伊豆半島は遥か遠い地です。山が連なって交通の便も悪いところです。特に伊豆半島の西側は鉄道も無く、その上道路が細くて不便です。東京からの観光客もあまり行きません。おおげさに言えば陸の孤島です。
そこがかえって西海岸の魅力と感じて何回か旅しました。私の好きな土地です。
今日は伊豆半島の西海岸をご紹介したいと思います。西伊豆の三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎、妻良などをご紹介致します。美しい所が連なっています。
西伊豆には沼津から入り、海岸沿いに南下します。私どもが撮った写真でご紹介いたします。
1番目の写真は駿河湾に面した美津浜から見た富士山です。西伊豆の海岸沿いを走っているとこのように富士山が見えます。
2番目の写真は美津浜の沖に係留してあるヨットです。
3番目の写真は展望台の上から見た戸田港です。湾を囲んでいる岬は砂が流れて来て出来たものです。伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。
4番目の写真は戸田からさらに南下して土肥に行く道から見下ろした海岸です。
伊豆半島の西側は険しい山々が海にそのまま落ち込んでいます。絶壁の下の岩礁に太平洋の白波が激しく打ちつけています。
そして同じような険しい道が土肥、堂ヶ島、松崎、そして石廊崎、下田へと続いているのです。
さて戸田には「戸田造船郷土資料博物館、駿河湾深海生物館」があります。ヨットや帆船が好きな人なら見逃せない博物館です。
江戸幕府が西洋式帆船の造船技術を導入し、風上にも登れるスクーナーを10隻以上も建造した事実を紹介しているのです。
5番目の写真は日本で作られた最初の西洋式の帆船「ヘダ号」の大きな模型です。
1855年5月に西伊豆の君沢郡、戸田村で完成しました。そしてロシアに向けて出港したのです。それは明治維新の12年前の史実です。
それはさておき伊豆半島の西海岸をさらに南下します。
6番目の写真は堂ケ島温泉の「かくれ湯、清流」という旅館の部屋からみた夕日です。この夕日を眺めながら冷えたビールを飲みました。
堂ヶ島に近くに松崎という町があります。コテを使った鏝絵の天才、入江長八の生まれた町です。
長八は幕末に松崎の浄感寺にあった塾で学び、23歳で江戸に出て、狩野派の絵師に絵画を学び、それを漆喰細工へ応用し、独創的な漆喰を用いた「鏝絵」を生み出したのです。そして浄感寺の本堂の天井に有名な龍の鏝絵や客間の欄間に天女の絵や室内を飾る鏝絵など合計20点の鏝絵を完成したのです。現在その本堂と左右の客間は「長八記念館」として公開されています。
7番目の写真は入江長八の天女のコテ絵です。彼はその後江戸へ戻り、明治維新後の東京で活躍します。
8番目の写真は入江長八の作った漆喰の壁です。松崎には長八の作品50点を集めた「長八美術館」があります。長八の作品は鏝絵だけではなく多くの建物の美しいナマコ壁としても残っています。
松崎をさらに南下すると美しい港町の妻良があります。民宿に泊まって駿河湾でカサゴを釣った思い出のあるところです。
西海岸には有名な「堂ヶ島天窓洞」があります。
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9番目の写真は西伊豆町にある「堂ヶ島天窓洞」です。国の天然記念物に指定されています。
「青の洞窟」としても有名で、神秘的な洞窟内を探索できる「洞くつめぐり遊覧船」の体験がおすすめです。
最後に伊豆半島の突端まで行くと「ヒリゾ浜」という美しい入江があります。
10番目の写真は伊豆の最南端にある「ヒリゾ浜」という美しい入江です。南国のリゾート地のような美しい海岸です。あたりは国立公園で手つかずの自然がたくさん残っています。
今日は夏の西伊豆の魅力をご紹介致しました。三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎、堂ヶ島天窓洞、ヒリゾ浜などを写真でご紹介致しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)