後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「海外の美術館所蔵作品などの上野の森美術館」

2024年07月27日 | アート・文化

上野の森美術館は1972年(昭和47)4月に開館した私立美術館です。常設展示は行わず、企画展や公募展を随時開催し、海外の美術館所蔵作品や重要文化財などさまざまな美術作品を紹介しています。

1994年からは、40歳以下の若手作家による新作を紹介する「現代美術展(VOCA展)」を主催しました。ほかにも「上野の森美術館大賞展」や「日本の自然を描く展」など、さまざまなテーマに応じた公募展を積極的に行い、現代美術作家の発掘や育成に力を入れている美術館です。

上野の森美術館の写真や展示の写真をお送り致します。

場所はJR「上野」駅公園口から徒歩約3分です。東京メトロ・京成電鉄「上野」駅から徒歩約5分です。

私は展示している絵画の種類にあまり興味が無いので行ったことがありません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「平山郁夫の心静まる風景画」

2024年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

よくあることですが、テレビの美術番組で初めの解説が長すぎて肝心の作品の写真がなかなか出て来なくてイライラすることがあります。
そこで今日は平山郁夫の心静まる風景画の写真から始めます。

1番目の写真は玄奘三蔵法師をテーマにした『仏教伝来』です。東京藝術大学で助手を務めていた1959年ごろの制作です。平山郁夫はインドへ旅した三蔵法師を尊敬していました。この制作が切っ掛けになり中国とローマを結ぶシルクロードに強い興味を持ちその風景画を沢山描くようになります。

2番目の写真は先週訪ねた甲斐小泉の平山郁夫シルクロード美術館に展示してあった「月光砂漠行」です。
平山郁夫は1968年以降シルクロードに関連する国々を数十回訪問し各地の風景画を描いています。訪れた国は中国、中央アジア、西アジア、東南アジア、地中海地域などシルクロードと関連のあった国々約37カ国です。
平山郁夫の一生はシルクロードに魅せられた生涯だったのです。

3番目の写真は同じくシルクロード美術館に展示してあった「アフガニスタンの砂漠行」です。
この美術館の1階にはシルクロードと関連のあった陶磁器、織物、イスラーム美術の彫刻、ガンダーラ美術の仏像、硬貨など約9000点の一部が展示されています。平山郁夫のシルクロードにかける情熱の強さに圧倒されます。

4番目の写真はインド洋を東西に繫ぐ「海のシルクロード」です。
「シルクロード」という名称はドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』で1877年に作った名前です。ドイツ語でSeidenstraßenと複数形になっていますが,全て内陸の交易路を意味し海のシルクロードは含まれていません。「海のシルクロード」は後世の人々が付けた名前です。

5番目の写真は『流水間断無』(奥入瀬渓流) です。この絵の大きな原画もシルクロード美術館 に展示してありました。

6番目の写真は平山郁夫シルクロード美術館に展示してあった北杜市から見上げた「甲斐駒岳」です。

7番目の写真は平山郁夫の郷里の尾道から四国を繫ぐ橋を描いた「白い橋 因島大橋」です。平山郁夫は1930年に 広島県尾道市瀬戸田町に生まれ尾道市で育ちました。そして2009年、79歳で亡くなりました。

表題に「平山郁夫の心静まる風景画」とありますが平山郁夫の頭には常に仏教的祈りがあったのです。
平山郁夫は先の戦争や原爆被爆の体験から、終生「平安と鎮魂」を求めていたのです。
奈良の薬師寺に奉納された壮大なスケールの『大唐西域壁画』と『ナーランダの月』は正しく心の平安と全ての死者の鎮魂を祈った壮大な絵画です。
平山郁夫の絵画の裏には静かな仏教的祈りがあるのです。誤解を恐れずに書けば、全て宗教画なのです。それが平山郁夫の絵画の強みでもありますが弱みになる場合もあるのです。
宗教的になって芸術性が弱くなるのです。とても美しい絵です。私は彼の絵が大好きですが、家人は何となくつまらない絵だと言います。困ったものです。
今日は日本画の平山郁夫の心静まる風景画をご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「日本画の魅力が分かる箱根の成川美術館」

2024年07月27日 | アート・文化

箱根・芦ノ湖畔にある成川美術館は1988年(昭和63年)4月に開館しました。日本画の魅力が分かる美術館です。

箱根に行くたびに気軽に何度も寄りました。

成川美術館は、文化勲章受章画家・山本丘人の代表作150点余りを核に、平山郁夫作の作品を40点余、他現代日本画を中心としたコレクションを4000点以上所蔵しています。

堀文子、岡信孝、牧進、関口雄揮、吉田善彦、毛利武彦、平岩洋彦、岡崎忠雄、小林済、前本利彦、牛尾武、柳沢正人らの作品数は、日本一を誇ります。
成川美術館は現代日本画に焦点を絞りその魅力を世に問う美術館です。特に戦後の日本画のすばらしさを広めることを設立の目的としているのです。

それでは成川美術館の寫眞と展示絵画をご紹介致します。

箱根の成川美術館で日本画をゆっくり見た後はいつもコーヒー飲みました。芦ノ湖畔や富士山の遠景を見ながらカフェでコーヒー飲みました。

何度も行った箱根の成川美術館が懐かしいです。

それはそれとして今日も皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。後藤和弘


「日本で最初の西洋美術館の大原美術館」

2024年07月27日 | アート・文化
大原美術館は、倉敷で幅広く活躍した事業家大原孫三郎が画家児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立しました。日本で最初の西洋美術の私立美術館です。
孫三郎は、友人の児島虎次郎の才能を高く評価し、三度にわたる渡欧を支援しました。
そこで児島虎次郎はヨーロッパの美術作品を選び取るという作業をしました。
彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。
大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術作家たちの仕事等にコレクションを広げ民間総合美術館として大原美術館を作ったのです。
私どもも大原美術館を訪れ、その絵画の数の多さと美しさに感動しました。はるばる倉敷まで行ったかいがありました。
それでは写真で大原美術館をご紹介しましょう。
1番目の写真は大原美術館です。
2番目の写真は受胎告知/エル・グレコ(1590年~1603年ごろ作)です。
3番目の写真はルノアールの「泉による女」です。
4番目の写真はゴーギャンの「かぐわしき大地」です。
5番目の写真は関根正二の「信仰の悲しみ」です。
6番目の写真は小出楢重の「Nの家族」です。
7番目の写真はヘンリー・オッテマンの「少女」です。
 
小出楢重の説明を加えておきます。
小出楢重は大阪に生まれ、岸田劉生や中村彝と同時代の画家です。
黒田清輝以来の当時の洋画壇に飽きたらず、単なる洋画の輸入ではなく日本独自の油絵を確立しようと真摯に努めた画家の一人でした。
「Nの家族」は大正八年の第七回二科展に出品され、他の二点とともに有望な新人に与えられる樗牛賞を贈られ、それまで不遇であった画家が画壇に地歩を築くきっかけとなった作品です。
 「Nの家族」制作当時、すでに劉生や河野通勢等の画家が北欧ルネサンス風の写実的な表現を追求していましたが、小出自身の境地を開こうとします。
 「Nの家族」は小出楢重の前期の代表作であるばかりでなく、その緊密で力強い構成と表現により大正時代の洋画を代表する一作となりました。
 
今日は日本で最初の西洋美術館の大原美術館をご紹介しました。最後に小出楢重の「Nの家族」に関する説明をしました。
 
それはそれとして今日も皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。後藤和弘