1861年12月25日 - イギリスのダービー市に生まれる。
1890年(明治23年) - イギリス時代から持っていた趣味として国内での登山活動を開始。富士山、阿蘇山、霧島山、桜島、日光白根山などに登頂。
1891年(明治24年) - 軽井沢を出発し浅間山を経て松本から日本アルプスの一角、槍ヶ岳に初登頂。その後翌年にかけて飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈などを巡った。また、富士山にも複数回登頂した[2]。
1893年(明治26年) - 前穂高岳に登頂。このときの案内役で地元猟師の上條嘉門次との友情関係は、多く語り継がれている。またこの年の5月11日に、前宮ルートより恵那山に登頂した。同年8月には、立山登山を長野県側から立山新道の跡をたどって行っている。
1896年(明治29年) - 山旅で見た情景と感慨を『MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS』(日本アルプスの登山と探検)としてイギリスで出版した。
1940年(昭和15年)3月27日 - 死去。
死後、日本の山を世界中に紹介したことなどを称えて、日本の各地でウェストンの記念碑、レリーフなどが設置され、山開きの時期にウェストン祭が開催されるようになった。一部の地域ではウェストン公園が整備されている。
以下省略。続気は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3 にあります。
ウエストン卿の写真をお送り致しです。
出典は、https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/18/2.html です。
上高地に関する記事を書いていたら、浦松佐美太郎著、「たった一人の山」を思い出しました。
第二次大戦直前にスイスにてアルプスをひたすら制覇していた 日本人の随筆集です。 瑞々しい文章です。
私も昔読んで感動しました。
アルプスの山々での話を始め、帰国後は、穂高や富士山に登頂した話まで 20編ほどの小編が収録されて7います。日本では1958年に出版されました。
Kotoko Satoさんの感想文です。
https://bookmeter.com/books/323065
第二次大戦直前にスイスにてアルプスをひたすら制覇していた 日本人がいたことに驚き、そしてその当時に書かれたとは思えない程 瑞々しい、鮮度が高い文章にさらに驚いた。 アルプスの山々での話を始め、帰国後は、穂高や富士山に登頂した話まで 20編ほどの小編から溢れるのは、山と真剣に向かい合い、 愛情を持って接する筆者の純粋さ。特に、ウェッターホルン西山稜 初登頂を成し遂げた時のことが 記されている「頂上へ」が手に汗握る。 そして、最後「山のあぶなさ」では筆者独自の視点から自然の怖さが 論じられ、非常に興味深い。
本の写真を添付しました。
上高地の明神池、河童橋、田代池、大正池、そして奥穂高岳の紅葉風景の写真をお送りいたします。写真の出典は、「上高地の紅葉、2020年」https://yamahack.com/2178 です。
1番目の写真は明神池の紅葉です。明神池は上高地の中心の河童橋から歩いて60分ほどの上流にあります。一の池と二の池の大小2つの池です。池の入り口には穂高見命が祭られた穂高神社があり明神池は神域です。澄んだ池面に映る青空と木々の紅葉が神秘的な美しさを見せています。
2番目の写真は田代池と周囲の紅葉です。田代池は上高地バスターミナルから河童橋の下流方向に歩いて40分ほどの所にあります。焼岳の噴火で出来た浅い池です。透明な田代池に岩魚が見えます。紅葉を池面に映し幻想的です。湿原なので穏やかな雰囲気を感じられる池です。
3番目の写真は大正池と焼岳の紅葉です。田代池からさらに徒歩20分下った所にあります。焼岳の噴火で出来た大きな池です。池の周りには全長約2.5kmの遊歩道があり、雄大な山々を眺めながら紅葉の中をのんびりと散歩できます。大正池のそばにバス停があるので私は何時もそこでバスを降り梓川そいに河童橋まで散歩を楽しみます。丁度その中間に上高地帝国ホテルがあるので昼食にします。何度か泊まった懐かしい高原のロマンチックなクラシックホテルです。
4番目の写真は梓川沿いのカラマツの紅葉です。
5番目の写真は奥穂高岳の紅葉です。奥穂高岳は河童橋から上流の徳本ヒュッテ迄遡り、そこからと涸沢カールのガレ場を根気良く登ると奥穂高岳迄行けます。奥穂高岳の標高は日本第3位です。涸沢カールの紅葉も素晴らしいのです。
上高地の明神池、河童橋、田代池、大正池の紅葉風景と奥穂高岳の紅葉風景を「上高地の紅葉、2020年」https://yamahack.com/2178 からお借りした写真でご紹介いたしました。
尚、私自身も何度も上高地の紅葉風景を撮ったものです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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3番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は右の色の暗い山です。真ん中の白いものは岳沢の雪渓です。大正池から上流の河童橋まで来ると岳沢の雪渓も真近かに見えます。
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5番目の写真は庭から見上げた上高地帝国ホテルです。上高地に行く度に寄るホテルです。スイスの山岳地のホテルのように丈夫な石組みの上にがっしりした木造で出来ています。
昔は神垣内と書いたり、神河内と呼んでいたそうですが、とにかく神々しい景観なのです。日本のどこにでもある谷川の風景とは全く違う神秘的で、そしてロマンチックな景観なのです。
以前は梓川沿いのバス道も無く、神河内に入るには北アルプスの徳合峠を越えて、この別世界へ降り立ったのです。苦しい山越えの後で見たこの夢幻的な景観に人々は桃源郷を連想したのです。極楽浄土を連想したのです。
明治の始めころ、イギリス人のウエストン卿も徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。そのときの感動を記した彼の著作を読むと私の胸も躍ります。
ウェストンは感動のあまり何度も徳合峠を越えて神河内へ足を運びました。人柄が良く山案内人に信頼されたと言います。このウェストンこそが上高地の魅力を日本人へ教えたのです。現在、彼のレリーフが静かに梓川を見降ろしています。
私が上高地を初めて訪れたのは23歳の夏にでした。JR大糸線の穂高駅から中房温泉に泊り槍、穂高へと縦走した折にま上高地に下りたのです。
有房温泉から燕岳、常念岳、槍、南岳、大キレット、北穂、涸沢、徳合小屋と縦走して上高地に降りて来た時に見た時の感動は忘れられません。
梓川の河原に茂っていた白樺の幹が白く輝いていました。そして上高地特有の川原の泥柳の枝が風で揺れている風景をとても神秘的に感じたものです。