まいの方の北海道開拓の村の雪景色、(https://bunblo09.exblog.jp/30617618/ )です。

3番目の写真は北海道開拓村の中心の大通りです。通りの左右に明治の北海道開拓時代の建物が移築されています。当時の札幌の街の雰囲気です。写真の出典は、岩見沢市にお住まいの方の北海道開拓の村の雪景色、(https://bunblo09.exblog.jp/30617618/ )です。

4番目の写真は北海道開拓村の馬に引かれた乗り合い橇です。写真の出典は、「北海道開拓の昔の冬のくらし」、https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2345/ です。開拓村では冬の体験をさせる企画がいろいろ行われています。

5番目の写真は立派な政府の建物です。日本が本気で北海道を開拓しようという意気込みが感じられます。

6番目の写真は北海道開拓時代の一般の民家です。一般の民家は小さく粗末なものでした。

7番目の写真はキリスト教の小さな教会です。
これらの北海道開拓村の雪景色を見ると南から北海道に移住し開拓に努力した明治期の人々の苦労が偲ばれます。北海道の開拓は生易しいものではなかったのです。

しかし一方、そこに昔から平和に住んでいたアイヌ民族にとっては日本人による開拓は悲劇の始まりでした。アイヌ民族の人権は蹂躙され生活が困窮したのです。

現在の北海道には人々が豊かな暮らしをしています。幸せな土地になりました。しかしアイヌ民族の悲劇的な運命を忘れることが出来ません。

北海道には明治32年から平成9年、1997年まで北海道土民保護法という法律が存在していました。

具体的には 次のことを実行するための法的根拠だったのです。
1、アイヌの土地の没収
2、アイヌの収入源である漁業・狩猟の禁止
3、アイヌ固有の習慣風習の禁止
4、日本語使用の義務
5、日本風氏名への改名による戸籍への編入

1997年5月の「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略称,アイヌ文化振興法)の成立にともない廃止となりました。

しかし北海道土民保護法は長い間、アイヌ民族の人権を蹂躙しアイヌ民族の財産を収奪して来たのです。1997年の廃止は遅すぎました。

明治の開拓以後は次第に伝統的なアイヌ民族の文化が消えて行きました。北海道開拓のために入植した日本人によって土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも禁じられたのです。アイヌの村落は貧しい生活を強いられていました。

しかし、第二次大戦直後までは、北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。そして、昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには現在は民族博物館があります。アイヌ村落を復元した展示もあります。

特に白老の国立アイヌ民族博物館は2020年7月からウポポイというアイヌ民族の芸能や生活を再現して見せる活動を大規模に実施しています。

以前、私は、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人が個人的に経営しているアイヌ文化の博物館もありました。

アイヌ民族と和人は縄文時代までは同じで一緒でした。弥生時代以後、和人とアイヌ民族は離れ離れになり独自の文化を育てていったのです。この話は長くなるので止します。

今日は北海道開拓村の雪景色の写真を示しました。そしてアイヌ民族の悲劇的な運命を少しご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)