後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「伊豆半島の稲取温泉とキンメダイの写真」

2024年07月05日 | 旅行記
若い頃は生活に追われていましたが中年になると余裕が出てきました。はじめに伊豆半島の東の入り口の稲取温泉へ行きました。稲取の銀水荘に泊まりました。
伊豆半島はその後何度も行きましたがはじめは稲取温泉でした。
伊豆半島の稲取温泉と特産のキンメダイの写真を紹介したいと思います。
1番目と2番目の写真はインターネットからお借りしました。3番目と4番目の写真は自分で撮った写真です。

1番目の写真は高台から見下ろした稲取の漁港です。
初めて泊まった旅館からの眺めと同じような風景です。
この稲取漁港はキンメダイで有名な漁港です。魚の干物専門の徳造丸本店からキンメダイの干物を買って来ました。
2番目の写真は稲取漁港に水揚げされるキンメダイです。
3番目の写真はキンメダイやアジを取りに行く漁船です。
4番目の写真は稲取漁港に舫う漁船です。
 
今日は中年になってはじめに泊まった稲取温泉が懐かしいのでその写真をお送り致した。高台にある稲取の銀水荘に泊まりました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「伊豆半島は太平洋から流れ着いた」

2024年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム
伊豆半島の旅のために知っておきたいことはこの半島の地質学的な歴史です。
伊豆半島は何百万年も前に太平洋から流れついたのです。
伊豆半島は本州で唯一、フィリピン海プレートの上にのっているのです。かつては南洋にあった火山島や海底火山の集まりで、プレートの北上に伴い火山活動を繰り返しながら本州に衝突し誕生しました。
この半島では、現在も火山活動や地殻変動が続いており、これによって温泉や変化に富んだ地形になっているのです。
こんな伊豆半島に旅をすると、樹木が亜熱帯的なのです。土地が溶岩で出来ています。
1番目の写真は伊豆半島がフィリピン海プレートの北の端に乗っていることを示す図面です。この図の出典は、http://izugeopark.org/izugeomain/ です。
 
伊豆半島の歴史は地層などの証拠などによって約2000万年前までたどることができるそうです。
約2000万年前、伊豆は本州から数百km南、現在の硫黄島付近の緯度にあった海底火山群でした。フィリピン海プレートの上にできた海底火山や火山島はプレートとともに北に移動し、やがて本州に衝突して現在のような半島の形になりました。
それは約60 万年前のできごとです。
半島となってから約20万年前までは、陸上のあちらこちらで噴火が起き、天城山や達磨山といった現在の伊豆の大型の火山ができました。
これらの大型火山の活動が終わると、日本には数少ない単成火山群の活動がはじまり、現在は「伊豆東部火山群」として活火山のひとつとなっています。
 
さて1番目の写真はもっといろいろなことを示しています。
箱根の西はユーラシア・プレートで出来ています。箱根から東は北米プレートから出来ています。ですから日本の風景は箱根の西と東は違うようです。文化も西日本と東日本では違います。
北海道だけは植物と動物がシベリアに似ています。ですから私は北海道だけはシベリアから流れついたと信じています。
 
随分前に伊豆スカイラインをドライし、冷川インターを出て伊東市に下りて来ました。その時撮った写真を示します。
2番目の写真は伊豆スカイラインの展望台から撮った熱海の写真です。
3番目の写真は伊東市から網代、熱海へ向かう途中の宇佐美の海水浴場の浜辺です。
 
伊豆半島の地質学的な歴史を書きました。ついでに伊豆スカイラインからの風景や宇佐美の海水浴場の写真をお送り致しました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏の西伊豆の魅力、写真で見る三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎」

2024年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム
伊豆半島は遥か遠い地です。山が連なって交通の便も悪いところです。特に伊豆半島の西側は鉄道も無く、その上道路が細くて不便です。東京からの観光客もあまり行きません。おおげさに言えば陸の孤島です。
そこがかえって西海岸の魅力と感じて何回か旅しました。私の好きな土地です。
今日は伊豆半島の西海岸をご紹介したいと思います。西伊豆の三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎、妻良などをご紹介致します。美しい所が連なっています。
西伊豆には沼津から入り、海岸沿いに南下します。私どもが撮った写真でご紹介いたします。
1番目の写真は駿河湾に面した美津浜から見た富士山です。西伊豆の海岸沿いを走っているとこのように富士山が見えます。
2番目の写真は美津浜の沖に係留してあるヨットです。
3番目の写真は展望台の上から見た戸田港です。湾を囲んでいる岬は砂が流れて来て出来たものです。伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。
4番目の写真は戸田からさらに南下して土肥に行く道から見下ろした海岸です。
伊豆半島の西側は険しい山々が海にそのまま落ち込んでいます。絶壁の下の岩礁に太平洋の白波が激しく打ちつけています。
そして同じような険しい道が土肥、堂ヶ島、松崎、そして石廊崎、下田へと続いているのです。
さて戸田には「戸田造船郷土資料博物館、駿河湾深海生物館」があります。ヨットや帆船が好きな人なら見逃せない博物館です。
江戸幕府が西洋式帆船の造船技術を導入し、風上にも登れるスクーナーを10隻以上も建造した事実を紹介しているのです。
5番目の写真は日本で作られた最初の西洋式の帆船「ヘダ号」の大きな模型です。
1855年5月に西伊豆の君沢郡、戸田村で完成しました。そしてロシアに向けて出港したのです。それは明治維新の12年前の史実です。
それはさておき伊豆半島の西海岸をさらに南下します。
6番目の写真は堂ケ島温泉の「かくれ湯、清流」という旅館の部屋からみた夕日です。この夕日を眺めながら冷えたビールを飲みました。
堂ヶ島に近くに松崎という町があります。コテを使った鏝絵の天才、入江長八の生まれた町です。
長八は幕末に松崎の浄感寺にあった塾で学び、23歳で江戸に出て、狩野派の絵師に絵画を学び、それを漆喰細工へ応用し、独創的な漆喰を用いた「鏝絵」を生み出したのです。そして浄感寺の本堂の天井に有名な龍の鏝絵や客間の欄間に天女の絵や室内を飾る鏝絵など合計20点の鏝絵を完成したのです。現在その本堂と左右の客間は「長八記念館」として公開されています。
7番目の写真は入江長八の天女のコテ絵です。彼はその後江戸へ戻り、明治維新後の東京で活躍します。
8番目の写真は入江長八の作った漆喰の壁です。松崎には長八の作品50点を集めた「長八美術館」があります。長八の作品は鏝絵だけではなく多くの建物の美しいナマコ壁としても残っています。
松崎をさらに南下すると美しい港町の妻良があります。民宿に泊まって駿河湾でカサゴを釣った思い出のあるところです。
西海岸には有名な「堂ヶ島天窓洞」があります。
9番目の写真は西伊豆町にある「堂ヶ島天窓洞」です。国の天然記念物に指定されています。
「青の洞窟」としても有名で、神秘的な洞窟内を探索できる「洞くつめぐり遊覧船」の体験がおすすめです。
最後に伊豆半島の突端まで行くと「ヒリゾ浜」という美しい入江があります。
10番目の写真は伊豆の最南端にある「ヒリゾ浜」という美しい入江です。南国のリゾート地のような美しい海岸です。あたりは国立公園で手つかずの自然がたくさん残っています。
 
今日は夏の西伊豆の魅力をご紹介致しました。三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎、堂ヶ島天窓洞、ヒリゾ浜などを写真でご紹介致しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)